どうも昨日今日あたりで急に、不思議な「新年感」を味わっています。
暦通りのお正月よりも、体感的には今の方が新年っぽい。
それにちなんでのタイトルです。
確定申告等で昨年度分のあれこれを振り返った時期だから?学校がある人たちは、そろそろ卒業シーズンだから?もっともらしい具体的理由を考えては見るものの、そういったものからの体感ではないようで。
春分が近い?うん、これはちょっと類似している感覚な気がする。
でも、それがぴったりというわけではなく、私の中ではここらでそろそろ新しい年が明けたようです。
それで、今味わっているのは「終わり感」。
色々なことが終わったな!という感じ。
物理的に振り返ることはできるけど、遠くに行っちゃって、戻れない何か。
何もかもが同じままでは、同じようには、感じられないから、
それらを「さようなら」と見送っている実感が伴います。
それは先に書いた「卒業」とか、あるいは「何かを成し遂げた感」などではなくて、ただただ止められない「流れ」を見つめている感じ。
自分が河を流れる船を漕いでいるとして、あるところの河岸の風景も気に入ったけれど、自分は河の上にいるので、そこも通り過ぎることは止められない、というような。
美しかったものも、良かったものも、見送る。
そして“今”もまた通り過ぎてゆくので、いつかから今を振り返ったらまた全然違う気持ちで、戻れないものとして今を見つめるのだろうなと想像できます。
そんな風にしていると、多重の、複眼的な視点で自分を眺めていることがわかります。
そのどこにも「唯一の」自分というのは存在せず、
つくづく、自分とは「多次元的な」存在であるのだとしか言いようがない気持ちになります。
空間も時間も、この世界での“お約束”だけど、
心理的には「距離のある」まだ見ぬ彼方の自分へ、
そこではどうだい?
と、呼びかけてみたい気持ちになりますね。
そして実際、私たちはそんな風に、多次元的な自分と途切れなくコミュニケーションしているのでしょうね。
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