BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

体脱や夢を眺めるときの留意点☆

こんにちは!

今日はこちらは雨模様で、モイスチャー☆


相変わらず「夢」の体験を観察し続けているのですが、

私の実例もあげながら書けそうなことが出てきたので、

今回はそれをテーマにします。

「体脱や夢を眺めるときの留意点☆」
です。


体脱と夢…は、ベースが一緒なので、今日のお話ではまとめて扱います。


便宜上、ラベル貼りをして「体外離脱」とか「夢」とか、体験を分けますが、

あなたが「ふつーに夢でしょう!」と思っているときでも、

体外離脱中の体験の記憶だったりします。


では、体外離脱と夢をどう分けて定義しているか?

夢や体外離脱には、どのような種類があるのか?

などの話題については、ここでは踏み込んでいきません。


体験における意識の清明度(クリアー度合い)が色々あるということです。


また、以前も書いたように、「体の外への離脱」といっても、

(実際そのように体験されていても、)

大きくみれば「意識の中でのフォーカス」が変化しているのです。

☆☆☆

さて、私自身の“気づいている状態での体外離脱体験”といえば、

その道のプロといえるほど多くあるわけではありません!


ただ、実家で暮らしていた頃や、都内の別の場所でひとり暮らしをしていた頃、

頻繁にそういう体験が起こっていた時期もありました。


当時の色々な条件が関与していたと思います。

(そのお話の記事です「よもやま話例的風味」

また、ご縁あって、意識探求の「手段」として、

体外離脱を教えている海外の講師とも仲良くしていました。


もともと、私がひとつめの精神世界系の会社に勤めていたとき、

彼らの講座の担当者になったのがきっかけでした。

彼らから学ぶことは多く、人柄もすばらしい人たちでしたので、

その影響もあって「ヘミシンク」等のツールは敬遠しているまま今に至ります。

(彼らの方針が、道具に頼らない自力での体外離脱だったのです。)


私自身はそのあり方を採用しましたが、個人個人の興味で、

自分の感覚に合っていれば補助ツールを使うのもありなんだろうな、と思います。

そこからきっかけがつかめることもありますし!


…というわけで、体外離脱にはそれなりに縁がある私なのですが、

最近は「明晰夢」の方が増えてきている傾向です。バラ


手段はどのようであっても、「自らの意識の中」に興味を持ち、

探求する姿勢はすばらしいものだと思うのですが、

そのときにぜひ覚えておいていただきたい留意点をお話しします。

☆☆☆

この世界での体験も、「客観性がある」と私たちは信じながら、

実は「主観」の体験をしているのです。

意識が別の方向へ向いている場合も、それは同様です。


夢の世界、体外離脱の世界にも、

それなりに確認できる「客観性」はあります。


が、その見せかけの客観性は、

より大きく見ると「主観」の世界の中にあるのです。


これは大切なポイントです。


わかりやすくしたいので、実例をあげます。



たとえば、私の最近の夢の中では、

連続して毎回、「妹」が出てきていました。

こちらの現実に存在する私の妹と同じ姿の、リアルな「妹」です。


夢の中では必ず、シチュエーションは様々に違っていても、

私に対して怒っているのでした。

これを、

「ああ、妹が私に何か怒っているんだ~!」

と、早まって解釈しないでください。


もちろん、現実を眺めた場合に、

本当にそれと一致した状況を目の当たりにすることもあると思います。

(この例で言うなら現実世界でも妹が、実は私に怒っている、と!)


だけど、「現実」も「夢」も、あなたの意識の中にあるのです。


つまり私は、私の意識の中で「私ヴァージョン」の他者を経験しています。

夢でも現実でもそれは同様なのです。


その視点から見ると、(現実の妹本人はどうであるか、は置いておいて)

こんな風に見ていくことができます。

私にとっての「妹」とは、何をあらわしているのだろう。

私の中の、どんな部分を「妹」として見ているのだろう。


性別は女性で、私より幼い(年若い)ということ、

それから、個人的に妹に見ている色々な性質などが思い浮かびます。

それはたとえば、「姉」という立場から、

自分より幼い存在(相対的に自分が大人びているイメージ)とか、

何かを教えてあげたい存在、として見ているかもしれません。


家族の中での、「末っ子」だった昔のイメージから、

お茶目な失敗をするというイメージがあるのかもしれません。


「妹」にまつわるそういう自分自身の認識を、

自分の意識の中で、丁寧に見ていきます。


すると、「妹が怒っていた」ということや、

そのときの夢の中での自分の態度をあわせて観察すると、

たとえば、

「私は、自分の中の女性的・直観的だが、理解が追いついていない部分、

論理的に今自分が進めていることについて納得していない部分を、

ないがしろにして(怒らせて)いるのではないだろうか。」
とか、


「自分のしでかすかわいい失敗をゆるしてあげる寛大さすら、

なくしていないだろうか?」
という視点が生まれます。


夢では、眠っている妹を起こさないように部屋を移動する、

という場面もありました。

それは邪険にするという風では全くなかったのですが、

状況だけ言えば、夢の中の「妹」を邪魔もの扱いです。


これを上の視点に当てはめて考えると、

自分が自分のある側面をそっと起こさないように気をつけていて、

その側面を邪魔に思っているということです。


今朝の夢の中では、外国の村にある「邪悪な木」

村人たちに怖れられている伝説の木の前に私と妹がいて、

夢の中での私には、

その木から立ち上るすばらしい生命エネルギーが煙のように見えたのですが、

私はそれを眺めながら、隣りにいる妹に、

「人々がこれを“邪悪だ(EVIL)”と決めてしまったら、

その通りにそういうことが起こるんだよ。」

と、何気なく語っていました。


すると、夢の中の「妹」が、憎悪にも似たものすごい怒りのエネルギーを、

わーっと私に向けて出してきたのです。


繰り返しますが、

これを私自身の、「妹に象徴されている側面」としてご覧ください。

「そんな解釈、納得いかない!」と、怒っている部分があるようなのです。

私の表層では、「自分の現実は自分がつくっている」ということへ、

どんどん抵抗がなくなっていると思っていたのですが。

どこかに、「置いていかれた感」を持っている側面があったようです。

☆☆☆


それからこちらは、別の例です。

数日前の夢で、とてもクリアーで興味深い体験がありました。


そのとき出てきたのは、先述の会社勤めの頃、1度だけご一緒したことのある、

日本で書籍も出ている有名な講師です。仮にZさんとしておきましょう。


この方も海外の講師で、スピリチュアルな講座を開いており、

体外離脱にも造詣の深い方でした。


私は、今思えばその方と仕事でご一緒したタイミング、

双方の色々な背景もあったからでしょう、

実際に会ったとき、Zさんに「苦手」という印象を抱きました。


私の親しい友人がここ数年、Zさんの通訳をしているのですが、

友人が楽しく仕事をしていて、様々なエピソードを聞かせてくれても、

私としてはまだ、Zさんへの「苦手」な印象は更新されないままでした。


ところが先日の夢の中では、とても珍しいことにZさんが出てきた上に、

私のほかに2人の人物(女性と男性でした)を、食事に連れていってくれるのです。

日本に滞在中、とても気に入って利用しているレストランがあるから、と。


私たちはZさんの運転するゴールドのカラーの車に乗り、

かなり急な坂道を上昇して行きました!


走っている場所は、麻布近辺と夢の中で感じていました。


店は、海外の人が「日本料理」と言うときによく思い浮かべる、

「海の幸やお肉を次々と目の前で仕上げる、豪華な鉄板焼き」のお店で、

掘りごたつの席について、ひとりひとりにコース料理が出てきました。


隣りのテーブルでは、旅行客っぽい外国人の一家が食事をしていて、

その会話の音声をちょっとだけ聞くとフランス語にも似ているのですが、

もっと入り組んだ感じの、ヨーロッパのどこかの国の言語を話していました。


すると、私たちを招待してくれたZさんが、隣りのテーブルのご一家

彼らの言語で挨拶をし、その言語で世間話を始めた
のです。

「あー、Zさんは自分の中の別の人生(一般に過去世や未来世と呼ばれるもの)の、

知識も使える人なのだなぁ」と思って、私はそれを興味深く眺めていました。


この夢の中の出来事はまだ色々と続くのですが、割愛して。


大事なのは、その夢が楽しかった、心地よい感触のものだったおかげで、

講師Zさんに対する苦手意識すら変化してしまった、ということです。

私の中の観念がまず先に変わっていて、こういう夢を見たということなのでしょう。


さらに、今回の夢では特に面白かったことがありました。

私は、その夢の中で、何度か「深く思考に入る」場面があったのです。

つまり、起きているときの自分と同じ状態の思考を働かせたというか。

夢の場面の方に没入しないで、「これって……ということかな。」とか、

何か内面で深く考え込む
ことが、ときどきありました。


すると、その度にZさんが気づいて、

さりげなく注意を自分にひきつけるように

「大丈夫?」

と、私に聞くのです。


私は、何度目かのときに、

「あれ?私が考え事に入ると、Zさんは必ずそれに気づいて声をかけるな。」

と、気がついたのです。


起きてから、このことについて、

「あそこで深く日常モードの考え事に入ると、

あの体験(夢の世界)から私がログオフしちゃうからじゃないかな?」


と、ピンときました。


体外離脱の最中にも、ふだん通りの日常的なことに思考をフォーカスしたとたん、

寝ている体に戻ってしまうということがあるのです。


とはいえ、実際に私がZさんという講師の方本人と、

別の次元で会っていたか…というのは難しいところです。


ひとつめの妹の夢の例のように、私の中の

「Zさんに象徴される側面」と関わっていた、とも言えるし、

※私は体外離脱の実践や、見えない世界の現象といった、

神秘的なことに偏りすぎないよう自らセーブしていたところがあります。

Zさんに対する苦手意識は、その投影が少なからずあったと思います。

今回の夢の中で、Zさんを仲間のように心地よい存在として体験できたのは、

自分の中のその部分が変化していたということです。



私のヘルパー存在が、私にわかりやすい「Zさん」という人の姿を演じ、

このシナリオをサポートしてくれていた可能性もあります。


さらに言えば、もし、

「現実のZさん」も同様の体験を共有していた!覚えていた!

ということがあったとしても、

「でっかい主観」の中では、それも当然のことなのです。

なぜなら、

私は私のフォーカスしているバージョンのZさんを、

ここ(起きている間の現実)でも体験しているからです。


ちょっとややこしいかもしれないけれど、

この意味をしっかりと見つめていただけるとうれしいです!


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