今回は、「観念が外れシフトすること」というお話です。
シフトという言葉は、ちょうどギアを変えるときのように、
変化する、焦点が移動するという意味で使っています。
意識内で変化が起こったとき、この表現がぴったりなのです。
1月30日(土)のワークショップでもこのテーマを扱いますが、
ご参加手続きがお済みの方々には、「課題」をお送りしましたね。
もうご用意ができている方もいらっしゃるでしょうか…!
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「スピリチュアル・シフト!」ワークショップ
1月30日(土)14時~16時開催
講座案内は★こちらのページ★をご覧ください。
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私も最近の記事に書いているように、「スピリチュアル・シフト」、
テーマと連動して自分の現実でも体験することになりました。
表層的には、特に意識して何かをしたわけではなかったのですが、
講座テーマとして定めた自分の「意図」によって、意識内から動きが始まり、
現実の事象に反映されたという良い例です。
今の日常生活の中で、自然と出てきたもやもやや違和感を追っていったら、
過去に形成した大きな観念が2つもクリアーになりました。
それは、私にとってはものすごく負の作用を持つ観念というか…
足を引っ張って自分を不幸にするタイプのものだったので、猛烈なシフトです!
まず1つめは、お金にまつわる観念。
お金そのものに対してのBELIEF・思い込みというのとは違って、
お金との関係性から考えていた自己評価にまつわるもの、と言いましょうか。
その観念が形成されたいきさつと、観念そのものの具体的中身は、
私個人の人生にこそ密接に関わることで、一例に挙げるには複雑なので、
詳細は省きますが、
過去に形成したお金との関係にまつわる大きな観念、
自分に対する誤った評価が外れたのだということは確かです。
この観念を外すにあたって、最近の記事である
◆「自分自身に対する不平等さ」の中で書いた気づきが、
ことのほか重要だったこともわかりました。
自分に対して不平等な見方をしていたという点に気づけたおかげで、
「他所のものの見方」を採用するあまり自分を低評価し、「負荷」を背負った
…他の分野も、芋づる式に明らかになったのです。
前回の記事、◆「エネルギーを刷新するには」にも書きましたが、
「自覚する」ことが第一ステップです。
自分に対する不平等な見方を自覚することができたときに、
自然と、次の段階の気づきも浮かび上がってきたわけです。
そうして、着慣れた「烙印」付きの衣装を脱いでみると、
その衣装がもうすっかり自分と一体化していて、
着ているときには疑いなくその思い込みを正しいかのように感じていた、
ということがよくわかります。
他のものの見方ができなくなり、自分はこうなんだ、と決めつけてしまうのです。
それはまるで、他者が企てた何かのテストで「○点」をもらった子供が、
人生のあらゆる場面でずっと、「自分は○点の人間なんだ」と考えるくらい、
不条理なことなのですけれど。
ようやく自分の視点をシフトさせてみると、
誰かの描く成功パターンに添ってはいなくとも、
誰かが敷いた「こうであるべき」からははみ出ていても、
私は私で、いつもベストを尽くしてきたし、よくやった!
とはっきり気づきました。
それは、
同じ観念を信じながら「自分を慰めるためにそう思った」のではなくて、
本当の、心底湧いてきた実感でした。
やっと自分へも、平等な見方ができたのです。
すると、私を縛っていた「鎖」はあっけなく壊れてしまいました。
それくらいもろいものだったのですが、
私がこれまでの人生の中で「信じてしまう」には十分だったのですね。
もうだいぶ自由になったつもりでいたけれど、
自分の原家族(育った環境)で学んだ観念、あるいは、
その周辺の似た価値観の人々によって形成されていた集合的観念、
それがいまだに自分の中で力を持っていたという「残滓」を発見したのでした。
今回は、それを取り除く「刷新」です。
思い出していただきたいのは、
「周囲の人たち」を変えなくとも、誰かの価値観を変えようと説得しなくとも、
自分の意識がシフトするだけで「解放」は起こるということです。
実は、もう1つの観念も、ルーツは同じでした。
過去記事で書いたこともある、「ファッションにまつわる観念」です。
自分から湧いてくる望み、こうしていたいという自然な願望以上に、
もっとおしゃれでなくてはいけない、ファッションに関心を持たねばならない、
というもの。(-"-;A
これは主には…私の母の持つ性質の影響からできてしまった観念で、
あいにく、私のきょうだいである妹もその点がやや母寄りでしたので、
より一層、「私だけができていない」と思い込むようになったものです。
もっと、服や靴に興味を持たねばならない。
私にも私なりの興味も基準もあるのですが、
それでは「不十分」と見なされることが多かったのでした。
私は、その評価を「自分への評価」として採用してしまったので、
いまだに居心地が悪かったのです。
これに気づくきっかけは意外なことからやってきました。
たまたま、アスペルガーの傾向のある人について友人から話を聞く機会があり、
そのときの会話が、この観念を外す「布石」になったのです。
それは何気ない茶飲み話であって、セッションなどではありません。
アスペルガーの人の傾向として私が知っていることを友人に話し、
その性質を持つ相手との関わり方を、一緒に考えていたのですが…
そのとき、色の好みの話を思い出したのです。
(アスペルガーと言われている方、皆に当てはまるわけではありません)
ある色を好きだとその色ばかり着る、同じ色に執着する、などの話を。
私は思ってしまうのですが、
他者にとって理由がわからなかったとしても、
本人がそれが心地いいのならば、それを着せてあげることが一番です。
私自身は、様々な色彩が好きなので色の好みは幅広いのですが、
自分のそのとき心地良いと思える色と素材を選ぶようにしていて、
特に自分の仕事が会社勤めというスタイルから離れてからは、
デザインが素敵でも、負担になる素材が大嫌いになりました。
人工的すぎるシャカシャカした素材や、
通気性のないもの、皮膚に心地よくないもの、
毛がふわふわ飛び過ぎてしまうセーター…見かけがきれいでも嫌です。
寒い季節に人気のヒート○ックも、何度か(防寒のために)トライしたけど、
皮膚が痛く苦しくなって着ることができない体質です。
ですから、自分の条件を満たすものを見つけると、心地よいので、
ワンシーズンにそればかりをヘビロテしてしまうようになりました。
翌年のシーズンには、大体、自然と別のものを好むようになるので、
何年間もずーっと同じ格好ということはないですし、
同じものを何度も着るといっても、清潔が好きなので、
洗濯や手入れはしっかりします。
自分ではこれでいいじゃないか、と思うのですが…
色々な洋服を着たり選んだりすることが楽しい母からすると、
いつも同じ服着てるね…もっとおしゃれしたら?
違う服も選んだらいいのに…
という思いになるみたいで、よく、そのことに言及されたり、
服を買うことを提案されたりすることもあるのですが、それがつらい。
良かれと思ってしてくれているのは、わかっていても。
私にとっては自分の条件を満たせているので何も問題がないのに、
それでは不十分という目で見られるからです。
でも、それは「相手が悪い」という話ではなくって、
相手には相手の価値観があってもOKなのです。
私がそれに影響を受け「耳を貸していた」こと、自分はそうは思わないのに、
その価値観を自分の中にも取り込んでしまったことが問題でした。
…このことを、今までは些細なことのように流していたけど、
「いかに自分にとって負担になっていたか!」と気づくことになり、
この観念ももう、手放す時期とわかったのです。
私の人生は、私の人生。
私の好みも、私なりの人生の調和も、その基準も存在しています。
人それぞれ、自分の感覚を大切に生きていいのです。
もうお気づきの方もいらっしゃるでしょう…
「シフト」とは、実は「自分に返るシフト」なのです。
苦しみが外れて、自分に戻るだけ。
すると、自分に負荷をかけていたときよりもできることが増えて、
あなたの発揮できる力も大きくなります。
あなたも、「自分に返るシフト」してみませんか?
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