「無ベースから有ベースへ」
…このタイトルがふさわしかったかどうか、やや疑問なのですが(笑)、
どうやらこれでひと通り、完結編です。
前回の記事◆「闇LOVE月間(無ベースから有ベースへ4)」
「大丈夫!私はあなたを見捨てない。」
あなたはこれを、自分に約束できますか?
何を見ても、どんな自分を発見しても、私は私を見捨てない。
生涯の愛を、誰かに誓う前に…
あなたは、自分と結婚してますか?
生涯の愛を、自分に誓っていますか?
二極性を統合するということは…
それは外にあるのではなく、
自分の中で、自分の両極が結婚することだなと、私は実感しました。
ちょうど今朝、こんな夢を見ました。
☆☆☆
とてもとても、広い会場。
多くの男女がいる。
長く、何列にもわたって設置されたテーブルの、
一方の側には男性、一方の側には女性が座って、
なごやかに話しながら飲食をしている。
(今思えば、合同コンパ、というような光景でもある。
これ、あくまで「合同コンパ」と呼びたいもので、現代の合コンではない 笑)
ざわついた会場は、もしかしたら野外だったのかもしれない。
とにかく広くて、多くの人がいるのだ。
と、そのとき、震度としてはたいしたことがなさそうだが、
地震が起こった。
念のため、みんな、テーブルの下に入って身を隠す。
会場は、簡易に設置されたものなのか、テーブルは折りたたみで、
ブロック塀などもあり、しゃがんだ位置からはそのブロック塀が見える。
結局、地震は短く終わって、皆、テーブルの外に出る。
気づくと、全員、裸である。
会場を取り仕切っていた、教師のような人たちが、
「え~、今後、このような地震があるとも限らないので、
ここで、男女グループごとに抱き合って、よろしくね、と、
相手にあいさつしてください!」
と、アナウンスする。
皆、適当に、自分の横6人くらいずつでグループとなって、
真っ裸のまま、男女の組み合わせで、ハグし合う。
そして、ぴったり抱き合ったまま、耳もとで、かならず
「よろしくね」と、ささやくのだ!
夢の中の私は、今の私とは違う人間だけれど、女性だった。
かなり豊満な肉体で、むちんむちんしており、
そのやわらかい体で、男性側の平坦な胸板にむぎゅっとくっつくと、
一体感があって、心地よかった。
でも、この気持ちよさは、
私がこの体を所有していても、ひとりでは感じられない、
相手の「平坦な体」があってはじめて、そう感じられるものなのだ。
しかも、そうしてペアになる人全員と一体感があるわけでなく、
私には、外見からではなく、「きっとこの人だ」と思う相手がいた。
そして最後に、その人と抱き合う機会がきて、
「ああやっぱりそうだ!」と思った。
相手も、同じことを感じているとわかったし、そう言ってくれた。
この儀式は、他の人とでは型通りな儀式にすぎなかった…。
私は、この人にこそ、「よろしくね」を言う意味があったのだと、わかったのだ。
(夢の内容、ここまで)
☆☆☆
私はよく、「自分の相棒」を探す夢を見ていました。
それは必ず異性で、ペアになってはじめて、私は宇宙船に乗れる…とか(笑)、
そういう切実な内容の夢です。
私はもはやそれを、いわゆる「ツインソウル」だとか「ソウルメイト」としての、
男性のパートナーを探す夢だとは思いません。
今朝の夢もそうなのですが、
私は、自分の男性性と女性性…に象徴される、
内にある二極の統合を、夢で見ているのだと思っています。
それは、光と闇、と表現しても同じです。
私は、今回のこの「私」をいただき、
その中で体験した、いかなる二極をも、私の中で融合するのです。
自分の中の両極が結婚してはじめて、
私はWHOLE(全体)として生きるのです。
自分を2つに分けて、「こちら側が自分」と決めるのではなく、
両を受け入れてこその自分。
何が見えても愛しているよ。
その体験もいいよ。
そう言って、見えたものすべてを胸の中心で抱きとめる私、
いわば「親」、宇宙の巨人が、「WHOLEの私」なのです。
これは…究極の「有」、
つまり有る、と無い、の二極の一方の有ではなく、
「ただ在る」の、「在る」ということです。
そこには、「無い」というコンセプトすら、含まれるんだよ。
そういう体験もできる。そんなにも、自由。
☆☆☆
ずっと書きたかったのですが、
こうしてブログを書いてコメントをいただくことや、
セッションで、クライアントさんのご相談をきくことで、
私には、はっきり気づくことがありました。
本当に畏敬の念に打たれるとしか言いようがないのですが、
どの方も、どの方も、自分の分身だ、という実感があるのです。
誰もが、自分に似ている。
現象はさまざまでも、一見違って見えても、
本質を見てみると、ああ、それは私もわかる…と、
胸のベルが共鳴して鳴るのです。
心の中心とつながり、スピリットとつながり、
相手の方へお伝えするメッセージというのは、同時に、
自分への癒しでもあると気づきました。
また、不思議なことに、どんなご相談内容について見ていても、
話していくうちに含まれる、あるポイントが、
「あっ、これは今の私へのメッセージだ」
と、気づくのです。
ときにそれは、クライアントさんの方が何気なく言った言葉だったりもします。
癒す側と癒される側の区別なんて存在しない。
これがはっきりとわかります。
見せていただいたものを、私は、受信し、
「ありがとう」と、胸に溶け込ませますが、
これは、私がひとりではできないことを、
皆さんが、運んできてくださるのだ。
心から、そう思い、感謝します。
☆☆☆
だから、これは、そんな体験をした私からの、メッセージ。
どんな表現をしているあなたがいても、どんな状態のあなたがいても、
あなたは、誰かにとっての「癒し」です。
あなたが生きてくれているだけで、
あなたがそうしてあなたとして存在しているだけで、
その「表現」に、意味があるんだよ。
そして、それに救われる人間が、必ずいます。
切り離されて存在している者がいないということは、そういうこと。
すべてである存在が、あなたというフォーカスを創った。
そうやって、他のどれでもない、あなたという存在を体験している。
奇跡は何かと問われれば、あなたそのものと言うしかない。
どの体験も、どの体験も、どの体験も…
あなたを通したものは、すべて完璧に美しい。
お読みいただき、ありがとうございました
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