こんにちはー!(*´∇`)ノ゚.:。+゚
今日は、「観念が解体されていく♪」と題しまして、
5/24の「観念書き換え教室」講座のご参加者suzuranさまからいただいた、
ご感想を紹介いたします☆
(講座情報やご感想は、テーマ別「イベントのお知らせ・ご感想」から読めます。)
★★★
masumiさま
先日はまた受講させていただき、ありがとうございました。
このところ ずっと携帯電話の調子が悪く、お礼と感想をお伝えするのが遅くなってしまいすみませんでした(と言っても私は大して立派な感想など述べられないのですが…)
やっぱりやっぱりイメージするのが苦手で、両手を使っての「イメージして、それを自分の胸の中へ戻す」という作業も、(※実習の)相手の方が上手に誘導してくださったにも関わらず、もうその場しのぎの口から出任せを言って嫌々終わらせた、という感じでした(ごめんなさい!)
でも、意外と、その咄嗟に口をついて出た言葉が、深く考え過ぎるよりも核心をついている?(ちょっと違いますね、ボキャブラリーが貧困でドンピシャリな言葉が見当たらずすみません )と後から何となく思ってみたり…。(でもこれは自分の都合のいいように思っているだけかもしれませんね)
masumiさんが私に発言を促してくださり、「それは観念ですか?」と聞かれ、その時の自分はそうだと思っていたのですが、
他の方のご意見を聞いて、「あっ、観念って、もっともーっと深く掘り下げて見ていって、(例えば何か物をどんどん解体していくように)その本質は?を見ていかなくてはいけなかったのかもしれない」と思いました。
(それは個人セッションでもmasumiさんに教えていただいたことがありましたよね)
イメージ化は苦手だけれど、自分の心の動きを冷静に見つめる、感じるのは割と出来ている方だ、なんて思っていたのですが、同情してほしい、自分を正当化したい、また人を見てひがむ気持ちを持っている自分を見せつけられる出来事も最近頓にあって、相手は自分の鏡、全ては自分が招いていること、と思うと、またそこでガーンと頭をはたかれた気持ちになったり…。
自分の中で揺るがずに持っている気持ちでわかっていることは、
「人間でいることってホント疲れる、面倒くさい」ということだけです(笑)
(ヤな奴ですよね、私って…)
長文メールですみません。
masumiさんにとって不愉快な感想でしたら本当に申し訳ないと思うのですが、本当に一感想として流し読みでもしていただければ幸いです。
次回の内容として考えていらっしゃるという『人間関係』にもとても興味があります。
また都合をつけて参加させていただけたらいいな、と思っておりますので、その時はどうぞよろしくお願いいたします!
★★★
いただいたご感想のお礼をお伝えする際、私からsuzuranさんへ、
ご感想の中にあった、「人間でいることってホント疲れる、面倒くさい」。
この部分もまさに「観念」が絡んでいて、これが外れるととても楽になりますよー。
というのも、私も過去にはまさに、そういう思いを持っていたんです。
(記事に書いたこともあったので、該当する過去記事を探してみたのですが、
今見つけることができませんでした。どこかにはあると思うのですが!)
…とコメントさせていただいたところ、suzuranさんから、
「何もかも面倒くさい」なんて言いながら、その観念を外すのが実は怖くて、
ガッチガチに握り締めているのは自分なんじゃないの~?なんて、
自分に茶々を入れたりしている近頃の私です(笑)
との、楽しいお返事もいただきました!(^∇^)
遊び心をもって、自分に茶々を入れるというのはキーなんですよ。
そんな風に笑えるとき、
その「観念」と「自分」との間に、すでにもう、距離があるということですから。^^
これについて、講座では、
観念と自分とを同一視しないこと、というお話でお伝えしましたね☆
それから、ご感想文中の、
「でも、意外と、その咄嗟に口をついて出た言葉が、
深く考え過ぎるよりも核心をついている?」
この部分は、その通りだと、私は思います。
想像することが難しかったり、イメージできないという苦手意識がある方は、
「自分がつくってしまっていないだろうか」
「ちゃんとできているだろうか」
という、ご自身による検閲が厳しすぎることがほとんどなんです。
ですから、かえって「えーい!ままよ!」とばかりに、
とっさに口をついて出た描写や、「こんな感じかな」というあやふやな描写が、
「本当にイメージできていて、自分に見えていることなんだ」と、
ひとつひとつ認めて、「私も、すでに受け取っているんだ。」という
自信につなげていく必要があるんですよ。
最後に。
suzuranさんも書いてくださったような、
人間でいることって疲れる、めんどさい…
という思いは一見、人生にまつわる重たく「根深い感覚」のように見えますが、
この思いの根源にある観念もやはり、ひとつの観念にすぎませんので、
そう気づいたときには、あっけなく外れてしまいます。
すでにもう、解体は始まっていることに気づいていらっしゃるかな?
suzuranさん、ご感想と、掲載の許可をどうもありがとうございました!
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