BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

真我も死後も今同時にある☆

おはようございます(^∇^)

こちらはもうツバメさんがやってきて、毎日気持ちよさそうに空を飛んでいます♪

朝、鳥達の美しい鳴き声をきいていると…うっとり、

「天国」という言葉が浮かんでしまう私です。


さて、今回は、「死後のこと」や「霊、意識」について、さらに書きます。


これまでも語ってきたことではあるのですが…

最近、新たにご訪問くださった読者さんもご覧になっているかもしれないので…


今日の話はとっても大事!

と、言わせてください(笑)


タイトルは、

「真我も死後も今同時にある☆」です。



今日はあえて「真我」という言葉を使ってみました。

イメージしやすいかな?と思ったからです。

概念として同じことを指す言葉は色々あって…

「大いなるすべて」とか「源」とか…

結局、私たちが現在認識している「変化していく自己」ではなくて、

すべての大元である、常に「在る」存在の本質そのものを指す
、と思ってください。

呼び方は何でもかまいません。


スピリチュアリティーにフォーカスしている方の中でも、依然として

「現在の自己(個)から、大元の自己(真我)に、かえる」

とか

「真我と一体になることを目指す」

という思考をしている方が多い気がしてなりません。


その思考からは、「個」と認識できる自己は、真我に消えていく…

(まぼろしであると認識する)というのが、

「正しい在り方、目指すべきところ」に思えるのかもしれません。


悟りを追う人の中には、それが「悟り」と認識している方もいらっしゃるかも。



なるべく簡潔に表現します。


個の体験をしている霊も※、

(※私たちから見て生きている・死んでいるは関係ナシ!)

人間以外のありとあらゆる存在も、


あまねく「すべて」である真我も、

今、同時にあります。


「どちらか」ではなく「どっちも」です。


死んだら、真我にかえれるわけではないのです。

悟ったら、真我と一体になるわけではないのです。


今、あなたは真我であるし、その中で個の体験をしている霊でもある。



真我の中で、それ自身がすべての経験をしています。

あなたも、私も、どんなひとかけらも、

真我が自分を、いわば「ありとあらゆる角度から」経験しています。


だからといって、個としての私たちは単なる「道具」や「データ」…

と解釈できるような存在なのではありません。


なぜなら…

私たちの本質は、何をどうしても「真我そのもの」だからです!


すべてである「存在」を、他のものにすることはどうしてもできません。

他のものである「ふり」ができるだけです。

ですから、どんな「個」としての霊的存在も、

唯一無二でありながらも皆、その中に「すべて」を持っています。


どこまでいっても、私たちがたとえ「小さく」感じたとしても、

それはリトル「全体」である。

これを、「ホログラフィック」という言葉で、過去記事では説明しました。



そしてよく、探求の対象…ゴールとみなされがち?な「真我の“ただ在る”」ですが、

これについては、

ひとつのものとしての「ただ在る」状態にフォーカスするなら、

「ただ在る」だけなんです。



けれどもその「ただ在る」のでは、それを「すべて」たらしめる、

自己内のヴァリエーションすべてとしての概念、活動が永久に起こっていて、

いわば、その活動的な経験の状態にフォーカスしているのが私たちです。


そこには、ありとあらゆる概念、ありとあらゆる存在があります。

その探求は、創造は、無限です。

無限の創造だから「終わり」なんてないんです(笑)


それぞれの存在が、発見、発展し続けます。


まとめると、

私たちは、「私(真我)」の中の活動する構成要素であり、

同時に、その正体は「私(真我)」そのものでしかありえない。


そして、

個別に活動している構成要素の意識は…

(私たちは今、表層的には「忘れる」という体験をしていますが)

たとえ私たちからみて素粒子以下のような、どんな微小な意識も、

自分自身に「気づいて」います。


ですので、個の意識、個性、Individuality(個体性)があっても、

私たちが錯覚しているような「分離感」がありません。


先の説明を思い出してください。

自分が誰であるかを認識していれば分離感を持ちようがないのです。


さらに、

どんな「個」としての形態もまた、「すべてである真我」である以上、

それ自身の活動の中での変化は経験できても、

本当の意味で消滅することはできません。


創造されたものは、永遠に存在し続けます。


私たちにとってわかりやすい観点からお話しすると、

私たちはあるものから「フォーカスをそらす」ことはできますが、

「それを消滅させる」ことはできないのです。


あなたは、「何を“私”と思うか」、「何を私として経験するか」

というフォーカスは移動・変化させることができますが、

私そのものも、その選択肢としてすでに存在しているものも、

消すことができません。


たとえば、この人生の自分から関心を失うことはできますが、

この人生の自分を消滅させることはできません。



ここに、気づいていただけたら嬉しいのですが…


「目覚める」というのは、「個の認識」が消えることではないんですね。

「個としての存在を否定すること」でもないのです。


そうではなく、自覚を持つことなのです。



あなた自身が、この体験にフォーカスしている自己です。

あなたが、これを選んだ自己です。

そして肉体の「死後」であろうが、「目覚めた」後であろうが、

自分の意識を働かせ活動し続けます。


物質だけの世界などなく、あなたに押し付けられた世界もなく、

すべてをつくっているのは意識であることを、思い出しながら。


生きている・死んでいる、

閉じ込められている・開放されている…

それらは全部、あなたの心の中でつくった「壁」で、活動で、


今も、あなたは自由です。



よい週末をお過ごしください☆


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