今回のテーマは、前回の記事、
◆「思っていることを容認する」と繋がっています。
「受け入れるのに条件は不要」というお話です。
つ・ぼ・み
あなたが、あなた自身のことを嫌うとき、
あなたは自分に「それ以外の自分であること」を期待しています。
前回の記事では、まず、
あなた自身の思うこと感じることを認めるためのお話をしました。
私たちの多くが、
自分自身の「良くない」とか「不適切だ」と思っている側面を、
普段の生活では出さないように注意しています。
「こういう私はOK(大丈夫)」と判定する部分だけを表現するように、
気をつけて自分で選別しているということです。
自分自身に対するその締め付け、境界がとてもきついタイプだと、
「OKと思えない自分の側面」を抑圧し無視した結果、その内容を
外(他者や状況)に投影し、そちらに属するものだとすっかり信じる
…ということもあります。
この場合は、それが「自分の中にあるものだ」と気づかない限り、
いくら外の状況に憤っても、変えようとしても、物事は変わらないでしょう。
それは、気づくまで、とても苦しいことでもあります。(;_;)
なぜ、そんなに頑なに、
「自分の一部」を差別し、排除してしまうことがあるのでしょうか。
それは、
あなたが自分の性質を誤解し、自分の力を恐れているからです。
私には、こんなに悪いところがある。
こんなに不適切なところがある。
だから、それを隠さなければならない。変えなければならない。
そう思って、自分を恐れ、自分とたたかっているのです。
悪いところがある自分であれば、自分の力を信じるわけにもいきません。
それは危険で恐ろしいことですから。
そんな思い込みのあるまま、言葉で「自分を受け入れよう!」と言ったって、
あなたが、あなたの中に「自分を裁く基準」を抱えている限りは、
いつも「そこからはみ出した自分」のことを受け入れることができないのです。
受け入れるのは、基準に合格した「一部」のみとなってしまいます。
そして、「もっとこうなれたら。こんな自分になれたら。
そのときには私は自分を受け入れられる。」
と、今ここにはない架空の自分への思いを馳せ続けるのです。
それは、論理的にはもっともなことのように思えるかもしれません。
今の自分は至らない。あれも、これも、足りない。
こんなところが良くない。だから、それを変えるんだ。
克服するんだ。乗り越えるんだ。
そして、それができた暁には…私は、私を受け入れられるだろう。
ところが、エネルギー的には、この考えは全く意味を成さないのです。
私たちが時間として経験している前後関係は錯覚です。
時間もあなたの中にあります。
私たちはいつでも「自分自身」を経験しているので、
現在、過去、未来、どれかの自分が否定されるなら、
あなたはやっぱり、自分の一部を否定しているのです。
未来のあなたが愛されるのに、
今のあなたが愛されないという論理は存在しません。
あなたが過去のあなたを嫌っているのに、
今のあなたが真に満たされるということも、ありません。
あなたは、いつも条件なしに、選別することなしに、
あなた全体を受け入れていいのです。
自分に条件を付けることは、私たちが発明した「ただのゲーム」で、
それをプレイしていたい間は、そうしていてもかまいません。
でも、それをし続ける限り、
あなたはいつも「自分を受け入れるための新たな条件」を見つけて、
ひとつ解決してもまたひとつと、自分への注文をつけていくでしょう。
スピリチュアル・精神世界の分野によって与えられる課目もそうです。
たとえば、あなたが「ありがとう」と思えない出来事があったとします。
ありがとうと思えないあなたの気持ちを否定していたら、
あるいは、強制的に自分に「ありがとう」と思わせていたら、
「本当に、自然に感謝できる自分」を発見することもまた、できなくなります。
人を憎むなと教えられて、憎んでいる自分を抑圧してしまったら、
あなたはその奥にある自分の「愛」すらも発見できないでしょう。
あなたが何を感じようが、何を思おうが、
どんな状態でいようが、あなたの価値は変わりません。
あなたは、いつでも、受け入れるに価します。
他者を受け入れる、状況を受け入れるというのも素晴らしいことですが、
実は、それらは自然とついてくる「副次的」なもの。
あなたがこの人生で「担当している対象」は、あなた自身なのです。
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