「人生の目的」と聞いたときに、どんな気持ちになりますか。
「自分の人生の目的って何だろうなぁ」と考えるきっかけになる方もいれば、
「“目的”なんて、あってたまるか!」と、反発の気持ちが芽生える方もいるかもしれません。
私は昔、まだ“スピリチュアル”分野の知識がないままに、友人の紹介で初めてセラピーの個人セッションを受けたばかりの頃、そのフレーズにこんなことを思っていました。
当時のもやっとした気持ちを、言語化するとこんな感じです。
「人生の目的なんて、人に教えてもらうものじゃないんじゃない?(自分で知っていくことが大切では?という思いを含んでいます。)それに、先にわかっちゃったら生きる意味がないじゃない。」
今の私からすると、その頃の自分の思いは、幾分正解で、幾分はずれているな、と言えます。
その答えも含めて、今回は「人生の目的」についてお話しします。
☆☆☆
あなたという存在の意思
私たちすべての「存在」は、自分の意思によって体験を選んでいます。
あなたが自覚しているレベル、自覚していないレベル、意識の中にはあるでしょうが、これは事実です。
各々が自分なりの、何らかの目的と言えるものを持ってこの地球体験も選んだことは明らかで、あなたが望んだのでなければ、あなたはここ(地球世界)にいません。
ただ、それが人間の思い描くような、わかりやすい「目的」と呼べるかというと、そこは疑問です。
簡単に言うと、
「私は医師になって人を助ける」とか、
「ピアニストになって素晴らしい演奏をする」とか、
私たちの頭で理解しやすい、具体的に定まった「目的」があるというように想定していると、かえって「人生の目的」という概念自体が、あなたを邪魔したり悩ませたりするかもしれないということです。
かつて、そのことに思いを馳せて、こんな物語を作りました。
◆「☆さんの人生の目的」
物語は現ブログのさらに前、別のサイトを持っていた頃に書いて載せたもので、そのサイトのクローズ後もこれらの作品には愛着があり、2011年に現ブログに再掲載しました。
全部で8つの物語があるうちの1つで、他のお話も★「ものがたり」というカテゴリに入れてあります。
……さて、物語は創作であり、寓話のようなものなので、メタファーを散りばめたり、概念をストーリーで表現したりしています。
たとえばこの物語の「☆さん」のように「私の人生の目的は何だろう」と自ら気になる人は、自分自身でそれをある程度認識している、思い出しているのであり、それを「自覚的・意識的に」活用していきたいと思っている可能性があります。
逆に、何らかの理由で、今回あえてそういったことを(自覚的に)思い出さない設定を創っているという場合、その人は自ら「人生の目的」というテーマに惹かれることがありません。
こういった記事に興味を示して読むということも、きっとないでしょう(笑)
もちろん、何らかの「変化」が訪れて、途中からそういうことに興味を示す人もいます。
すべては、本人の「意思」と選択次第です。
ただ、ここでわかっていただきたいのは、霊性、スピリチュアリティーの分野にことさら興味を示す人が「より進化している」とか「より良い」というわけではないということ。
ひとりひとりが今回の自分として深めたい目的を定めていて、それに沿った興味を追求するのがちょうど良いのだ、ということです。
“人生の目的”に対して抱きがちな観念
◇「シナリオ」を探そうとする
そして前者のように「自覚的に人生の目的を思い出したい人」の場合でも、
「…何才までにはこういった仕事をするのが使命で、何才頃にはこれこれこういった状態になっている。そして、何才にはそれまでの仕事を引退。以降、第二の人生で、農業を通して自然の叡知を学ぶとともに、人々にもそれを伝える……」
などなど、「決まったシナリオ」があると考えるのは間違いです。
まず、ひとつは、私たちには自由意思と選択があり、「並行現実」も多数あるということ。
そのどれが「今認識しているあなた」の現実になっていくかは、その都度あなたの意思が何に向かっていくかの結果であり、「必ずこうである」と定まっているものではありません。
◇決まった形を探そうとする
もうひとつは、「人生の目的」と呼ばれるものが、形ではなく「質」を表すものであることも多いということ。
個人差はもちろんありますが、説明のために例を作ってみると、
おおまかに「創造性を表現する」ことをテーマに選んだ場合、その人は常にそのテーマを心に保持していますが、その「やり方」は色々と候補があります。
たとえばファッションや美を通して創造性を表現するかもしれないし、絵を描いたり音楽をやったりして創造性を表現するかもしれません。
あるいは、「霊性」の分野に興味が向いて、その分野の中でチャネラーなど何らかの形を取りながら、人々に向かって創造性を表現するかもしれません。
それらのどの選択肢をとっても、その人の根底にあるのは「創造性を表現する」というテーマなのだ、という共通項が見て取れるでしょう。
ところがこの人が、「唯一の使命」とか、「必ずこれだという職業・生き方の形態」を探すという考えに固執してしまっていたら、「自分の人生の目的の“正解”はどれなのか」と、不安になってしまうかもしれません。
「形」だけを見るとバラバラで、定まっていないように見えるでしょうから。
単純に言って、あなたの心が満たされるもの、充実していると感じるものは、すべてあなた自身のエネルギーに沿っており、必ず「人生の目的」を満たす1ピースとして貢献しています。
また、あなたが途中で、「このテーマはすでに十分堪能できたようだ。次は、こういうこともしてみたい」と考え、同じ人生の中でさらに別のテーマを探究する可能性もあります。
すべてはあなたの意思次第で、それを決めているのは自分自身なのだと思い出してください。
◇想像以上に自由で、広い目的
さらにもうひとつ、「人間の考える“有意義さ”であるとか、“目的”の概念が限定されている」という点も注意する必要があります。
たとえば、レジャー目的で地球体験をすることも、あり得ます。
観光地を訪れるような感覚、休息や新鮮な遊びの感覚、それによって地球を選ぶこともあるでしょう。
あるいは、あなたの内に同時にある他の人生へのエネルギー的な準備(バランス)として、「地球の肉体を体験してみて、慣らす・調整する」ということもあり得ます。
このとき、他の人間の目から見ると「あまりに早く亡くなってしまう」という場合もありますが、その当人(存在)にとっての目的は果たせているのです。
もちろん、どんな計画においても周囲への影響も考慮されており、そこに関わるすべての存在の「合意」が成り立っています。
どのように気づくか
では、他者から「自分の人生の目的」について指摘を受けたり、教えてもらうことは?
これについてはどうなのでしょうか。
他者を通している出来事も、やはり「すべてはあなた自身の意思に従っている」ことを思い出してください。
あなたが興味を持って、自らやりたいと感じて行うことは、何でもOKなのです。
たとえば、人生の目的について人と話したい、セッションを受けてみたい、参考になる情報がほしい……そう感じたなら、その行動と経験はあなたを助けてくれるでしょう。
ただし、あなたがヒーラーなり、霊能者なり、偶然出会った人なり、何かの先生なり…を通して人から指摘された言葉も、すべて、あなた自身が「自分の心の中で、自分自身がこれだ!と感じるかどうか」を確かめる必要があります。
自分の心に一致しないものであれば、その人はそう感じたんだな、ということで、あなた自身の考えとしては採用しなければいいだけです。
あるいは、誰かの言葉によってあなたの心が大きく動揺したり、感情が出てきたりしたなら、自分が何を信じているか、どんな恐れがあるのかしっかり見る機会にすることができます。
また、後から「あー、あのとき指摘されたことは、今になるとわかるなぁ」と気づくこともあるように、たとえ適切な指摘を受けても、そのときの自分には受け入れられなかったり、意味が通らなかったりすることも、あり得ます。
そういったことは、ふさわしい時期にあなたの中で腑に落ちることになりますが、それまでは忘れてしまうかもしれません。
いずれにせよ、自分自身が体験したり、心から納得したり、理解したことだけが腑に落ちるということは、どの情報に関しても変わりません。
私たちはそれぞれ、自分の受け入れたいことを受け入れ、どんな影響を受けることにするかという中身も自分で決めています。
ですから、何かが「今」のあなたに助けになるのであれば、活用すればいいことだし、もし「今」のあなたにしっくりこないものがあっても、その経験自体には意味があったということです。あなたの活かしたいように活かせます。
どの情報も、あなたが選択しなければ、あなたに届けられることはありません。
どの経験も、そのときのあなたに何かふさわしいところがあり、自分の望む方向へ役立てることができるということも覚えておいてください。
☆☆☆
目覚めた視点で人生を眺める
「日常」の多くのことに没頭しているとき、「人生の目的」などという考えは少し仰々しかったり、現実感を伴わない感じがしてしまうこともあるかもしれません。
でも、あなたがこの個性を持ち、この人生を肉体を通して経験することは、永遠に続くことではなく、あなたもいつかは人生を終えて地球体験から「ログアウト」します。
(※今も、睡眠中などを含め、たびたびログアウトしていますが。)
ときには、「逆の視点から」見てみてください。
誕生から今があるという視点の逆で、未来から、この世界を「すでにログアウト済みの」視点から全体的に見てみるのです。
この人生で、私は何を望んでいるのだろう。
何をしてみたかったのだろう。
そう自問し、考える時間をとってください。
それはきっと、あなたの人生の焦点を整え、よりいきいきと「今」を「目覚めたもの」にしてくれるはずです。
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