BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

スピリットはひとつ

皆さん、今日のスピリット通信の、接続状態はいかがですかー?
雑音なく交信できてますかー!

いぇー!(笑)

さてさて、何度か引き合いに出している
「常時接続に気づいてる?」という記事があるのですが。

私、あれを含めて、
記事でゲームアバターのたとえを使ってます。

ただ、あれらを使ってしまうと、どうしても説明しておかなければならない、
あるポイントがあるのです。


コースのテキストの中にもありました、
「言葉というのは、シンボル(象徴)のシンボルとも言うべきもの」
だと。

この世界自体がひとつのシンボルみたいなものなのに(笑)、
その中で発明されたシンボル、「言葉」というものを使うと、
制限の中で色んな言い方をしながら、近いものを使いながら、
「本質」にアプローチすることになります。

そんなわけで、あれらの記事で本当に説明したかったこと、
今日は別のたとえも使って、「続き」を書いていきますね。


☆☆☆

ゲームのキャラクターやアバターという表現を用いると、
皆さん、あちら(スピリット)の世界にも、

「私のスピリット」
「○○さんのスピリット」

というように、たくさんのスピリットがあるのでは…?と、
イメージするのではないでしょうか。

精神世界でよく聞く
「グループソウル」とか、「オーバーソウル」とかいう表現も、
そういうものの見方を前提にしています。

それはそれで、あり、です。
視点の問題です。

ただ、昨日も記事に書きましたが、
ここで非常に重要になってくるのは、

スピリットの心(マインド)はひとつである

という一点なのです。


☆☆☆

心はひとつのままの、たくさんのスピリットが協力して、
この世界を作っているという見方をすると、

○○さんのスピリット、私のスピリット、イエスのスピリット…

という区別をすることが可能になりますし、
人だけでなく、

植物のスピリット、鉱物のスピリット…

というように、自然界のスピリットもあるでしょう。


ただ、この見方をするときに、
「ひとつの心」がどういう意味か、注意深く考えてみてください!


いいですか、

ひとつの心に、矛盾はありません。
ひとつですから(笑)。

つまり、それぞれが違った形で現れていても、
心は同じものだということです。

「○○さんのスピリット」と、「私のスピリット」がケンカするとか、
スピリットが別々のことを望んで葛藤するとか、
「自然界のスピリット」と「人間のスピリット」が対立するとか、

そういうことはありえな~い!のです。


だって、外観や役割は違っても、中身、一緒ですから!
ええっ、意味わからん!と感じた人、いますか???


☆☆☆

実は、私たちがこの世界で、「エゴ」の体験をしているからこそ、
このコンセプトを「不思議」に感じることができるのです(笑)。

「自分だけの心」があると錯覚していられるのがこの世界です。

実際、エゴの妄想は、「自分だけの心」ですからね。

だから、私は、この世界において「ひとつの心」を描写するには、
こんな説明がとっても有効だと思ってます。

そう、私の得意技…「夢」の話です。


☆☆☆

眠っている間の夢、一度も見たことがない人はいないでしょう?

夢の中には、色んな人が出てきますね。
動物や植物、自然界のものも出てくるかもね。
場所も、そのときそのときで、色んな場所があると思います。

でも、夢を見ている側について考えると、それはあなた1人だし、
あなたの目が覚めたら、人も景色も、全部が消えますよね。


夢はどこにあるの?と聞かれたら、
「私の中」から出てきているとしか言いようがない。

夢の中のものは全部が私です。
人も、自然も、物も、場所も、宇宙も。
だって、私の中にあるのですから。


☆☆☆

それをふまえて、
スピリットの心がひとつである、というのはどういうことか、
これは私の、実際の夢の体験をもとにお話しします。

私の見ている夢の中で、「視点」の移動は自由です。

体験は共有できます。
思考も共有できます。感じていることも共有できます。

つまり夢の中で私は、
個人の私を体験すると同時に、他の人や存在にもなれます。

だから夢の中ではみんな友達なんです(笑)。
中身を共有できるから、
結果として、「見知らぬ人」っていう状態がない。


まとめると、まず私は、

◆夢全体を見ている観察意識です。

それと同時に、

◆夢の中の、焦点(フォーカス)をあてている個人です。
◆焦点(フォーカス)を別に移すと、別の個人や、
どんな存在にもなることができます(まったく同じに体験できる)。

これらを、いっぺんにも体験できます。
(両方の視点を同時に持つことも可能)

どれが私かと言われても、どれも私なのです。

全部が自由に体験できるのですから、
そのときどこにフォーカスを置くかで、
「私」が何と感じられるかが、変わるだけのことです。


☆☆☆

スピリットの、「ひとつの心」とは、まさにこの状態。

色々な形に分かれて存在する遊びができるのだけれども、
いつでも体験の全部が共有されているひとつの心だから)。

結局、一者が、色々な形に化けているだけだといってもいい。
昨日の記事で書いたように、「自覚をもったままで」。

言うなれば、
私が私に出会う…私 meet 私、の体験だということです(笑)。

そして、
この夢の中において言うならば、その一者への通路は、
夢の中のメンバー(登場人物)に見える私たち全員の、
心の中にあるのです。

うーん、ホログラフィックですね!


☆☆☆

ところで、
「この世界は私の見ている夢」というたとえをきいて、もし、

じゃあ、夢から覚めたら、全部なくなって「無」になるの?

という疑問が湧いて、
もしかしてそこに恐怖やさみしさがあったなら、
このことを思い出してくださいね。


「実在」は無ではないのです。

私たちが夢から覚めても、(今と同様に、)
「神の子(スピリット)」として、ちゃんと存在しています。

目が覚めたら、布団の中のあなたがいなくなっていた、
なんてことはありませんよね(笑)。
夢を見てた人、どこいっちゃったの?ってなりますよね。


違うよ~、
「この世界が、なくなっちゃうのがさみしいんだよー!」

という人もいるかもしれないけれど、

夢の世界が自分の中にあった以上、
それはなくならないんです。

それは今も、実在側にあるメモリと言ってもいい。

見方を変えれば、それはすでに、終わっているメモリの1つなんです。
(参考記事「すべては終わっているのよん」)
私たちは、いえ、「私」は、
それを「時のない」ところから辿って、眺めている。


スピリットの世界は、「すべてある」の世界です。
この夢を終えても、神の世界で「ひとつの心」を自覚したまま、
やっぱり別の創造の遊びを続けるでしょう。

「私」は、好奇心旺盛な「神の子」だから。


☆☆☆

今日のテーマはとっても表したかったことでした。
言語化するのに苦労したけど…伝わるといいな!

なぜなら、

あなたの嫌いな人や苦手な人がいたとして、
あるいはこの世界で、
凶悪犯罪の犯罪者と呼ばれる人や、
多くの人に非難されるような人がいたとして、

その人のスピリットが、
私のスピリットや、あなたのスピリットと「違う」ということは、
絶対にないのです。

スピリットはいつも1つだけ。共通の、ひとつです。

「あなたのスピリット」と「私のスピリット」という区別は、
本当は意味がないんだよ。

いつも忘れずにいたい深いポイントですね。


それでは、また次回~☆ ヾ(^∇^〃)


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