かつてと比べて著しい変化と感じるのは、睡眠中の「夢」の世界と、身体が起きている間の「現実」の世界との、意識内の境界が薄れたことです。
それは別に、現実が夢のように曖昧になってしまったという意味ではなく、むしろ以前よりもこの現実という世界には鮮やかに「ピントが合っています」。
私にとって、夢と現実を分ける意識上のギャップ、実在はしないけれど意識によって作り置いた隔たりを融合することは、漠然としたテーマになっていました。
が、それがすでにぴたっと合わさっているのを感じています。
まず、「夢」と言ったときに思い描く体験や印象が個人個人によって異なるでしょうが、私の場合は夢は、起きている間の現実よりも鮮やかで広がりのあるものです。
起きている間の現実では一般に、私たちが合意している物理法則などのルールに沿った体験をしていますが、夢の世界では、それがある程度反映されつつも、縛りはゆるいと想像してみてください。
もちろん、夢にこちらの現実のルールを反映しているのは自分自身、起きている間のフォーカスになじんでいる私たち自身の意識です。
「外側に」確固とした形でルールが存在しているわけではありません。
夢は夢、現実は現実、とはっきり分かれていることが、現代の「大人」の認識では当然のこととされていますが、赤ちゃんや幼児の頃、この境界はそこまではっきりしていませんでした。自らだんだん、意識を訓練しながら、この世界にフォーカスするよう馴らしていくのです。
それはおおまかに言うと、一種類のものの見方のみに合わせられるよう練習するようなものです。バラの花と言ったら、どんな輪郭で、どんな手触りで、色は…など、他の人たちと合意しているバラの花を知覚することができるように。
バラの花をエネルギー構造として眺めたり、生きた精霊として体験したりすると「異端」になってしまうので、そうならないよう一種類のものの見方を選択し、そこにのみダイヤルを合わせ、規定通りに翻訳することでこの世界に「適合」します。
もちろん、そういう見方をあえて選択しない人もいるのですが、現代文明では問題や異常のように見なす傾向がありますよね。
そういった経験を一通り味わった後に改めて、はたと、あなたは自分の意識の奥深さや広がりに気づき、必ずしもこの世界の見方に限定しなくてもいいのでは…と考えたり、他の次元や並行する世界、意識内にある様々な視点に興味を持つかもしれません。
すると今度は、いったんあつらえた「ピント」をゆるめて、自分の意思で向けたい方向へフォーカスを向けられるんだという自覚を回復します。
あなた自身が訓練して手にした「この世界仕様、自動運転モード」ですが、いつのまにかそれが他に選択肢のない初期設定であるかのように勘違いしてしまったので、
「いやいや、これを設定したのは自分だったよ!」
ということで、フォーカスの使い手であった自分自身に自覚が戻るのです。
そうなるまでの間は、「これ、誰が運転してるの!?ねぇ?運転手は誰??」と、きょろきょろすることになります。
眼鏡をおでこにかけたまま、眼鏡を探している人のコントのように…(笑)
そういったボケボケ状態のとき、人は「外」に運転手を探してしまうので、たとえば「自分とは別に存在する神」という概念を作ったりもしました。
すると、自分の意思や感じていることに確信が持てなくなりました。
誰かに代わりに答えを出してほしい…!
神様は、何て言っているの?
祈りに対する答えを!
でもそのとき、本当にあなたが話しかけているのは、自分自身に対してです。
…こういうことは過去記事にもいっぱい書いてきましたが、では、
あなたが意識の広がりを認識したまま、改めてこの世界にピントを合わせたら、どうなるのでしょうか?
そこには、これまでとそっくりだけど、違う感覚を伴う世界が広がっています。
その感覚の違いを言葉にするなら…
「ここだけが特別」ではなく、「ここも特別」である、多くの中の一つである現実です。
でも、ここはここだけなので、他にも多くあるということが価値を減ずることだとは感じません。
あなたはこの世界に興味を持ちますが、この世界に囚われてはいません。
この世界を楽しむことに意欲がありますが、この世界の見せかけのルールにしがみつく必死さはありません。
この感覚をすでに実感している方は多くいるはずですし、そうなりつつある移行の感覚を味わっている方もいるでしょう。
そこに、ニューエイジ的な「型」は関係ありません。
いわゆる、オーラが見える、“見えない”ものが見える、○○とお話しできる……
そういう体験はあってもいいのですが、なくてもいいのです。
というよりも、誰もが、本人の自覚しない形であれ、すでにそういったコミュニケーションは常時しているものだと言えます。
それを意識化するか否かということは、あなたの人生にちょうどよい形で、あなた自身が調節しているものなので、そういう体験があるか・ないかを何かの目安や判定の基準に使うことはやめてくださいね。
あなたの内側にある、変貌自在ながらも完璧な世界図。
それは現在進行形で、あなたがあなた自身と相談しながら、楽しんで創っています。
そうと知っていること、あなた自身の持っている確かさが、「ここ」という夢を鮮やかにし、しっかりとピントを合わせてくれるのです。
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