今回のテーマは、「助ける気持ちを動機にしないこと」です。
誰かの・何かの助けになるというのは「結果」にすぎません。
それ自体が動機になるものではないのです。
誰かを・何かを「助ける」気持ちを持つとき、そのことを無条件に「良いことだ」と考える人もいるでしょう。
でも、「助けている」という恩を着せるような気持ち、感謝されることを想定していたり、「してあげている」という気持ちを持つこと、
また、たとえそれがなくとも、
相手や状況の「助けになるはずだ」という特定の「結果」を期待する気持ち、
それらは、あなた自身の純粋なコアからくるエネルギーではありません。
「他者を助けていること」があなたの動機の中心になるとき、
あなたは「私」とは何かという根本のあり方を忘れ、どこかにまやかしを挟んでいます。
「助ける」という気持ちから動いたり決断したりしているとき、良いことをしているという気持ちよさや使命感を持てるかもしれないけれど、それらは、よく注意すれば、自分の中で想定し、思い込んでいる「期待のシナリオ」にすぎないのです。
そんなシナリオを持っていると、相手がその想定通りに反応しなかったり、状況が「こうなる」と思い描いていたように変化しなかったとき、落胆します。
あなたは「助けてあげたのに」、「~してあげたのに」、
それ相応の報いがないということで、腹が立ったり、不当な扱いを受けているような気持ちがするかもしれません。
そもそもの起点をチェックしてください。
あなたが純粋なコアのヴァイブレーションそのものから何かをするとき、あなたはただ「したい」と思います。
惹かれたり、よろこびを感じたり、そうしたいからするのであって、誰かや何かを助けたいからという「理由」が動機になることはありません。
もし、そのことが結果として誰かや何かを助けることに繋がったとしても、あなたがしたいことをした「副産物」としてそれを知るのです。
この、順序の違いに留意してください。
自分の気持ちを確かめれば、あなたの心はそちらを向いていないのに、
義務感や社会的通念、愛や善悪にまつわる観念、自己犠牲することが奉仕なのだという思い込み……などから自分に強制して、
あなたが何かをするとき、人を「助けている」と自分に信じ込ませます。
ところが、その「まやかしの理由」が必要な者がいるとしたら、
あなた自身にそう生きる必要があると思い込ませる者があるとしたら、
それは他者ではなく、あなた自身です。
あなたは人や状況を「助ける」という理由、その動機付けを必要だと感じました。
自分にその「役割」が要るのだと思い込みました。
それをあなたの人生の「するべき」リストに入れ、こなさなければと信じたのです。
そんなときこそ、目覚めてください!
あなた自身に戻ってください。
あなたがただ、そうせずにいられないからすること、
誰に感謝されなくとも、何の役に立つかわからなくとも、
あなた自身の心が鳴るから自ずとしてしまうことに還るのです。
★スピリチュアルカウンセリングその他メニュー★