BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

チーム、そして創造の話。

非物質的な存在についての話題です。

私たちは、あたかも肉体や物質だけにフォーカスしているような体験をしながらも、
同時に非物質的な存在です。

このことを理解していれば、ここ(地球体験)にログインしている存在が、
皆、物質的形状を持って(表現して)いるわけではないということも、
受け入れられるのではないでしょうか。

もちろんどのような存在も、同じひとつの源からあらわれているわけですが、
私は今は、さまざまなインスピレーションからこう思うようになりました。

私たちの体験しているこの宇宙(世界)や、
人間という体験を可能にした・プログラミング(創造)した存在は、
私たちの「根源的な自己」と言うことができるのですが、

その存在を「ひとつだけの頂点」と感じるのは間違いで、
この外に出ると、さらに複数、その存在と同等の存在もいて
別な宇宙(便宜上「宇宙」と表現しますが、要するに他の創造という意味です)も、
きりがなくあるのだろうと

意識が認識できる限界、境界にぶつかると、
私たちは「無」だとか、なにもない、と捉えてしまいます。

どこまでいっても、どんな存在もすべて、「同じ」源を分けたもの、
同じ源を含むものではありますが、

果てしなく見ていくと、そこから生み出された下位構造である、
同じ源を含んだままの細分化された“個”もまた、
それぞれが自主的に創造し、やがて「独自の宇宙の創造主」になるのではないかと。

そしてその頃には、上位構造と呼べる方も、同時にさらに別な創造をしているのです。

同じ源を分けた各存在は、ひとつのつながりとしてネットワークしながら、
永遠に創造し続けるのです。


この説明で便宜上、上位とか下位という言葉を使うことをおゆるしくださいね。
それは、優劣という価値観で使っているのではありません。

よくある垂直線上の(上に向かう)進化のことではなく、
すべてが同時に存在し、全体がネットワークとして機能している中での、
「ひろがり」という見方を描写するために使っています。

ですから、既存の宗教的な価値観といいますか、
人間の価値観をそのまま適応した「神」や「創造主」という概念には、私は疑問を持ちます。
いわゆる“スピリチュアル”な考えにふれる中でも、それを感じることがあります。

意識に限界を設けてしまうことだけは避けたいなと、このごろよく思うのです。
少なくとも、自分が設けてしまっている限界に、意識的でありたいなと。

☆☆☆

私たちのサポートをしている非物質的な存在についても、
私は「チームとして考えてください」と、お伝えしたいんです。

こんな風に想像してみてください。

この世界における仕事や何かのチームでも、ひとりひとりが協力し、助力しあいますが、
それはひとりひとりの自立や、成長の機会を奪うものではないですよね。

それぞれを信頼しているからこその関係。

チームとしてのまとまりや役割分担はありながらも、
それぞれが、それぞれの立ち位置を活かして、自分にできることをしています。

人間体験をしている私たち、としてだけではなく、
スピリット(霊)としての自分を捉えた場合にも、
やはり誰もがチームに属しているということができます。

参考までに申しますと、
私が今まで感じてきたヘルパー存在からのエネルギーは、
私自身の自由意志や、考える力を奪うものではありませんでした。

私の自主的な「意志」が何よりも、第一に必要なのです。
私は、私の同意した、合意した法則に従ってはいるものの。

どの立ち位置にある、どの存在も、尊重されているのです。

ですから、私が自身の力をないがしろにし、それを放棄して頼ろうとするときには、
そういったヘルパー存在のエネルギーは、ヒントを提示しながらも、
「自分で考え、決定してごらん。」
「あなた自身の力を忘れていますよ。」
というレスポンスを返してくれるのです。

私たちは、自分たち「肉体を表現している生き物」だけが、
つまり目に見えたり形を持ったりしている存在だけが、
考えたり感じたりできているかのような狭いイメージに陥りがちですが、
果たしてそうでしょうか!

見えない存在も、あなたという個人の体験を、支えていて、
彼ら自身の体験も、持っています。

見守ったり、協力したりしつつ、彼らも学び、共有しています。

今日の話はここまでです!

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