こんばんは。
今回のテーマは「どけてどけて~差し引いていく」です。
たくさんの人が自分に厳しくしています。
「ゆるめる」ことにも努力が必要で、
自分の楽な方に向かうと、何か悪いことが起きてしまうと信じています。
それは「さぼる」という概念と同義語で、
楽な状態=後でツケが回ってくるもの、と信じているのです。
だから「力を入れて」、「鍛えて」、自分に反して自分を律します。
自分自身と闘います。
実際は、そのようなあなたの“恐れている状態(回ってくるツケ)”とは、
あなた自身に従わなかったこと、逆らったことの方の「反動」なのですが。
さらに、精神世界などで「ゆるめることの重要性」を学ぶと、それはそれで、
今度は“ゆるめるマニュアル”や誰かしらの“手本”に信頼を置き、
自分をリラックスさせたり楽にさせることについても、その基準に従って、
「正しくできているか・できていないか」と評価しようとします。
それではまた、「力を入れること」になってしまっているのですが…。
どけてどけて~
余分なものをただどけて~
プラスするのではなくて、差し引いていく。
あなたの中から「湧いてくる」ものを邪魔しない、それだけでいい。
ん~… (・_・;)
それじゃ、前回の記事(◆「幸せの方向に自分から動く」)でいうような、
「能動」についてはどうなるの?(。・ε・。)
ただ受け身でいてはだめなんでしょ?
と、疑問に思った方はいますか。
あなたに必要な能動的な動きとは、自分に「したがう」ことなのです。
たとえるなら「自発的に湧いてくる水をせき止めない」というようなもので、
「これをしてはいけない」、「こうであってはいけない」という思いの方を、
外してやるのです。
私たちは、面白いゲームをしました。
自分にさからってみるというゲームです。
他の者の「ふり」をしてみるというゲームです。
それによって生じる様々な状態も楽しみました。
けれども、それは「苦しみ」のゲームとも呼べるものでした。
ゲームそのものに良し悪しはありませんし、続けてもかまわないのです。
でも、あなたがそんなゲームに飽きたなら、
たとえ周囲の人々がそのゲームを続行したとしても、
あなた自身は止めることが可能です。自由です。
「自分自身にさからって、そうでないものを信じたらどうなるだろう」
「幻想の方に重きをおいて、リアルに体験してみたらどんな風だろう」
集合的に、そんなゲームをしたけれど、
ゲームを選んだのが自分自身であるということも忘れている状態でした。
「忘れている状態」のゲームはさらに発展していきました。
自分の望まない観念を外すこと、集合的なゲームから抜けること自体にも、
「そのためには○○が必要だ」とか、
「○○の状態に到達していなければ、それができない」とか、
さらに芋づる式に、観念をくっつけるほどになったのです。
本当に?
あなたはそれを、信じたい?
どけてどけて~
余分な観念をどけて~
「自分自身を恐れちゃう」思い込みをどけて~
自分の敵は自分自身?ほんとうに?
あなたが、あなた自身の中に「悪いもの」があると見なして恐れる限りはね。
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