今日は昼間から友人と遊び、夜まで飲むという久々のフルコースでした(笑)
友人が誘ってくれたのが、お台場フジテレビの夏休みイベント!だったのです。
テレビを全く見ていない私は内容を知らないまま一緒に行ったのでしたが、
友人の目的は、その中でも「DMM.プラネッツ」というアトラクション。
友人も、私と業種は違うもののスピリチュアル系の仕事に従事しており、
基本的な興味の傾向が私と似ているのですが、
イベント全体に興味があったというわけではないのにピンポイントで、
なぜかそのアトラクションを体験してみたい!と思ったそうなんですね。
果たして、
普段と違った空気感のイベントに二人して気を散らし、そわそわしながら(笑)
お目当てのアトラクションに入ってみたところ…
あ~!
彼女が、これを体験したいと思ったのには、やっぱり意味があった!
と、確信する納得の内容でした。
その、DMM.プラネッツというアトラクションは、
光を投射することで作り上げるアート作品なのでした。
たとえば、入場してしばらく歩いていくと、
一面乳白色の水に覆われた足元に、カラフルなお花やお魚が泳いでいるという、
光によるイリュージョンが映し出される。
見ていると、入場者の子供たちは水面に映るお魚をつかまえようと水面を叩き、
さらには、自分たちが「投影」の方に影響を与えていると思い込み、
「このお魚をつかまえるとお花が出てくるんだよ!」
と、張り切っていました。
が……実際は、それは思い込みで、投影は投影にすぎず、
光源にふれない限り、映し出された影絵には影響は与えられないのです。
これが、私たちと現実の関係をあらわしているので、感心してしまいました。
実は私たちも、おんなじことをしているのです。
映し出された「反映」の方に働きかけることで、何かを変えられると思っている。
でも実際は、「投射している源(自分の内)」の方にこそ、その権限はあるのです。
また、そのアトラクションの最後には、ドーム状の天井に、
宇宙空間のような背景と、蝶々や多種類のお花が飛び交う様が映し出される、
という映像アートがありました。
入場者たちは、鏡張りの床に思い思いに座ったり、寝転んだりして、
そのアートを堪能することができます。
私と友人は、ごろっと寝転んでそのイリュージョンを観賞したのですが、
すぐに2人とも無言になって、かなり長い間、それぞれ浸っていました。
しばらくすると、まるでその作品の中で自分が宇宙旅行をしているように、
その世界内の感覚に陥り、映像により作り出される動きや、
距離などの立体感まで感じられるようになったのです。
頭では、これはヴァーチャルの映像作品であると心得ていても、です。
だんだんと、自分の方が飛んでいるような感覚になったり、
周囲を見回しても、床そのものが回転したり動いているような体感まで伴いました。
これは、ディズニーランドに昔からある(今あるかどうか?)
スター・ツアーズという映像のアトラクションと基本的に同じ効果なのですが、
今回は座席が連動して刺激を与えたりするわけではないのに、
こんなにも脳がだまされてしまう、ということに衝撃を受けました。
友人と、
「うわー!こんな短時間ですっかり脳がだまされてるよ!」
「私たち、こんな調子で一生脳が錯覚したまま生きるんだね(笑)」
などと言い合って、笑いが止まらなくなってしまいました。
つまり私たちは、「この現実は、自分の意識の投影である。
自分の意識の反映そのものであり、実体はないのである」と、気づかないまま、
現実があたかも実体のあるもののように錯覚して生きている、ということです。
私たちはとても知覚を頼りにしていて、
五感が報告してくる情報をすっかり信じていますが、
五感は、私たちが思っているほど確かなものではなく、
ある意味「適応しやすい」、だまされやすい器官だということです。
まさか、このように気軽に出かけた夏休みのイベントで、
意識が創っているリアリティーの仕組みを改めて体感することになるとは、
思ってもみませんでした(笑)
このイベントに誘ってくれたこと、相変わらず直観の鋭い友人に感謝です。
ヴァーチャルにどっぷり浸かって楽しむのもいいけれど、個人的には、
もうそのことを自覚せずにこれまでと同じように現実を見ることはできない。
自分と切り離された“客観的な”リアリティーがあると、
無邪気に信じることはできない。
自分自身の投射したイメージであることを忘れて、
そこに働きかけようとする試みは、もはや終止符を打たれたのです。
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