こんにちは~(*^▽^*)
どんどん春になっていきますねぇ。
駅の近くで、パンジーがたくさん咲き乱れているところがあるのですが、
そこを通ったときハチミツみたいな独特のパンジーの花の香りがして、
楽しいです☆
ハチミツはもともと色々なお花の蜜ですから、
ハチミツの香りっていうのも変な表現かもしれないけど(笑)
パンジーがこんなにいい香りなのは、
実家で父が育てている鉢植えのパンジーで知りました!
ほんと、お花ってかわいいよねぇ。ビバ、地球!!
…さてさて、きのうの記事であるこちら↓
「ブレイクスルー」
でも、またしても、コメント欄が充実した内容になっています。
記事の補足になってます!
コメントくださった皆様、ありがとうございます!!(人´∇`).*:.☆.*:゜
その昨日の内容にも関連して、今日のお話は
「世界を居心地よくするには?」
です。
☆☆☆
世界も、自分も、批判しない。
その上で、自分の世界をいかに心地よくするか?
前回の記事の中で、批判は自分の首を絞めてしまうね、
と、お話ししました。
でもこれは、「批判」の気持ちを持ってしまった自分を裁こう、
ということではありません。
そうなってしまったら今度は、自分を批判することになりますね(笑)
あれれれ、批判のループになっちゃうぞ
というわけで、世界も、自分も、批判しない。
ここのところは非常に大切です。
これは昨日の記事とコメント欄でのやりとりとつながるのですが、
自分を自分が認めているとき、
自分を愛しているとき、慈しんでいるときに、
ものごとや人を「批判」するということはないのですよね。
自分の存在(または現実)がおびやかされている
という気持ちがあるからこそ、批判をするのです。
…それって、すべてを肯定して(受け入れて)、
異議を唱えないようにするということ???
という疑問が浮かんだ方はいますか?
それはまったく違いますね。(・ω・)/
自分の考えを持つこと、異なった意見を発言すること、
ときには、意見すること。
これ自体は、批判とイコールではありません。
「批判はしない」ということを心がけているあまり、
何かを否定する意見まで言えなくなったり、
自分の本当の気持ちを抑えつけてしまったことはありませんか?
それではアンバランスになってしまいます。
仮にですが、もし、その中に、
「批判の心」が含まれていたとしても、怖がることはないのです。
批判している自分に気づけた、
そのことにまずは拍手!(´∀`)
あらわれてくれた批判の気持ちに感謝をしてください~☆(笑)
それはあなたへのシグナルになってくれました☆
そして、そんな(批判の心を起こした)自分を嫌わずに、
批判の根源にある動機をみてみましょう!
自分の心が、どんなことを言っているのか、
何を信じているのか…などを知るのです。
きっとあなたは、「なるほど~」と、
ふだんからそこにあったのに 自分に見えなくしていたもの
をみとめるでしょう。
ところで、
ただの意見や忠告、感想と、
批判の違いは、背後にある感情、エネルギーでわかります。
その意味では、たとえ言葉や態度が友好的であっても、
批判されているとき、人はわかるものですね。
☆☆☆
私のケースを例にあげます
「ブレイクスルー」の内容に書いたように、
私は、観念が驚くほどきちんと現実に作用しているとわかりました。
「批判」についてもそうだったのです。
(※ここでは、そこにフォーカスしますが、
もちろん同じ私の人生の中にも、心から肯定し励ましてくれる人や、
理解してくれる多くの人がいたのもまた、事実です。
誰の人生にも、色々な人が登場していることでしょう。)
私は、自分に、
「変われ」
「もっと~になったら。」
「現実的になれ」
「考えるな、感じるな、平気になれ。
それができないのは、修行が足りないからだ、未熟だからだ。
そこを直しなさい」
…というようなことを、言葉やその詳細は変わっても、言ってくる人を、
よくまぁ飽きずに、現実にあらわしていたようです(笑)
とくに戸惑ったのは、
最初は自分のことを褒めたり、共感してくれたり、
理解していたかに見える人が、
そういうことを言ってくるようになるときなのでした。
あるとき、とてもわかりあえる部分もあった友人が、
私に対していつのまにか「批判的な人」に転じてしまったとき、
(友人が年上だったこともあり、お説教が多くなりました)
私は私で、友人の観念や批判的な心に気づくことになりました。
それは、あくまで、
「友達だから心を鬼にして言うね…」
「あなたのためを思って言うけど…」
という風に伝えられていたのですが。
そのことに気づいてみると、その友人は、
人に対しても批判的なだけでなく、
本人(自分自身)にも、やはりとても厳しいのでした。
そしてまた、先輩・後輩関係にこだわる、
年齢についての観念も持っていました。
(これは本人が、自覚していました。)
年齢についての上下関係の観念については、
私の現実には色々な年齢の人々がよく登場し、仲良くなっていますが、
あまり垣根を感じたことはありませんでした。
なのでこの点については、私は同じゲームに入ることなく
(相手が年上だということを理由に萎縮したり心が動揺するということはなく、)
客観的に観察することができたのです。
ただ、心を通わせた友人が言うことです、他の点については、
「私は本当にそうなのだろうか。そういう人間だろうか。」
と、かなり悩んだことがありました。
なるほど。彼女が自分自身に厳しく、自分を批判する人だったのね。
だから人にも厳しくて、批判してしまうのね。
…それでこの話は終わりません。(ノ´∀`*)
そのときの友人との交流はもう途絶えていますが、
今回の記事を書くにあたって、
「あぁ、あの友人との件も、まるで同じテーマだったんだなぁ」
というわけで、私は思い出したのです。
もし、その当時に、
「あの人が批判的な側面を持ってる」
そこからもう一歩すすめれば、自分をよくわかったのにね(笑)
☆☆☆
そんなはずはない、
私が自分自身にそんなひどいことを言う人をあてがうはずはない、
そんな苦しい状況をわざわざ自分がつくるはずはない、
そう思う人はどれだけいるでしょうか?
でも、心の中をみてください。
思考の声に耳を傾けてください。
他でもない、「私」が、どれだけ自分を批判しているか。
外に見える現実はフィードバックにすぎません。
実例として
前回の記事と、今日の記事のこの箇所↓
「変われ」
「もっと~になったら。」
「現実的になれ」
「考えるな、感じるな、平気になれ。
それができないのは、修行が足りないからだ、未熟だからだ。
そこを直しなさい」
…笑っちゃうほど共通点が多いではありませんか!?
そんなことない!
私はこれで生きていきたい!
平気にはなれないよ!
考えるし感じる!
どんなに私がそう反論しようが、精一杯抵抗しようが、
私は同じゲームに乗っている。
なぜなら私がそれを信じていたから。
そもそも、外の人としてあらわれていたことは実は、
私が、私に向かって言っている心の声だったから。
あなたが抵抗するもの、反感をおぼえるもの、
「これがどうしてもいやだ~」
と、声を上げたくなったり、
「反対」・「批判」
したくなるのは、
皮肉ですが!?(いや、笑えてしまいますが、かな??)
それを認め、自分がそこに力をあずけているからこそ、
なのですよね…。
要するに、
現実から除きたい「それ」が、
自分の現実に存在するということを確信している。
そこに力があると思っているから、
エネルギーをたくさん注いで、
嫌ったり反対したり批判したりするわけです。
つまり嫌ったり反対したり批判することで、
そのベクトルがどうであれ、あなたは強烈なエネルギーを付与して、
その対象の存在感を強めるのだ~!!
なので、
「嫌なこと、望んでないことの方がいっぱい現実になってる」
気がしている人は、
①まず、自分が望まない観念をしっかり信じているということ。
②それを信じているので、「反対する」「嫌がる」「怖れる」
…などの形にせよ、そこにものすごくエネルギーを送っていないか。
この2点をチェックしてみてください。
そして、批判や反対や防衛をする代わりに、
「私にはこれは必要ない。私は、○○を選ぶ。」
と、ただ自分の望む方へとエネルギーを向け直してください。
前半に書いた、根源を見つめるのと一緒にね。
最初は、意識の作業自体になじみがないかもしれませんが、
こうしていくと、あなたの世界はどんどん居心地よくなります
★vanillatreeのスピリチュアル・カウンセリングはこちら ★
「個人セッションのご案内」
読んでくださりありがとう~☆
クリックお願いします♪
精神世界ランキング
人気ブログランキングへ
感謝です!