今日はちょっとひさびさに、雑記でございます。
何の話題かといいますと、タイトルは「情報断食のススメ」です。
現代人というのは、「情報過多」だな、と私は心から思っています。
それでわざわざ病気になってるんじゃないか?とまで、思うほどです。
自分で集めようとする情報のみならず、
勝手に「押しつけられている」情報も非常~に多く、
それに無自覚でいると、どうでもいいことを取り入れすぎだと思うのです。
たとえば、テレビ。
万が一、テレビ関係のお仕事をしている人がいたら申し訳ないのですが、
個人的に捉えずに、いち意見として聞いていただけたらうれしいです。
私は、テレビはいらないと思っています。
自分にとっては害の方が多く、全く不要なものです。
ひとりで暮らしていた頃は、テレビはありませんでした。
4年間、それで困ったことはありません。
今は一緒に暮らしている家族がテレビをよくつけているので、
そして、それはリビングの、キッチンの正面の位置に置いてあるので、
どうしても目に入ってしまうのですが、
「テレビがついていると消耗するなぁ~」というのが、私の正直な感想です。
あまりにテレビによって自分のエネルギーが落ちるので、
何が起きているのだろうと熱心に観察していたところ、あることに気づきました。
旧式のブラウン管のテレビより、最近標準に見かけるようになった、
大きくて薄型の、液晶テレビというのかな?あれになってから、特に、
出される音と光の刺激がめっちゃ強いということに気づいたのです。
どうやら、私はこれに耐えられないようです。
このテレビがついているだけで、意図的に見ていなくても、
いつのまにか酔ったように気持ち悪くなったり、全身が疲労したりします。
自分の他に、こういう人はいないのでしょうか…?と、疑問に思います。
私にとってはまるでもう、一種の兵器のようにすら感じる強烈さなのですが(笑)
そして、テレビを本当に楽しんでいる人もいるのでしょうけれど、
長年、私が観察していて気づいたのは、
テレビを見ている人は、
「本当にその内容が必要だから、見たいから、見ているとは限らない」
ということです。
なんとなく、習慣的につけている、かけっぱなしにしている、
という人も多いように思います。
そうすると、テレビの方は、プログラムをだらだら詰め込んでくれるのです。
また、本当はそうでもないのに、
「必要と思い込んで情報を摂取している」人もいるように思います。
ところで昔、私が友達と旅行に行ったときに、
旅館のお部屋に着いたとたん、友達がテレビをつけたので、
私は心底「ぎょぎょぎょ!」と、思ったことがありました。
あたりの静寂とか、旅行先の空気とか…は、どうでもいいのかな!?
テレビなんてなくても、いっしょにおしゃべりすることもできるし…。
なぜここでテレビをつける?と、私は思いました。
でも、友達は本当にテレビを見たいのかもしれないよね…?
批判せず、それは尊重してあげたら?…と、
小心者の私は当時、口に出さずにすばやく悩み
(こんなことで葛藤するなんてね!しかもすでに心では批判してるし 笑)、
勇気を出してようやく伝えたのが、
「ボリュウム小さくしてくれる?」
でした。
当時は、思ったことをダイレクトに伝えてみる、
ということがとても難しかったようです!
いや、
双方の別々の主張が対立して、権力争いになるのが怖い、
相手を批判していると取られるのが怖い、
という怖れのために、こうして自分の本音、意見を控えてしまうことは、
意外と多いのではないでしょうか!?
いつかちらっと書きましたが(◆「ちょっと補足:コミュニケーション」)、
コミュニケーションをとるとき、何か伝えたいときは、
怒りやおびえを持ってではなく、「まずスピリットとつながってみる」。
これができると、自分の怖れはどんどん消えていくはずですね~。
☆☆☆
生きてると、私たちは色んな情報を無意識に取り入れています。
その中には、自分がさほど望んでいないのに、
表現は悪いですが、
たとえるならば与えられた餌を、満腹なのに食べ続けてしまう習慣みたいに、
取り入れている情報も多いと思うのです。
そして、それがいつのまにか、なんとなく自分の標準になっている。
そういうもので塗り固めちゃって、自分のスピリットをさえぎる障壁になっている。
もしそうだとしたら、なんだかちょっと、ばからしいと思いませんか?
確かそうに共有されて、流されている情報だって、
誰によって作られているかも、わかったものじゃないのに。
私は内心こういうことを感じ、疑問に思いながら生きている人間なので、
今日のブログはいつもよりいっそう具体的ですよね(笑)
そういうわけで、私は、情報断食というのをおすすめしたいです。
テレビに限らず、本や新聞、音楽、インターネットしかり。
外部から取り入れる情報を極力減らしたとき、
また、いつも習慣的にしている行為をしないでみるとき、
自分が何を感じるのか、そこに空いた空間からは何が出てくるのか、
これを、定期的に体験してみることを、おすすめします。
娯楽って、本来、そういうものじゃないと思うのです…。
遊ぶこと、創造することって、もっと、自由なものだと思うのです。
内から湧いてくる楽しさが、外の何かによって埋められて、
だんだんそういうことに麻痺していって、それに気づくことができなくなっていたら、
寂しいことじゃありませんか?
何もなくても、目の前の人や、ここにあるものと、私たちは向き合えますよね。
静寂に耳をすますこと、ただじっと眺めることで、伝わってくる感覚がありますよね。
とくにこうしたスピリチュアルな分野に関心をお持ちの方で、
もし、「スピリットの声をもっとよくききたい」とか、
「霊能力(第六感)を磨きたい」とか、考えている方がいらっしゃったら、
特別な修行や、エネルギーワークに励むことよりもまず、
外の刺激で自分を埋めないで、自然と起こることを感じてみること
これを心がけるのが第一だと思います。
何の手間も、投資もいらず、必要なのは自分の注意と意志だけですから。
それでは、また次回お会いしましょう~♪
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