こんばんは!
今日も連載中のお話を続けますが、もしかしたら、
日本神話自体あまりよく知らないし、こういうテーマは難しいな…
と感じる方もいらっしゃるかと思います。
でも、ご興味持っていただけたなら、
詳細がよくわからなくても、知識がなくても全然OK!(^∇^)
私が記事を書いている目的として…
“歴史”として教えられていた情報の中には、
公になっていることと・なっていないことがあったり、
あえて違う形で伝わってしまっているものもあって…
私たちの暮らしに密接している行事や、考え方や、神社や遺跡…
そういった身近なものの中に、実は、
「公式」になっていない方の情報の息吹もしっかりと生きているんだよ、
とお伝えしたい気持ちがあるのです。
今日のタイトルは、「大国主、やまと、とよ」です。
☆昨日の記事☆をアップした後の夜、
私は、「オオクニヌシ」とされている存在のエネルギーを感じていました。
今回の記事を書いていく過程では、
私は、自分で予測をたてて調べものをする他に、
見つけた情報を吟味する際にはエネルギー的な感覚に頼っています。
おおげさな言葉でいうと「透視」ですが、
つまり、自分の感じている情報が、探しているものと一致しているか。
それをもとに、膨大な情報、多くの方々が提供している考えを選別してます。
そして、ある仮説に共鳴はしたものの、もし一部でも、
もやっと引っかかるところがあれば、その部分は保留にして様子を見ます。
まるごと信じるのではなくて、もっとピンとくるものを待ったり、
別な方面からもじょじょに検証していく感じです。
☆☆☆
オオクニヌシとされる存在のエネルギーを感じたときも、
感覚を研ぎ澄ませて、そのとき考えていたテーマと重ね合わせ、
これはチャンスとばかりに検証してみました。
昨日までに書いた記事の流れですでに、
私の中にはある仮説が生まれていたのですが、
その仮説の中で、よくわからなくなってくるのが、この方でした。
出雲大社の祭神で、
大国主、大己貴(おおなむち)、大物主など多くの呼び名をもつ…
(写真はウィキペディアより拝借。出雲大社にある大国主の像。)
…ああ、このお方は!!
写真を見て、びっくり。
なんと、私が初めて、
「日本神話に出てくる存在はいるんだ!」
と、わかったときの富山旅行の体験の…
◆「誰もがあたらしい」
↑この記事の後半部、富山旅行のエピソードが該当します。
あのとき、見えた方にそっくりじゃないですか!!
こんなところに、いらっしゃったー!?(再会の気持ち)
先にご説明すると、この方は、スサノオの直系の子孫です。
子か、何代か後の孫か、その描写は色々あるようですが、
時期を考えると、数代後の方なのではないかと私は思っています。
富山旅行の道中で、車移動の中からでも、
あまりに強いその「気」が満ち満ちていたために…
日本神話に出てくる存在の実在性をまったく信じていなかった私でも、
認識することができたほどだったのでした!
そのときの旅行は、富山県と石川県の両方を巡る旅行だったのですが、
私がその強い“気”を感じた現場は、富山県の中を移動していたときです。
後になって、私は不思議に思ったものです。
富山県という場所が、はたして私の感じていた存在と結び付くのかどうか?
それが誰だかわからなくても、見えた姿から古代の存在だとわかっていたので、
なんだか意外すぎて、この点を疑っていました。
けれども…
かつての出雲の勢力は、昨日までの記事でもご紹介したように、
かなり大きく広がっていて、北陸や関東の方にも及んでいたようなのです。
さらに、大国主について調べてみると、
◆「大国主 ウィキペディア」
石川県にも該当神社があるのですね。
さらに…
話を昨夜に戻しますと、私はあることに気づきました。
大国主のエネルギーが、ヤマトタケルのエネルギーと重なっている!?
同一人物!?
あれ、でも、なんか変…(・_・;)
昨日は、武内宿禰がヤマトタケルと同一人物であるとご説明しました。
その武内宿禰のエネルギーと、大国主のエネルギーは一致しない。
なのに、オオクニヌシとヤマトタケルのエネルギーは重なる。
つまり、武内宿禰=ヤマトタケル、大国主=ヤマトタケル、
と言えそうだけど、武内宿禰=大国主とは感じられない、ということ。
大国主を感じていると、浮かぶヴィジョンがあって、
それが東国に遠征しているときのヤマトタケルの情景となんだか被るのです。
気になってしまった私はさっそく調査し、こんな結論にたどり着きました。
ヤマトタケルとは、
複数の人物の功績を1人の人物の物語にして表したものである。
つまり…
●九州で熊襲を撃った英雄、ヤマトタケルの人生前半のモデルは、
武内宿禰。
●東国に遠征したヤマトタケルの人生後半のモデルは、
大国主(出雲系)。あるいは、出雲軍そのものを指す。
ヤマトタケルのストーリーは、ひとりの人間の人生ではないのですね!
そして、
スサノオの「天叢雲剣」を譲り受け、「草薙剣」としたヤマトタケルは、
当然、スサノオの子孫の方だったのでした…。
☆☆☆
これでようやく、繋がったことがありました!
前回の記事、「気比神宮」のエピソードから急に気になり始めたのが、
大国主の「国譲り」の話なんです。
私は、武内宿禰がヤマトタケルならば、スサノオの子孫であるはずだよね。
と思っていたので、そこがわからなくなっていました。
なぜなら、武内宿禰は、「蘇我氏」の祖なのです。
この後、蘇我氏は「大王」として国を治めていきます。
つまり、天皇系図の中で「応神天皇」とされているのは武内宿禰、
以前ご説明したように、初代「神武天皇」とされている人物もそうです。
後の記事で、「大化の改新」について書きますが、
蘇我氏は、大王(すめらみこと)の系統になったのでありました。
(はじめて聞くと、この点が、かなりの衝撃かもですが… )
そう考えて時代の流れを見ていけば、むしろ、
武内宿禰は出雲勢力から「国」を譲られた側になります。
と、いうことは…スサノオ系では、ない。
そういうわけで私は迷宮入りしていたのですが、
ヤマトタケルが武内宿禰と、出雲の大国主ら両方を指すと考えれば、
すごく納得がいきます。
まとめながら、より大きな流れをご説明すると…こうなります。
武内宿禰(=猿田彦、興玉神、住吉大神、塩土老翁、神武天皇、応神天皇)は、
卑弥呼の後を継いだ女王「とよ」を妻に迎え、やまとの中心勢力になっていました。
諸説あっても、邪馬台国は、「やまと」だと私は思います。
場所は近畿説が有力だそうですが、元は、北九州にあったのかもしれません。
武内宿禰は九州を平定した「ヤマトタケル」ですから、
和平のために卑弥呼の系統の女王「とよ」を妻として迎えたのではないでしょうか。
これが、「おんだ祭り」をはじめとする、夫婦和合の伝承ではと思うのです。
私が思うに、天狗とお多福の夫婦和合の伝承は、
ただの夫婦和合のお話ではありません。
おそらく、
ふたつの勢力がひとつになったという和平を伝えているのです。
そして、その一方は卑弥呼で有名な女王国でした。
こう見ていくと、気比神宮を例に挙げても(昨日の記事の後半を参照ください)、
そこに祀られている存在が明らかになってきます。
「仲哀天皇」→架空の人物で、実在しません。
「神功皇后」→架空の人物ですが、「とよ」を暗示する性質を多く持ちます。
「玉姫命」→同じく「とよ」だと思います。
「日本武尊」と「武内宿禰」、「応神天皇」→同一人物です。
主祭神の「いざさわけ」が元々何だったのかはわかりませんが、
応神天皇が名前を交換するエピソードからわかることは、
応神天皇と「いざさわけ=御食津大神(みけつおおみかみ)」は一緒。
同じ人物を暗示しているということです。
そして、御食津大神の中に「豊受大神」という神がいるのですが、
ここでも、武内宿禰と、とよの夫婦を見ることができると思います。
ちなみに、大国主=大物主=ニギハヤヒは、物部氏の祖先です。
学校で習った日本の歴史観がくつがえってきたら、うれしいです~(笑)
今日はここまでにします♪
★スピリチュアルカウンセリング個人セッション(対面、スカイプ、電話)★
「個人セッションのご案内」