こんばんは。
タイトルの「NOTHING BEYOND」は、日常の中で、
私が受け取ったメッセージをそのまま書きました。
内容をくわしくお話しします。
言葉にするのが少し難しいテーマなのですが…
日常のあらゆる出来事、あらゆる物事に対して、
現状がフルに、百パーセントのものであると確信している人は、
あまりいないのではないでしょうか。
別に現状の何かが特に良くも・悪くもなかったとしても、
あるいはそのような形でわざわざ考えてみたことがなくっても、
あなたの経験していることが“すべて”であると実感することはそうそうなくて、
「もっと、○○…」がどことなく、どこかにはあるような、
つまりあなたのしていることや、今見ている現実以上にも、
もっと何かはあるんだと漠然と意識していて、
そんな気持ちを自然と抱くことがあると思います。
「これがすべて、ではない。」と。
それは決してあなたが今を「精一杯生きていないから」とか、
現状に「不足感を抱いているから」という理由によるのではなくて、
自身の経験している現実以上に、感覚として、
「もっと、○○…」という現実もきっとあるだろうなという想定があって、
実際にそれを見たわけではなくとも存在を知っているスペースのように、
心の中にその認識があるという感じ。
少なくとも私は、そうでした。
これまでの感覚を改めて振り返ってみると、
「これだけしかない」とか「これがすべてだ」と思うということはなくて、
これがある。
でも、「もっと○○」も、きっとある。
…というように、目の前の現実以上の物事もどこかで想定していました。
意識的にそうだと「考える」わけではないですが、
ただ、その感覚を自然と持っていたのです。
もちろん、今経験している現実以上のものがあるといっても、
そちらの方が目の前の現実よりも「良い」または「悪い」という意味ではなく、
比較や評価付けとは無縁な、もっと色々な範囲もあるのだという思いでした。
ところが…
最近は、「これ以上別のもの」を想定することがなくなっているのです。
もっと他の何かや、もっと○○な状態、というのを、
意識の中で感じないのです。
かといって、自分がいつも「百パーセント」の状態で生きている!o(〃^▽^〃)o
というような、張り切った?(笑)あるいは、満ち満ちた?感じもありません。
気持ちは困惑することもあるし、ゆるんでるくらいなのですが、
「これ以上別のもの」を無意識的にでも追い求めるとか、
ほんのりとでも意識する感覚が…なぜだか見当たらないのです。
この状態をあらわした言葉が「NOTHING BEYOND」でした。
メッセージとして、意識に、ふと舞い降りてきたのでした。
英語の意味を調べれば、
「~を超えるものはない」という使い方が出てくるのですが、
私が受け取ったメッセージ内でのこの言葉は、
上とか下とか、どちらがより良いとか悪いとかの意味合いをいっさい含まず、
「これ以上のものはない(これでいい)」
という感覚を伝えてくるのに、使われた言葉だったのです。
いわば、これまで経験していた現実には、“隙間”がありました。
その隙間は、実際には「意識の中で生まれている隙間」なのですが、
今経験している現実「以上」のものもあると感じさせるスペースでした。
それがあるという前提で存在する「余地」でした。
ところが、今はそれがないのです。
目の前の現実が「過不足ない」とわかっている。
そしてそこには、
「超~満足してる!!」とか、
「まあまあ、かな。」などの、
いかなる評価すらも発生しないのです。
あるのは、目の前の「ちょうど」に向かっているという実感だけ。
だから、NOTHING BEYOND。
「ちょうどいい」ということは、
よろこびにあふれて、舞い上がって、希望にあふれて…
という風じゃなくても静かに進行し得る、過不足ない状態なのですね。
表面的に自分が“気に入っているか、気に入っていないか”を通り越して、
その奥にある流れの方を実感してしまうような体験です。
そして、このメッセージは私個人の人生にのみ与えられたわけではなく、
この時期に同じことを実感される方もきっといらっしゃることでしょう。
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