すべてちょうどよく起こっている。
「現地点」を信頼していないと、私たちは足場を失ってしまう。
現在を否定することが、そこにあるギフトをわからなくするのだ。
変化していないものは何もないのでは?
だとしたら、私たちは一体どうやって「善悪」を決めるのか。
さなぎになっている虫を見て、
「なんて無様な形態なんだ。おまけに、動けやしない。
生きているんだか、死んでいるんだか…あわれなものだよ。」
こんなことを言うのがいかに馬鹿げているか、
私たちは知っている。
すべてが変化しているのなら、
その一部分を切り取って、評価することに、何の意味がある?
そして、なぜときに人は、未来の悪いことを想定し、怖れるのだろう。
悪いこと…それは一体なんだろう。
善悪という言葉を使うなら、すべてが善に向かっていると考えるのは、
そんなに愚かなことだろうか?
善悪という言葉はふさわしくないかもしれない。
言い換えよう。
いのちのダンス、そのリング、祝福の中から外れることは決してない、
と考えるのは、危険なことだろうか?
あなたは生命…それは肉体を意味するものではなく、
もっとひろいものを意味する…
生命の流れそのものを、信頼していますか?
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