先に書いておきますと、この記事は、
「物質世界」を切り離して考えるためのものでも、
否定するものでもないんです。
どれもひとつで、つながってるんだけど、
今回テーマにしたいのはその役割分担というか順序というか。
今日のタイトルは「物質世界の限界」です。
☆☆☆
ここ最近の私は、“思考する思考”があまり働かず、ぼーっとしてます。
周期的なヴォイド、一時的なものかなって思っていますが。
どういう状態になっているかというと、
よく言えば、「お悩み」や「こんがらがる思考」に前ほど入っていけなくなりました。
よく言えば、ですよ。
べつの言い方をすれば、単にそこにエネルギーが持っていけない。
どっかショートしたのかもしれない…。
途中まで同じ回線をたどりかけて、スパーク!みたいな。
エンジン、そこまで持たない!→エンスト!みたいな。
一方で、直観とかインスピレーションというのも、
やはり自分の思考という形で自然に入ってくるもので。
(↑このこと、何度か記事に書きましたけど、それゆえに、
直観やインスピレーションをしっかり受け取ってるのに、
そのさりげなさに、自覚してないというときもありますね!)
それはまるで、どちらかというとエネルギー使わなくても、
「自動再生」みたいに勝手にひろがるわけですが。
(だから、「ただわかる」、みたいな言い方をするときもあるんですね。)
こういうのを、自分の直観と受け取ってもいいし、
源泉なりハイヤーセルフなり天使やヘルパー存在なり、からの、
サポート、サイン、メッセージであると受け取ってもいいと思います。
っていうか、持論ですけど、それは両方なんだよね…。
私は今日の午前中、非常にさりげない形で、
ちょっと意外な、そういうサポートを実感する出来事があり
「う~ん。やっぱ天使(or 直観 etc.)ってすごいなー!!」
と、うなったばかりです。
色々言いつつ、私が天使の話題を好むのは、
まず、自分自身の内なる感覚と天使との間に、
特に違い、違和感を感じていないのと、
(どこかで昔、少し記事に書きましたが、
「ああ、天使ってこれのことだな」とわかる存在を、
自分が体験していた記憶もあります。そのうちまた書きますね!)
あとは、「自分の直観すごーい!☆」となるよりも、
その送信主、sender というか…協力している存在を認識すると、
あぁ、色々助けられてるなぁ…と、
しみじみ感謝の気持ちが湧くから、です☆
そう、いずれにせよ、
自分と捉えようと、別の存在と捉えようと、
そこに分離感はないんです。たんに角度の違いね。
…話を戻して。
そんな風に、日常どっぷりのフォーカスからちょっと外れて、
“自動再生”の、ひろく透明な、入ってくる感覚に自分をまかせているとき。
すごく、「物質世界の限界」というものに気づくんですね。
これが、冒頭の、注意を喚起した文章につながるんですが…。
それはね、
ここですることに意味がないとか、
すべて意識の世界で行われるのだから、
行動しないでただ座って待てばいい、とか、
そういう話になるのではなくて~。
むしろ、どこに主眼を置いて行動するか、なのです。
こっちの(物質体験の)世界って、現象化した世界でしょ。
どっちが先か、源はどっちか、っていったら、
形が無い方のが先でしょ。
「因」のほうをすっとばして、
「結果」だけをどうにかしようとあがいたって、
それは力ずくのたたかいとなり、
うわべだけのなだめとなり…、
日常の些細なことでも、これって当てはまるんです。
つまり、物質レベルだけを見て、常識の範囲で、働きかけても、
限界があるということなんです。
現象化してしまったものに、同じレベルで対抗しても、
表面をさらうにすぎない。付け焼刃。
「別の目を使う」
そして、別の手足…
それは「身体の現実」ではない手段、
意識や心、エネルギーの手段を、使う。
これが、今私に送られてきてるメッセージです。
いや、メッセージというより。
それをもはや、想像や仮定、「…信じてみようかな?」
の領域にとどめておくのではなく、実用的な話であるということ。
すでに信じてないやり方を、“だらだら食い”するのはやめて、
それを主眼にしたら?ということ。
もうはっきり認識する時間だよ、
そう言われているのかもしれませんね。
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