BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

そして、シフト

この記事は前回からの流れにつづきます。
「地球人生を経験するという、ポジティブな制限(意図)」

beats-and-love.hatenablog.com

そうこう書いているうちに、シフトがやってきました。


予兆はありました。
自分の状態や体験している状況、それに、
最近は、夢にもそれはあらわれていました。

夢は特に、しつこく私に同じメッセージを見せていました。
それは、怖れや余分なものをただちに手放せということを伝えていました。

今が、変化のときであるということも。


そのためには、私は、怖れを把握しなければならなかったのです。
私は感覚的に、エッジ(きわ)に立っていました。


そして今朝、ものすごく久しぶりに、
霊的な(肉体でない状態での)、怖い体験がありました。

といっても、途中で思うところあり、もう「怖くない体験」になったのですが。
これが、かなり「トリガー(引き金)」になった気もします。


☆☆☆

午後、汗をかきかき家の中で掃除機をかけていたときのことです。

何度か書いてますが私の場合、
掃除しながら同時進行で心の掃除が行われていることは多く、
変性意識状態に入っているということもあると思います。


ふいに、頭のネジが1本飛んだような感じ、
…といってもそれはそんなにおおげさなものじゃなくて、
今までの思考や感覚の延長上なんだけど。

ふっと、

頭に詰まっていたコルクが抜けたような感じで。


あることを悟りました。


それは怖れの本質についてです。


「なんだかんだいって、私は自分におびえているだけなんだ!」


☆☆☆

怖れの対象は外にはないとか、今まで散々ブログに書いてきましたが、
ここまで自分の体感として「一致」したのは初めてでした。

「私は自分におびえているだけ」

これは、「私とあなたはひとつです」とか、「ワンネス」、とかについて
説明しようとしているのではありません。


スピリチュアルな概念を説かなくても非常にわかりやすいことです。


なんだかんだいって、この人生を体験し、感じていくのは「私」。
あなたの人生もそう。何があっても、それはそうですよね。


ということは、私たちが怖れているのは、一見、
「こうなったらどうしよう」「これは嫌だ」「これは苦しい、つらい」
等々、色々な「外」を介した出来事や状況、環境を指しているように見えますが、

違うのです。

自分がそれらに対して思うこと、感じることが怖いのです。


つまり自分自身が怖いのです。

なんだ、モンスターは外にはいない。
自分じゃん。


☆☆☆

過去、私はコース(A Course in Miracles)などを引用しながら、
本質、同じことを書いていましたが、

今日のシフトの方がオリジナルで、自分流で、理屈のいらない感じ、
ああ、これがこの間から記事にしていた
「レベルアップ」「大人になるということ」だ、と思いました。


うまく説明できているかどうかわかりませんが…。

これはちょうど、連日テーマにしていた「ハイヤーセルフとしての自分」
の話題と続いているんです。


私は昨日、
アセンション(上昇)よりディセンション(この次元への降下)の感覚が私には重要」
と書きましたが、

これで言いたかったのは、あなたの視点を置いているのはどっち?

本体(自分)と思っているのはなぁに?

ということなんです。


立ち位置、視点、アイデンティティー。


今日のシフトは、ちょうど、
自分の体、心、と信じていたものと、自分の区別と言ってもいいかもしれません。

この世界の夢ベースにプログラムされている心と、そのあらわれである体、
これと私たちは自分を同一視していました。


「主」と「従」の関係で説明するならば、
「私」があってはじめて、心や体は存在し、「従」になるのですが、

力関係が逆になっていたのです。


その結果、私たちは自分のプログラムに従った感じ方や思い、考え、
言い換えればもとにある観念を保ち、それに力を与え、

自分がそれ(心、体)をそのまま動かしているとも知らずに
「従」の方に翻弄され続けたのです。

「主」が自分であることをうまく隠して。


☆☆☆

今朝の霊的恐怖体験(笑)ではじめてよく考えたのですが、

自分が、肉体でもなく、霊体(これも形のイメージで)でもなく、
ただ在るものであるとすれば、

一体何が恐怖なんだろう?


少なくとも、ここで生きている私たちにとって、
その事実が本当だと思えたら、

あとは、「味わう感覚が怖い」ということ、そのものではないか?

つまり自分の思いや感情、感じ方が怖いのではないか?


でも、そうやって味わっている思いや感情、感覚すら、
自分の「お借りしている」プログラムのようなもの(観念)に基づいて
湧いているものなのだ。

それは絶対的なものではなく、変更可能で、
「核」の私は、それとイコールではない。

つまり自分が何であるかを知っていれば、怖れの対象は、ない。
いつでも、そうなのだ。


☆☆☆

今日のシフトは、私が今まで体験した中で、いちばんさりげなく、
それでいて、ずっと欲しかったものでした。

「地球に属する私」からのズレを、明らかに感じました。

そこに隙間があいた、しらふになった、あぁ、自分の目を取り戻した、という感覚。


それは力がみなぎる感じでも、ワクワクする高揚の感じでもなかった。
至福でもなく、安らぎでもなかった。

もっとさりげなく普通だった。

何が近いだろうか…
植物、花、天体、
ただ育ってゆく…すこやかな…

そういうものに近い、

ものすごく「そのままで」、あたりまえで、クリアーであるだけ。


私は私のままですが、決定的に違う。

そんな体験でした。


ひとまず、今日はこれで。


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