今回は、「あなたが作品」というお話です。
うちの庭に咲いているシラン(紫蘭)を撮影しました。
この人生での「あなた」は、「あなた自身の作品」です。
あなたという存在の中にはたくさんの人生、たくさんの「私」があって、
今回の人生の○○△△さん(※あなたの名前)というあなたも例外なく、
「自分の作品なのである」という視点で眺めてみてください。
え~…私、自分のことなんて大嫌いなのに!
そんな私を、自分の「作品」と思うだなんて!?(T_T)
そう戸惑う方もひょっとしたらいるかもしれませんが、
その思いについてもよく見つめてみましょう。
「自分が大嫌い!」という思いも、実は「自己愛」ありき。
自分への「濃ゆ~い関心」があってこそ、「自分大嫌い!」になれます。
…自分大っ嫌い!って思っていたのに、自己愛が強い!?
いやだいやだって思っていたのに自分に関心がある!?
そうなのです。
ただ、そのことを恥ずかしく思ったり、
自己愛を減らそうとあがいたり(!)する必要もありません。
あなたが、あなた自身に関心を持つことは健全だからです。
今の「あなた」はこの現実への「通り道」であり、
意識の「窓」として機能しているのですから。
あなたが自分を気に入っていようと、いまいと、
あなたは、ある部分では「自分を愛しています」。
自分の作品を愛する作者のように、
「この自分をいとおしんでいる」ということを、覚えていてください。
「あなた」をどんな作品にしたいかは、あなた自身が決めます。
その内容に「良し悪し」はありませんが、あなたの「好み」はあります。
他者や世間の目からどう映ろうと、あなたにとって価値ある物事は、
あなた自身にわかるのだ、とそうお伝えしたいのです。
あなたの心の向くことは何であれ、あなたの役に立つのですから、
自らその「芽を摘む」ようなことはしないでほしいと願います。
スピリチュアルや精神世界の分野に関心のある人が、よく、
魂を成長させるとか、徳を積むとか、一定の価値観にこだわって、
その内容を基準に「自分の内から湧いているものを裁く」ことがありますが、
そんな風にあなた自身を閉じ込めることはしないでほしいのです。
たとえばですけれども、世間でよく見かけがちな願望、
「目立ちたい!(注目されたい!)」とか、「モテたい」とか、
「お金がたくさんほしい」とか、そんな気持ちで何かをしたら、
自分はとっても俗物的で、「スピリチュアル」じゃないんじゃないか…
と、自分を裁いてしまう人もいるでしょう。
私は例に挙げたそれらの願望には共感しませんが、
かといって、そういった願望そのものを悪いとは思いません。
私だったら、その奥にあるあなたの本当の気持ち、
元にある本質的な願いも一緒に見つめることをおすすめしますが、
でも、そういった欲望があるのに、ただそれを否定しても始まりませんよね。
それがあなたの「パッション」なら、何かのきっかけになり得るのです。
立派な動機です。
人から借りた基準で自分を裁き抑えるよりも、肯定しましょう。
好きなだけ、目立ってみたらいいじゃないですか!
思い切りモテてみていいし、お金を持ってみたらいい!
あなた自身がそうしてみると、その景色から見えるものもあるでしょう。
本当は、あなたの魅力は「何をしているか」ではなくて、
「あなた」という存在全体にあるのです。
DOじゃなくてBE。
何をしてもなんだか味がある、という人がいるとしたら、
それはその人の「行為」に属するものではないのです。
だから、何が正しいかとおびえずに。
自分という作品を、外のルールによって「小さな箱に閉じ込めずに」。
あなたが「優等生」のつもりで人生を終えても、
もし、あなたの内から湧いてくるものを否定してばかりいたなら、
きっと魂の視点からあなた自身の人生を振り返った感想は、
「んー、もったいない!」となります。
あなたは、「あなた」をどんな作品にしますか。
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