BEATS AND LOVE

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支配と服従のウ・ソ☆

こんにちは、vanillatreeです(*´∇`)ノ♪


きのうの記事の最後に、

ちょっと唐突な感じがした方もいらっしゃるかもしれませんが

「支配・服従」の観念についてふれましたね。



実はこの観念、私たちの根底にひろがっていて…、


昨日話題にしたような、

「幸せ(愛、豊かさ、平和etc…)」についての心構え(ものの見方)にも、

すごーく、密接につながってる!


だからここがしっかり腑に落ちれば、

自動的に他についての観念も、変わる☆



魂の目からみれば、

「支配」も「服従」も、ありえない!!

…のだけど、私たちは一体どんなことを信じているか?



タイトルは、「支配と服従のウ・ソ☆」

本日はこのテーマでお送りします♪ぺこ


☆☆☆


かつて、記事の中で、

「ある観念を持っていると、私たちは、

それを事実として現実で体験する。」

と、お話ししましたね。


そのことはもう、理解できている方が多いと思います。


「事実」に見えるからこそ、その観念通りに体験できるからこそ、

それ以外の現実があるということが、にわかには信じられない…


なので、自分の持っている「観念」を調べ、

その内容に「気づく」ことが大切なのでした。


本日テーマにしています、「支配・服従」についても、

同じことなのです。



支配・服従の観念がなければ、

そのどちらも体験できない。



私たちは、どこかで、

「支配・服従」ということが起こりうる

と、信じました。


本来、ぜんぶ自分の選択と知っていると

それ(支配・服従の観念)自体が成り立たない


ということがわかると思います。



一見、「自由」を求めている人ですら、

同じ観念にがんじがらめになっていることがあります。


つまり…

支配に反発したくなるとき


自分が「服従すること」、

「支配をされうる状態」を信じているんだ、ということです。



もし、「支配されること自体が成り立たないよ」

と、わかっていたら…?

「支配」をあらわすものに対して、

「反発」という気持ちが、起こるでしょうか?


服従しなければならない(支配されることが可能)と、

思い込んでいるからこそ、反発する。


その思い込みがなければ支配は成り立たない。


と、いうことなんです。キラキラ☆



服従をする必要がないと知っている人は

いかなる支配の観念にもおびやかされません。


また…


支配する必要がないと知っている人は

いかなる服従も求めない(笑)ですよね!



なので、

「神」や「源の力」というものにかぶせられがちな、

いかにも人間がつくったらしい

「支配者」という配役についても、自覚的であってください。



「すべて」であるもの、「源の力」そのものであるもの、

それがどうして、

自分の創造したものを「支配」しなければならないのでしょうか?

(笑)



その必要性がどこにあると思います!?


いやいや、まじめに考えてみてくださいね。


「服従を要求する神」という概念など、茶番です。

人間が、その価値観から、自らの考えを投影して作ったのです。


なぜ、こんな考えが起こったか?



なぜなら、私たちの最も大きな「錯覚」が、


自分の人生・世界を自分が創っていない

(自分と無関係に人生・世界が展開している)


「外に力がある」

ということだからなのです。



もし、あなたと関係なく、

あなたの人生も、世界も動いているのなら…


何によって

誰によって

それは選択され、創られているのでしょう?


他者ですか?

客観的な「世界そのもの」の動きですか?

世界を創った「神」によるもの?



そう信じるとすれば、「無力感」に帰結します。


(それは「自分の無意識が…」と信じる場合でも、同様です。

意識を部分部分に分けないよう、コミュニケーションするよう、

お伝えしているのが「自己内2WAYコミュニケーション」

その他色々の、このブログの記事なのです。)



しかし人間は、「無力感」を抱えていると苦しむので、


そんな人生・世界に、納得し、

わずらわされないための「作戦(方便)」が取られました。


ある意味、「妥協案」。

生き抜くための知恵とも言えますね。


それは、

「すべては神のご意思で、すべてがよいもの。

人間にはそれがわからないのだ(神への信頼を求める)」

という形のものから、


(※もちろん、すべてがよいものであっていいし、

物事の背後にある、日常的な判断を超えた意味を、

私たちが一見、把握できていないことがあるのは本当です。

でも、この考えで問題になるのは、

「現実を創っている者」を「自分自身」と切り離してしまっていること、

「根源」を見つめることはできないと決めつけていることです。

「神は内側にある」と言って、「自分とひとつである」と言う場合でも、

このような切り離しを行っていることがある。)


同じベースの観念から、

「どうにもならないのだから、静観しよう」

とか、

「ただ楽しもう」

と、呼びかけるものもあります。



どれもこれも、きっと、人生哲学としては役に立ちます!


(ただ…その意図がはかりしれない、“気ままな”神への、

盲目的な服従を努力する一方で、

自分の心の、ごく正当な一部については「不適切」と見なして、

抑圧したり葛藤してしまうという可能性もありますね…。)



私からすると、それらはどれも、

自分の一部を覆って、「折り合いをつけるやり方」です。


今日の内容を、

人によってはきつく感じる方もいらっしゃるかもしれません。

それでも、私はあえてお伝えしたいのです。^^



考えてみて。


あなたは、あなたがどんな「高次の」と見なす存在とも、

対等でいられますか?

逆に、どんな「小さなものの」魂、意識とでも、対等でいられますか。



私たちは「偉大」とか「卑小」とかいう言葉を使うように、

「大きい」がよくて、「小さい」がよくない、とか、

「高い」がよくて、「低い」がよくない、とか、

物事に価値判断を加えています。


なので、「神」という考えにしてもそうで、

その価値観がそのまま投影されていても、

それが明白でも、気づかないことがあるのです。



あまねくすべてに存在しているものが

「服従」を求めるというコンセプトそのものが

まるでジョークなのですよ



「支配」という考えがやがて、人間的なものだということに

きっと気づくときがくる



あまりにも忘れた状態に没頭していると、

すべてに「つながり」があるというそれだけのことが、

「縛り」とイコールになるという“飛躍”を起こすのでしょうか



個々の自由があって、無数の選択があって、

それでも、どんな選択をしても、

すみからすみまでつながっているということ



その壮大なスケールを本当に感じてください


そして、あなたの存在の奇跡と

はかりしれない可能性に胸ときめかせてください



あなたの人生は、あなたが創っています。


☆☆☆


最後の部分はメッセージになりました。

どなたかの心に響けば幸いです



今日はエイプリル・フールなんですね

数々の「観念」が冗談だと、その面白さに大笑いできますように(笑)


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