ときどき、波のようにやってくるこんな時期。
どんな時期かというと、ゼロに戻ってただ流れる時期。
そんなとき、自分の中の「もの言わぬ存在」をBig Up!(←スラングで、感謝するとか尊敬するみたいなニュアンス)
ぐにゃぐにゃに流動的な存在としての自分を、そのまま自由にしていると、
何も起こっていないのにエクスタティックになります。
ただ生きていること、それ自体が、よろこびマックス。
宇宙人の視点で、「地球って面白い!」と、全部をよろこんでる感じ。
その種明かしをすれば、自分の内面のあらゆる部分が、
くまなく踊るのだ。どれも、はみ出さず、置いてきぼりにされずに。
そんな風に過ごしながら、英語でいうと「slightly」スライトリー、かすかに、
でも確かに。外に見える現実が、
つまり政治だとか世界規模の、
いかにも自分は直接携わっていないかのような現実まで、
別世界に変わっているのを感じる。
あれー?
いつもだったらネガティブな目線からのニュースになりそうなことだけど、
ものすごくポジティブに発言している人がいるよ?とか、
ふだん批判しがちな傾向を持っていた人が、
人に寛容で、理解を示し、さらにほめたりまでしているぞ?とか。
SFみたいに、一夜にしてガラッと世界の姿が変わったりはしてない。
でも、確実に、前と違う。
希望のかたまり。
どの人も、どんな局面も、開花していく感じ。
同じ自分じゃない。同じ人はいない。同じ世界はない。
それでもさりげなく、さりげなく、今までの延長みたいな感じで起こる。
根底に流れるリズムが、体を揺すぶり、スパークしていく。
自由が、体の芯で広がっている。
世界…宇宙そのものが一体となり、鳴り響いて踊っている感じ。
両極という表現が、怖れではなくなる。
それらがバランスを取って、ショーを展開しているのを見ている。
ちっとも、よい、悪いではなくなる。
次は何?と、目を見張る、様々な形の映し絵に似ている。
この「私」ならば、包める。見たものを、そのままで。
☆☆☆
こちらの現実では新年ではないのに、
私は今朝、夢の中で新年の花火を見ていた。
クラスルーム(教室)の窓から、私たちは、それを見ていた。
夜空に、色とりどりの、色々な形の花火が次々と浮かんだ。
四角い花火とか、見たことのない形のものもあった(笑)
みんなで、歓声をあげながら、見た。
起きてから、「んー?バリ島のニュピ(バリ暦の新年)が近いからかな?」
なんて思ってみたが、今年は3月23日だそうだから、まだ先だ。
※私は一時期、バリ島に関連する夢をやたら見ていたことがあるのです。
それで、起きてからとっさにそう考えました。
何かの幕開けなのだろうか。
自分の中の「フタ」が、しずかにしずかに、開いていくのを感じる。
いや、その開口部は、いつだってあったのだが。
ただ根底にある愛以外、私をここに存在させるものはいない。
存在根拠は、それ以外どこにもない。
だから私は笑っていられる。
胸が苦しくなるほどのときめき、愛しさを、歯止めをかけずに流していける。
それらは、「体」という見かけを超えて、あふれる。
境界から浸透して、とどまることなく、外へ出ていってしまう。
「個の私」という存在を動かしている、背後にある力。
私の「形」をぱーんと砕いて、ひろがっていくもの。
障壁を、押し流すもの。
全部はずすと、あなたには、何が残る?
思惟上の枠を全部取ってみたら、一体何が?
☆スピリチュアルカウンセリング☆