なんだか英語学習の訳語調なタイトルでこんにちは!
「しばしば」って、日本語の会話ではあまり使われないけど、
「often」の訳語でよく載ってるよね…。
私は高校時代の真ん中1年間、アメリカの高校に留学生として留学し、
アメリカ人のホストファミリーと生活しました。
もちろん自分の意志で行ったのですが、確固とした動機があったわけではなく、
なかば思いつきでした。
でも一度思いついてみると、そのようにものごとも自然と動いたし、
私自身もその方がいいと思う当時の理由が色々あったのです。
留学先を選べるシステムではなくて、決まった行き先はケンタッキー州。
それも、地元の細かい地図でないと載っていないような田舎の小さな町でした。
本当に何もない田舎で、といって緑あふれる自然暮らしというのともまた違う…
アメリカの田舎をご存知の方なら想像がつくかもしれない、
車がなければ何もできない感じの土地でした。
南部(南東部内の南寄りの地域)だからか、私のいた地域や学校はほぼ全員白人で、
黒人の住む地域や学校は分かれていて、アジア人は皆無。
完全にゼロ!でした。
今のように日本のカルチャーが若者にうけるということもなかったし、
インターネットもまだ一般へ普及しかけている途中の段階で、
こんな田舎の学校では、「日本にはニンジャはいるのか」とか、
「生の魚を食べるって本当か!?」などという質問にもあうくらいでした。
もちろん、日本と中国の区別がつかない人もたくさんいましたし。
こんなことをいちいち書いていると、エピソードが書けなくなってしまう(汗)。
的を絞ります(笑)。
私の滞在したおうちは夫婦に子供4人。
お兄さんはすでに結婚してシカゴに住んでおり、お姉さんは州内の大学の寮へ。
私が実際に毎日を一緒に過ごしたのは、私の1歳下の女の子と、
当時13歳だった女の子とでした。
そして、着いてみると、
私は13歳の末っ子の女の子と部屋をシェアすることがわかりました。
それ自体には、特にどうという感想も持たなかったのですが。
…察しのいい方はこれまでの書きっぷりで、私の留学体験が、当時の私にとって
あまり愉快なものとはいえなかったのだとお気づきでしょう(笑)。
この女の子との相性もそうなのでした(笑)。
彼女、物言いがはっきりしていて毒舌で、キツイ性格。基本わがまま…というか、
我が強い。そして、プライドが高い。
プライドに関しては、家族全体の持っているカラーだったと思います。
ただでさえアメリカ文化や、アメリカのティーンエイジャーにおされがちだった私は、
苦労しました(笑)
考えてみれば、日本でも13歳って微妙な年頃ですよね。
そんな年頃の子と、外国人が急にひとつの部屋で寝起きするんですから。
外国人っていってもね、
この家族は、実は私の前にもドイツ人の女の子の留学生を受け入れており、
楽しかったからまた受け入れ先になることを決意したそうなのですが、
ヨーロッパの文化って、そうはいってもアメリカ白人の文化と、
まるっきり違うとは言えないものでしょう?みなもとは一緒というか。
それは、私の到着1ヶ月後に急遽、私の1歳上のポーランド人の男の子も
同じ家で引き受けることになって、一緒に暮らしてみてよくわかりました。
確かに彼も留学生だったけど、アジア人とは違うのよね~。
とにかくとにかく、彼女の方はどう思っていたかわかりませんが、
私にとっては彼女の存在は悩みの種でした。
学校でも苦労してたけど、家に帰って部屋に入ってもくつろげねぇ~(ため息)。
いや、正直、当時の自分と今の自分のメンタリティーがかなり違うために、
こうやって書いていると一体どこが悩みのポイントだったのか、
はっきり思い出せないのですが(びっくりだよ)、
その当時の自分の胸中の、もや~んとした暗い雰囲気は思い出せます。
その重苦しさといったら、「ホストチェンジ」といって、
留学を世話した組織のカウンセラーに相談し、
ホストファミリーを変えてもらうことを実行に移したいと
申し出たくらいだったんです。
結局ホストファミリーと気まずくなっただけで、却下されたけど。
さて、ようやく本題に入れます。
私が精神世界のお仕事に携わるようになってから、しばらくして、
彼女のことがよく思い出される時期がありました。
夢に出てきたり、日中ふっと思い出したりする。
留学体験を思い出すのがつらかった頃は、当時のメンバーが出てくる夢というと、
後味の悪いものばかりでした。
なのに、夢の中で彼女が屈託なく笑っていたり、一緒に楽しく遊んでいたりする。
目覚めても、すがすがしい感覚でした。
そんな不思議な時期を通りすぎて、今。
私はやはりときどき彼女を思い出し、あることに気づきます。
今の自分が、彼女のことを非常によく理解できるということに。
家族からもあきれられていた彼女のワガママや、
偏食ともいえる食習慣、奇妙で絶対的な嗜好の数々。
(彼女はかなり細身だったが、すごくよく食べた。自分の好きなものだけは。)
ひねくれた態度や、毒舌、学校でも陰口をたたかれてしまうプライドの高さ。
ぜーんぶ、意味がわかる。はっきり言って。
まず、食事のことは、私自身が体を壊して、
何が本当に自分の体のためか、体の声を真剣にきくようになってから、
「世間からみたら偏食。でも正しい」という食べ方があるのだとわかった。
彼女の“偏食”が、どう彼女の体に役立っていたか、今の私には感覚的にわかる。
彼女のとっていた態度は、家族全体のダイナミクスを眺めると、
いかにふさわしいものだったか、これも今の目でみるとよくわかった。
そして、彼女があの家族の中では、際立って素直で、
お仕着せの価値観からちょっとはみ出ていて、
思春期という子供と大人の狭間にある成長期の中で、
精一杯疑問や不満をぶつけていたのだということも。
「嫌いな人はしばしば自分そっくりなものである。」
彼女はもしかしたら私とよく似ていたのかもしれないと思う。
そのくらい、今振り返れば彼女の気持ちが自然に感じられる。
当時の私にそれをわかれと言っても無理だけど(笑)。
そういえば、私たちは年こそ違えど同じ誕生日だった、偶然に
今となっては、たくさん過ごした日々の中で、
ほんの少しだけあった心の通いあった瞬間や、
楽しかった出来事を思い出します。
☆☆☆
こういうブログを読んでくれている人は、もしかして周囲に嫌いな人がいたら、
自分の内面をじっと見つめたり、色々考えたりして、
努力して相手を好きになろうとするか、自分を変えようとする気がするんだけど。
(そうでもない?)
無理をしなくてもね、時がたてばその人のこともきっと理解できるようになるよ、
今は嫌いだって思う気持ちがあっても、それを押し殺さず、
瞬間瞬間から目をそむけずに、ただカメラのように心に記録していけばいい。
私はそう思います。
☆スピリチュアルカウンセリング☆