自分の人生の「主導権」を握っているなんて、
本気で思えている人はそう多くないと思う。
「私の人生は私がつくっているんだ!」
そう、素直に認めることのできる人はどれだけいるのだろう。
生まれ育った環境…身体的な条件や容姿…
人生の過程で関わる他者の影響、政治や集合的な出来事の影響…
どれだけ、あなたの人生において、
それらが「力を持っている」と感じてきただろうか。
それによってあなたは影響を受け、舵を取っては方向を変え、
ときに“意にさからって”流され、
一体これのどこに「主導権」があるのだ、と思うかもしれない。
でも、スピリチュアル的にはこうだ。
「あなたの人生は、あなたが主導権を握っている」
私たちは主導権を「無い」と錯覚することはできるが、
それは表層的なレベルのみを見つめているときの話。
「私」という存在をより深く、広く認めたなら、
その幻想は吹き飛んでしまう。
この「私」の認識を持つと、
私たちが「この人生の個人の誰々」という小さな窓からのみ自分を見つめ、
右往左往していることというのは、まるで何かの冗談のようだ。
それは馬鹿にする意味での冗談ではない。
冗談のように面白いけれども、美しく、体当たりの芸術でもある、
貴重な輝きを持つもの。
このブログでは度々「夢」のたとえを出しているが、
「どうして私が主導権を持っているなんて言えるの」
と、腑に落ちない人は、あなたのみる夢を想像してみるといい。
あなたは、夢の中で色々な人々に出会い、様々な場所を見るが、
それは全部あなたの中にあり、
あなたの意識が創り出している現実だ。
それと同じように、私たちがまぎれもなく「リアル」と感じている、
眠っている間ではない、起きている間に見ている現実も、
ある意味であなたの創り出している夢なのだ。
あなたの夢に、あなたの気分や深層心理が形を持って現れるように、
この世界でも、自分の投げたものが自分に返ってくる。
あたかもそれらが他者や状況によってもたらされたように見えても、
あなたは、「あなた自身」をそういった“形”を通して経験しているのだ。
これがわかると、
あなたが関わる人々や、あらゆる現実の情景というのは、
どれも「あなたと分離したもの」ではなくなる。
すべてを通して、別の形をとって表れている「自分」を観察する感じ。
この見方と、従来慣れ親しんだ「大勢の中にいる個人の私」という見方を、
行ったり来たりすることはあっても、
一度、この認識を得ると、あなたはもう後戻りしない。できない!
「主導権」のありかを他所に錯覚することはない。
あなたは誰か、ということを思い出すからだ。
☆あとがき☆
昨日の記事◆「TPOに合わせるその度合」を書いた中で、
ブログの言葉遣いについては最近ずっと同じ調子を保っていたので、
以前のようにもっと色々変化をつけてもいいなぁ、と感じました。
記事のエネルギーによってヴァリエーションがあるのが好きなので、
さっそく今日は変えた次第です。
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