BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

エゴを波立たせると・明晰夢のお連れ様

久しぶりに明晰夢体外離脱のエピソードです。

「エゴを波立たせると・明晰夢のお連れ様」というタイトルで、エゴと夢全般の関係と、実際にあった明晰夢の話題、2つのトピックを語ります。

ボリュームありますので、興味とお時間あるときにどうぞ。

久々の体外離脱プロセス

近年は、過去記事に書いていたように、いわゆる「体外離脱」状態での活動は、夢の中で夢だと自覚する「明晰夢」からのルートが多くなり、横たわっている自分の肉体から「出る」という手順を私が意識的に行うことはまずありませんでした。
※私はこれを「明晰夢体脱」と呼んでいます。

度々言及していますが、夢、体外離脱、明晰夢の違いは、自覚の度合いが異なるだけです。
あなたが眠って夢を見ている状態のとき、自然と自分の「意識フォーカス」を移動させており、その時点でもう体外離脱しています。
通常の夢見の状態では、そのことを自覚できていません。

私は普段から、夢の経験が起きている間の現実以上に鮮明なのですが(視覚以外に味覚や感触、音や匂いなど五感のすべてを伴います)、明晰夢では、日常生活を過ごしている自己と同じ認識を「携えたまま」、夢の世界を観察できます。
つまり、自分が今は眠っている間の夢の中にいるのだと、明確に自覚した上で、夢の世界を経験しているということです。

夢の経験を深めたい方、明晰夢について詳しく学びたい方は、
オンライン講座(個人レッスン)明晰夢基礎」をどうぞ。

beats-and-love.hatenablog.com

今年の春先には珍しく、明晰夢からの活動ではなく、体外離脱から始まる体験がありました。

ただし、その頃の私の夢全般の状況に特徴がありましたので、それにまずふれておきます。

エゴへのエネルギー投資をやめると、その反響が夢にも表れる

昨年から自然な流れで、「分離を信じている自我を徹底的に手放す」ことへのターボエンジンがかかりました。
その様子は昨年から今年の記事に散見できますので、詳細を省きます。

これまで以上に、意識的にエゴへのエネルギー投資をやめ、いわば、
「自我をベースとした世界観から完全に抜けて二度と戻らない、脱・人間の作業」
エゴの観念を継続させる土台から撤去することをしていたのです。

すると、夢に変化が表れました。

深層のドブさらい?

私はとても昔、スピリチュアリティーへの関心がまだなかった頃、日々経験する鮮明すぎる夢の中で、時折自分の想像力をはるかに上回る怖い夢があらわれることを不可解に思い、悩んでいたことがありました。

必ずしも起きている間の日常の出来事や心の動きとは連動せず、唐突に見ることもあって、一体なぜ?と疑問を抱きながら、眠るのが恐ろしかった時期もあります。
(同時に、この世では体験できないくらい素晴らしい夢も、明らかに別の人生や現実に存在する「活動」と思える夢もありました。)

無視できない色々な夢を検証することが、結局、私をスピリチュアリティーへ目覚めさせる要となったわけですが、

長年、夢だけでなく自己そのものと向き合っていくうちに、怖い夢がほぼ表れなくなったばかりか、たとえ同じような夢と出会ったとしても、まったく怖いと感じなくなってしまったのは過去記事に書いた通りです。

夢にまつわるカテゴリはこちら★夢、明晰夢、体外離脱★

以前の自分だったら怖がっただろうなと思う夢の体験があっても、内容の観察こそすれ、動揺は起こりません。
すでにそんな状態になっていた中で、「分離を信じている自我」を完全に手放す決意が固まった頃から、夢に顕著な変化が表れたのでした。

通常の夢の合間合間、不定期にですが、「一般的には恐ろしかったり不快だったりするだろうと思う夢」を見るようになったのです。

私はそれを、ホラー映画でも観察するように冷静に見ていたり、
ときには明晰夢に近い自覚を持って、意識的にその夢から脱出していたりします。

これらは、それまで自分が見る夢の質とはかなり違う特徴、トーンを備えているので、すぐに「この異変は何だろう」と気づきました。

そうして注意して見ているうち、「エゴの抵抗」の象徴では、と気づきました。

自分では闘っているつもりはなくとも、エゴの観念を除去するということは、エゴの観点からは「攻撃されている」ということなのです。

夢を扱った人気映画で「インセプション」という作品がありますが、 

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その中でも、夢に潜り込まれたターゲットの男性の「潜在意識」が、主人公たちを軍や兵隊の姿で攻撃したシーンがありましたよね。
それと似ています。

つまり自我の自衛本能とでも言うべきで、私が自分の意思で行っていることが、意識の中にある「人間として身につけた初期設定」をかき乱しているわけです。

自我の温存してきた様々な観念が根こそぎ無効にされると、既存の人間マトリックスから抜けてしまいますので、阻止する力が働くのです。 

その意味で、起きている間の自分の意識からは簡単に予測のつかない、人間意識の深いところにあるカオス、いわば、
「深層のドブさらい」
をしているような気持ちになりました。 

明晰夢のお連れ様

夢にそんな変化があらわれていた中での、体外離脱のエピソードです。

私はその日、睡眠の途中で目を覚ましました。
体は横たえ、目を閉じたままで、部屋の中の景色を見ることができました。
この現象は、肉体が完全に目覚めておらず、意識だけが起きているときに私はよくあります。

一通り、部屋の天井や家具などを見つめていると(といっても肉眼でではありませんが、普段の部屋と同じようにはっきり見えます)、体外離脱できるな!と感じたので、天井めがけて体から抜け出しました。

そのときは珍しく「エーテル離脱」だったようで(詳しくは過去記事を参照)、物質的な現実の部屋と同じ景色が見えている中で自分は離脱状態にあり、周囲の景色がとても暗かったのです。モノクロのように。

私は普段はアストラル離脱が多く、離脱後は物質世界と同じ景色を見ていません。
離脱後の色彩も鮮やかです。

部屋にある姿見の前に立ってみると、自分の霊体だけが、暗がりの中で光っていました。
どんな服装をしているんだろう?と思って鏡の中をのぞくと、実際には持っていないネグリジェのような長いワンピースのようなものを着ていました。
このときも、色彩は見えていません。

どうしようかなー、と思いながらしばらく飛んでいたのですが、そのときふと、「もう一段階、体外離脱できる」ことをひらめきました。

そして、さらに抜けるということをしました。

すると、いつものアストラル離脱の状態になり、色鮮やかな視界の中で、活動できました。

10年以上も前に出会った非物質的存在と、再会

このとき、そばに女の子がいることに気づきました。
その子は、今から10年以上も前に、私が都心に住んでいた頃、自然と頻繁に体外離脱が起こる時期があったのですが、ある日部屋の中に「落ちてた」子でした。

正確に言うと、当時の私が体外離脱状態で自分の部屋の天井付近を飛んでいるとき、彼女が床にただ立っているのを見たということです。

彼女の容姿は外国人の子どもに見えるのですが、
その住まいは、付近にインターナショナルスクールがあるなど、外国人の子どもを多く見る環境だったので、そのときは彼女を見ても「このへんの子どもの霊が迷い込んだのかな?」と思っていました。

特に私へ用事もなさそうでしたので、見はしたもののそのままにして、私は飛びながら外に出て行ったのです。
それ以降、目撃することはありませんでした。

そんな彼女が長い年月を経て再登場したことで、「私に関係する存在だったの!?」と、驚きました。
あの頃の場所柄、迷い込んだ霊かと思っていたわけですから。

※このように、非物質的世界、たとえばあなたの夢での経験にも継続性があります。
私は何年ものインターバルを経て続く夢というのを沢山見ています。

今回は私に同行するらしい彼女に、一応、名前を聞いてみました。
(非物質的存在は、名前がないこともあります。)

すると、「たらこだよ」と、答えられ、そんな……!と、私は少し驚きました。

なぜなら、彼女の容姿は、このようだからです。

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画は私による。

西洋の女の子のお人形によく似ていて、少し不気味さがあることも、描き表せていたらいいなと思います。
衣装とか全体の雰囲気が、クラシカルです。幽霊だと思っていた時は、古い時代の霊の可能性も考えていました。
私が接している間見た限りでは、顔にほとんど表情はなく、感情の起伏もないようです。

予想外の名前に驚きつつも、かつて、体外離脱で訪れたエリアを案内してくれようとした男性「もん太さん」のときほど動揺せずに受け入れました。

☆あれ以来お会いしていない、もん太さん登場の記事↓
「名乗りをあげたガイドさん」

beats-and-love.hatenablog.com

私と連れ立って、飛んで移動するたらこちゃん。

どこか中東の景色のようにも見える街並みを眼下に見ていたのですが、途中で建物の外に面している階段の、踊り場に入りました。

そこに、何かが鋲で打たれて、壁にくっつけられていたのです。

白い壁に固定されているそれをよく見ると、どう見ても異文化の伝承の「悪魔」
大きさはさほど大きくない(70㎝くらいか?思い出しながらメジャーを出してバーチャル測定しました!笑)のですが、コウモリのような黒い羽根があり、顔はどの動物にも、人間にも似ていません。

非物質的世界ですので生死はないわけですが、動きは一切なく、全体が干からびていて、私にはそのテクスチャーは「鮭とば」のように見えました。

たらこちゃんは、
「コイツ、最近捕まったんだよー」
と言って、壁に張り付けられている悪魔をツンツンつついています。
彼女の表情は相変わらず先の絵のような顔で、淡々として見えます。

私は、いかにも人間が想像する「悪魔らしい悪魔」に何も興味が湧きませんでした。
鮭とばに似てるなー以外の感想も生まれず、たらこちゃんに、
「そんなのいいから、行こうよ」
と促し、その場を離れました。

ほかにこの明晰夢で訪れたエリアで印象に残ったのは、中東の人に見える男性たちが数人、声に出してチャントのようなものを繰り返していたことです。 

彼らは建物の前に立ち、詠唱というか、歌ではないのですが呼び声のように語句を唱えており、どうも宗教的な何かかなと感じました。
言語ではっきりと聞こえていましたが、私には、理解できない言語だったのです。
(これは明晰夢なので、現在の私の理解できない外国語ということです。)
彼らは衣服も、お揃いの白いシャツに黒い服を着ていました。

その上を飛びながら、私は干渉しない方がいいという気がして通り過ぎました。

彼女につかまると上昇できる、その意味は 

私は明晰夢の中で、よく「どこまで上に飛べるんだろう」という挑戦をしてしまいます。

意識フォーカスを変えて移動するよりも、ひたすらに高く飛んで、どこまで到達できるか確かめようとしてしまうのです。

このときもそれをやっていて、ただいつもと違うのは、たらこちゃんが脚につかまらせてくれたことでした。

子どもらしい、短くて肉付きのよい脚の、足首を持たせてもらって、

上昇するたらこちゃんが脚を軽くバタバタさせながら空を進んでいくと、私も一緒に楽々と高く昇っていけるのです。

そうした体験をした後、間もなく、あとは私ひとりで活動したいなと思いました。
すると、たらこちゃんも、
「私はここであっちに行くね。じゃーねー!」
と、明るく去って行きました。

活動の内容もそうですが、そのように途中で気軽に去っていったので、あまりガイドさんという感じはしませんでした。

人間ばなれした無邪気さ

後にこの体験を振り返って、私にとってたらこちゃんはどんな象徴なのか考えてみました。

まず、彼女は子どもの(幼児に近い)姿であること。
それから、人間的な感情があまりなく、おそらく人間から見たら残酷なほど無邪気です。

それは人間の感性を重視していない(共有しない)ということで、私が彼女を少し不気味に感じていたのは、自分がそうなることへの怖れが私の中にあったからかもしれません。

けれども、彼女につかまらせてもらうことで、私は楽に上昇できました。
つまり、その方が軽くなって進めるということです。

このときの明晰夢の中では、人間がつくっているある種の宗教的観念の領域を覗いている感じもしました。
捕まえられた干からびた悪魔が出てくるのもそうですし、詠唱していた男性たちも。

結局、エゴの観点から完全に卒業する意思を持つと、現人生で認識しているよりもさらに大きなあなたとして、人間意識の深層にアクセスし、浄化する体験が起こるのではと思います。

真の自己に目覚める過程で、恐れる必要はありません。
あなたの歩む道の「プロセス」に動揺しないよう、サポートしていきたいです。

後日、夢の異変については別な要因に気づきました。こちらの記事にあります。↓
「エネルギー量の割り振りと関心、情報選択の話。生物たちと私のユートピア

beats-and-love.hatenablog.com

「7月講座予告・寝入りばなと起きぬけを大切に・夢の情報処理」

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