こんにちは~☆゚.:。+゚
今日はうちの方は晴天です
この暑さももう少しで終わりかな~と思うと、ちょっとさみしいですね?(笑)
今回は、私なりの「石」の話をしてみようと思うのですが、
その前に、タイトルにある「+α」を書きます。
かならずしも石の話とセットにしなくてもいい話なのですが…
折よく浮かんできたし、前から書いてみたいことではあったので。
ただ、批判の要素が入っているかも、と自分でも懸念しているので、
そういう記事を読むのは嫌いじゃ!
という方は、この部分はスルーして、
続きになります、次回の記事からお読みください。
どうぞよろしくお願いします。(。-人-。)
☆☆☆
石についての記事を書こう、と思い浮かべてから、
おのずと考えがこのトピックに行き着きました。
これから書くことは、私自身の経験に基づいた、
私個人の見解、ものの見方、考え方です。
それを踏まえてお読みください。
☆☆☆
石…クリスタル類をはじめとする、
精神世界、スピリチュアル関連のグッズ販売、についてです。
決して、「物品を販売すること」そのものについての話じゃありません。
私がここでお伝えしたいのは。
精神世界、スピリチュアルの要素にかこつけて、
「これさえあれば…○○☆(例:何かがうまくいく)」とか、
「これが無ければ…○○!(例:心配、怖れにつながるような内容)」とかいう風に、
グッズを販売するのって、どうかしてると思うんです。
楽しいから、きれいだから、心をこめて作ったから、役に立つと思うから…、
気に入った方は活用してね!♪
というように販売している場合とは、区別してくださいね!
私はそれについて言っているのではありません。
グッズを不可欠なものにしようとしている、
それに頼らせようとしている、
依存させようとしている、
そしてそのときに、なんと スピリチュアルなうんちくをつける。
それってどうかしているよね、と思うんです。
目に見える「物」が、人を補助してくれる、力になってくれることはあります。
ここ(物質の体験)にフォーカスしている私たちにとって、
実際に触れられるもの、目で見えるもの、形のあるものは、
ときに心強いものです。
そうして、「物体」それぞれに固有のエネルギーはありますが、
何よりもそこで力を発揮するのは、それに属する「思い」です。
たとえば、(これは伝統的なものを否定しようという意味ではなく、
そこにある意義をリスペクトをした上で書いているのですが、)
神社やお寺の作ったものでなくとも、
「お父さんがんばってね」という思いをこめた、子供の手作りのお守り、とか。
贈り主が、相手への真心をこめた品物とか。
自分が愛し、大切にしていた物とか。
そういう物が本当に自分に力をくれる、
寄り添って守ってくれているような感覚、経験あるのではないでしょうか。
それって、「物」そのものではなく、
そこに付与された、物という形をとってやってきた「意図」、
特に、込められた「愛」に反応するのですよね。
なので、「祝福をこめる」というのは、
心からの思いをそこに付与するという意味で、機能するんです。
ただし……誰かを神格化したり、あがめたりして、
「この人がこう言うのだから価値がある」とか、
「この人がこうしたから効果ある」
というのでは、また違う話になってしまいます。
たとえ、どんな立派なグルや教師がいても、
あなたが出会った途端に「神聖だ!」と感動するような人がいたとしても、
それはそれで素晴らしい体験だけれど、
その人は、自分の中の神聖なるものを体験する鏡となってくれた
ということを、
忘れないでほしいと私は願うのです。
私たちは互いにそうなんだから。
誰かを一段上、特別なもの、崇拝の対象にしてしまっては、
大切なところがズレてきてしまうんです。
…たとえば、
「目覚めている」とか「神の使い」だとか評判だったり、
あなたがそう思うような人がいたとしても、
仮に、本当にその人がその通り、なのだとしても!
その人だって、今は人間なんですよ。
その言い方をするなら、あなただって、誰だって、「神の使い」ですし。
これは、私が実際に見てきたことだから書くのですが、
誰かを特別視すると、その人がやっているおかしなことまで、
「あの人には、私たちのはかりしれない意図があるんだ」
とか、都合よく解釈しちゃう。
しかもそれが集団で起こると…止める人があまりいなかったりする。
どんな人も、人間だから個性もあるし、間違えることもある。
そういうことも、対象を神格化したり特別視したりすると見えなくなってしまう。
ううん、気づいていても、見えていても、無いことにしてしまう。
☆☆☆
ちなみに、周囲を見渡してもらえば実感できると思うのですが、
色々な才能や能力と、人格(心の成熟度)とは関係ありません。
スピリチュアルな才能、ヒーリング、霊能力などもそうです。
それに長けているからといって、もれなく、
人間として成熟している、人格の深みが伴っているということではない。
これについて私は、参加者としてではなく、
裏方、スタッフ側として、色々な人を見てきたのでお伝えできます(!)
そして、その本人(あがめられる側、幻想を持たれる側)については、
私はもはや何も言うことはありません。
人間なんだな、色々な要素を持つ多面体なんだな、と…今は、思うだけです。
☆☆☆
長い前置きになりました。
やっとのことで石の話に入りますが、いったんここでアップします。ヾ(´∇`*)
2へつづく☆
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