BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

存在の輝き

こんにちは~♪

「宇宙人宣言」後の流れを汲む記事を始める前に、
数日前に書きためてあったこちらの記事をまずアップします☆ヾ(^∇^〃)


☆☆☆

記事ではよく「私たちは同じ、ひとつ」という話をするが、
これが、自分の「怖れ」に入っているときには、奇妙な変化をする。

つまり、みんな同じ人間なのに、
自分が相手を怖れたり、非難していたり、どこか責める気持ちでいるときには、

相手が「自分の頭の中のモンスター、危険人物」になってしまうのである。



それじゃあ、実際の相手の姿を心の目で見たらどうなるか。

そこに、危険なものなど、存在しない。

相手はただ、傷ついている、愛がほしいということを、
自分のやり方で表現していただけかもしれない。

あるいは、あなたのフォーカスしていたことについては、
まったく何も思っていないか、
本当は別のことを語っているのかもしれない。

ケース・バイ・ケースであるが、しらふの目で見てみれば、
自分を守らなければならないようなことは何も起きていない。

自分から心を開いて…ハートからハートへのテレパシー
(情報がフィルターを通さず直接入ってくること)、あるいは、
直接のコミュニケーションをとることができたとき、このことは簡単に明らかになる。



相手を攻撃し返さなければならない!
何らかの形で、対抗…自分を守らなければならない!と感じたら、
それは、すでに何かものの見方を間違えているということである。

自分自身の中にかならず怖れがあるということだ。

自分が心の源とつながっていれば、人がどんな表現をしても、無害。
実際にどう応えたらよいか、あるいは、アクションとしては何も起こさないで、
ただ中立な光を返すのがよいか、自然とわかってくる。


自分がすでに「自分の中に不安や不足」を感じているとき、
人は、簡単に外のものに不平・不満を見出してしまう。

人をつついて色々なことを思っているとき、自分の道からそれている。

自分の「創造性」をどこかで制限している。


心の源にしっかりつながり、自分の創造性を発揮する方向へ心を向け直すと、
そこに集中していると、

人の「すばらしさ、尊さ、強さ」に寄り添うことはあっても、

人の人生をつつこうだとか、批判しようとか、干渉しようとか、
自分が癒してあげなければならないので、あの手この手でどうにかしようとか、

そんな発想が浮かばなくなる。


真に助けになることは、何か?

同じ人間として、常に「神性の提示する道」に集中することでのみ、
その答えは見えてくる。

もちろん、そうしながら人と交流する機会、
具体的に何かする機会も、たくさん訪れるだろう。


人との交流はとても大切だけれど、
それぞれの人を「無限の力をもつ尊い存在」と見ることができなくなると、

人は、間違えてしまう。

自分の人生の責任を他者にとらせようとしたり、
他者の人生の責任を、自分がとろうとしてみたり、

どちらも「神性の道」から、はみだしている。迷い道コースである。


「自分のものの見方、体験している現実」は、自分で変えられる。


でも、個としての人がどう人生を歩むか、どういう選択をするかは、
完全に、それぞれにゆだねなくてはならない。


相手その人を変えようとする試みは、間違っている。
もしそう感じたら、それは「自分のものの見方の歪み」である。

自分がインクルードした(体験として含んでいる)中にある、
その人に対する自分の「視点」を見つめ直すことで、自分の現実は実際に変わる。


最高のやさしさは、魂のあらわれとしての相手に敬意を払い、
この冒険をしている「仲間」として相手に光を見ること…
中立な光を送る、光だけを反映することだ。

相手が「このドラマ」の中で何を演じているかということより、
その根柢にある「存在の輝き」に、焦点を合わせることだ。

そうすれば、互いにとって有益な貢献ができる。


その姿勢を保つには、忘れないためには…
自分がしっかり源とつながっていること、
いつもそこから供給されている、満たされていることを知ること、である。


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