今月は、「闇LOVE月間」という言葉などつくり、
ベースの地ならしをしてきました。
★「闇LOVE月間(無ベースから有ベースへ4)」
ここにきて、ひとつの峠を越えたように思います。
先週、こんな出来事がありました。
暦の上では春ですが、電車待ちのホームはかなり寒く、
私は、暖をとるつもりで自販機であたたかい飲み物を買いました。
手にじんと熱の伝わってくる物を期待していましたが、
ガコッと自販機から出てきたそれを手にとると、ほとんど温度を感じない。
実際、開封して飲んでみても、
冷たい飲み物と断言はできないが、あたたかい飲み物とは言えない
…という、温度。
あれー?と思いながら自販機を見ても、以前のように、
節電のためのモードになっています
というような注意書きも、もう貼られていない。
通常どおりのようだけど…?
自販機、壊れてるんじゃないよね?
係の人もいないしなぁ…
ちょうど入れ替え後のタイミングだった?
あーあ、
あったかいのが欲しくて買ったのに、がっかり…
というような気分、アンラッキーな気持ち、もっと言えば無力感、
「不当なことが起こったという思い」が湧いてきたその瞬間、
はっと、私は気づいたんです。
当たり前、とか、当然だ、という思いほど、注意すべきものはない。
当然、がっかりするよね。こんな風に感じるよね。
そう思う間もなく、
「こんなことで自分の価値を、気分を、決めてしまうのか?」
という問いかけが同時に起こり、
そんな自分の思いをきっかけに、ばーっと、再構成が始まりました。
(詳細は書きませんが、自分の持っているたくさんの観念が見えました。)
本当にそう思うのが当たり前か。
果たして、それで当然なのか。
当たり前、なんてどこにも存在していない。
その方程式、価値観、判断、反応を自分が選び、決めているだけ。
「当然○○になるはず」
「こういうことが起きたら、こう思って、感じて、当たり前」
どれも、自分の選択なのです。
自分でそうはっきり、決めているのです。
いつもいつも、そうなのです。
私は自覚しました、思いや反応をコントロールし、
どこかへ強制するためではなく、
ただ鮮明に、気づいたために。
私は、私自身の自由によって、決定し、感じているのだと。
観念、価値観から始まり、何もかもを、選んでいるのだと。
すると、自分も、どの人も、
みんなその状態を選択しているだけ、
それぞれの価値観に従って判断し、表現をしているだけだとわかります。
すべての人が、すでにその自由を享受している。
このことを自覚すると、
あなたは何を経験し、どう思おうとも、
好きなだけ泣いたり笑ったりしようとも、
あなた自身の完全な自由によって、それを満喫しているのだと気づくのです。
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