非物質的な存在についての話題です。
私たちは、あたかも肉体や物質だけにフォーカスしているような体験をしながらも、
同時に非物質的な存在です。
このことを理解していれば、ここ(地球体験)にログインしている存在が、
皆、物質的形状を持って(表現して)いるわけではないということも、
受け入れられるのではないでしょうか。
もちろんどのような存在も、同じひとつの源からあらわれているわけですが、
私は今は、さまざまなインスピレーションからこう思うようになりました。
私たちの体験しているこの宇宙(世界)や、
人間という体験を可能にした・プログラミング(創造)した存在は、
私たちの「根源的な自己」と言うことができるのですが、
その存在を「ひとつだけの頂点」と感じるのは間違いで、
この外に出ると、さらに複数、その存在と同等の存在もいて、
別な宇宙(便宜上「宇宙」と表現しますが、要するに他の創造という意味です)も、
きりがなくあるのだろうと。
意識が認識できる限界、境界にぶつかると、
私たちは「無」だとか、なにもない、と捉えてしまいます。
どこまでいっても、どんな存在もすべて、「同じ」源を分けたもの、
同じ源を含むものではありますが、
果てしなく見ていくと、そこから生み出された下位構造である、
同じ源を含んだままの細分化された“個”もまた、
それぞれが自主的に創造し、やがて「独自の宇宙の創造主」になるのではないかと。
そしてその頃には、上位構造と呼べる方も、同時にさらに別な創造をしているのです。
同じ源を分けた各存在は、ひとつのつながりとしてネットワークしながら、
永遠に創造し続けるのです。
この説明で便宜上、上位とか下位という言葉を使うことをおゆるしくださいね。
それは、優劣という価値観で使っているのではありません。
よくある垂直線上の(上に向かう)進化のことではなく、
すべてが同時に存在し、全体がネットワークとして機能している中での、
「ひろがり」という見方を描写するために使っています。
ですから、既存の宗教的な価値観といいますか、
人間の価値観をそのまま適応した「神」や「創造主」という概念には、私は疑問を持ちます。
いわゆる“スピリチュアル”な考えにふれる中でも、それを感じることがあります。
意識に限界を設けてしまうことだけは避けたいなと、このごろよく思うのです。
少なくとも、自分が設けてしまっている限界に、意識的でありたいなと。
☆☆☆
私たちのサポートをしている非物質的な存在についても、
私は「チームとして考えてください」と、お伝えしたいんです。
こんな風に想像してみてください。
この世界における仕事や何かのチームでも、ひとりひとりが協力し、助力しあいますが、
それはひとりひとりの自立や、成長の機会を奪うものではないですよね。
それぞれを信頼しているからこその関係。
チームとしてのまとまりや役割分担はありながらも、
それぞれが、それぞれの立ち位置を活かして、自分にできることをしています。
人間体験をしている私たち、としてだけではなく、
スピリット(霊)としての自分を捉えた場合にも、
やはり誰もがチームに属しているということができます。
参考までに申しますと、
私が今まで感じてきたヘルパー存在からのエネルギーは、
私自身の自由意志や、考える力を奪うものではありませんでした。
私の自主的な「意志」が何よりも、第一に必要なのです。
私は、私の同意した、合意した法則に従ってはいるものの。
どの立ち位置にある、どの存在も、尊重されているのです。
ですから、私が自身の力をないがしろにし、それを放棄して頼ろうとするときには、
そういったヘルパー存在のエネルギーは、ヒントを提示しながらも、
「自分で考え、決定してごらん。」
「あなた自身の力を忘れていますよ。」
というレスポンスを返してくれるのです。
私たちは、自分たち「肉体を表現している生き物」だけが、
つまり目に見えたり形を持ったりしている存在だけが、
考えたり感じたりできているかのような狭いイメージに陥りがちですが、
果たしてそうでしょうか!
見えない存在も、あなたという個人の体験を、支えていて、
彼ら自身の体験も、持っています。
見守ったり、協力したりしつつ、彼らも学び、共有しています。
今日の話はここまでです!
クリックありがとうございます
スピリチュアルカウンセリング