こんばんはー。
前々から考えていたけどなかなか実行できなかったことに着手したら、
ブログを書くのがいい時間になってしまいました。
今回は、ソウルメイトやツインソウルについての私の考えを綴ります。
タイトルは、「ソウルメイトの概念、必要?」です。
スピリチュアルな分野に興味のある多くの方が、
「ソウルメイト」という概念を聞いたことがあると思います。
中には、より限定的な意味を持つ「ツインソウル」の概念に、
胸ときめかせた方もいらっしゃるかもしれません。
私もずいぶん昔には、どこかロマンチックな期待も込めて、
そういう概念を頭に入れていたことがありました。
「出会うのを約束された二人」とか、「たった一人の運命の相手」
を想像して、いつかそういう人と出会うんだ!と、胸がきゅんとしたりしてね。
でも、だんだんと、自分の中の気づきが深まるにつれて、
「ソウルメイト」という言葉の持つ意味合いも、その実感も変わってきて、
特に意識するということはなくなりました。
確かに、人生の中で、出会うべくして出会ったと感じる相手や、
初対面のはずなのによく知っているような深さを感じる人もいます。
ただ、今回お伝えしたいのは、特に「ロマンス」の意味で、
ソウルメイトやツインソウルの概念を都合よく使わない方がいい、
ということなんです。
それって、必要なこと?
その概念の“ついたて”の背後にある、
あなたの本当の思いを見つめることの方が、
ずっと素晴らしいことなのだけど。
「概念」に注目し、重きを置くことによって、
見過ごしてしまうこともあるのです。
たとえば、あなたと「縁の深い」相手と言っても、
それがポジティブな形で表れることばかりではなくて、
関わり方としては、色々な関係性になる相手がいます。
あなたにとっては「すごく嫌な人」と感じている相手ですら、
実はソウルメイトかもしれません。
2人の意図している、合意している関わりの質が深いからこそ、
そこまで嫌な経験もできるということもあり得ます。
「ラブラブな恋人」、「運命の恋!」みたいな関係だけがソウルメイト、
なわけではないのです。
ちなみに、私は「ツインソウル」という概念にもあまり重きを置きません。
というのも、私自身にはそういうものがある、という実感がないからです。
よく、もともと1つだった魂が2つに分かれて…等の話を聞きますが、
そして場合によっては「必ず皆がそうである」というような解説もありますが、
私は、それに対しても共感できません。
たぶん、自分が「見たことがない」からでしょう。
一方、「グループソウル」と呼ばれることがあるように、
ある1つのグループに属している多くの存在、とか、
もともと1つのものが多くに枝分かれする、というのには共感できます。
対になっているという「ツインソウル」の概念については、
対になる関係というのが無いわけではないと思いますが、
巷で言われている「ツインソウル」とはどこか違う気がするのです。
少なくとも、私がこれまで聞いたことがある概念の中には、
心からピンとくるものはありませんでした。
その理由は何よりも、そこに特別な「意味付け」が為されていて、
それがどうも「人間的な視点」によるものだと感じてしまうからです。
あなたの思い人(おもいびと)が、
たとえあなたと「魂的な縁の」深い相手であろうが、そうでなかろうが、
あなたは今、その人への思いを持っています。
そのこと自体が、どんな「理由」がなくても、
ただ素晴らしいものではありませんか。
ふたりの関係や、あなたの湧いてくる思いに、
こうこうこうだから、という「後ろ楯」など必要でしょうか?
様々な「シンクロ」や、「奇跡のような偶然」も、
本当はその「特別な人」との間だけでなく、
日常の中でたくさん起こっています。
あなたの好きな相手との間にも、そうでない相手との間にも、
やはり起こっているのです。
そこにあなたが意識を置くか、意味付けするか、の差はあるけれども。
「特別なものにしたくなる」のは、あなたが、
「そこに何か確証がほしい。2人の関係が特別であってほしい」
と、願うからです。
それならば、そんな願いを持っている自分をただ、
そういうものとして見つめた方が美しくありませんか?
実際に「特別」なのかどうか?など、どうでもよいのです。
あなたが、「特別だと思いたい!」ほどに、
ある人をとても好きになっているということ。
大切に感じているということ。
それをまず、認めてみましょう。
理由付けをするのは、不安だから?
それとも、確証がほしいから?
どうして他の関係と、それとを、区別したいの?
そこを見つめたとき、
あなたの思いがけない心が見えるかもしれませんよ。
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