この世界で示すことのできる本当の優しさとは、
相手のスピリットのみを見つめ、
相手をスピリットとして、その存在に敬意を払うことです。
人は、たやすくこの世界の中で催眠状態に陥ります。
つまり、スピリットとしての自覚を失って、
この世界色の夢に染まり、別な自分を演じてしまうのです。
昨日の記事◆「正しさvs自由」にもつながるお話なのですが、
相手が幻想状態にあるとき、
その幻想状態を一緒になってリアルであるととらえ(引き込まれ)、
そこにリアクト(反応)する、それを一緒にアクティング・アウトする(演じる)、
というのは、本当の優しさではありません。
ここで言っていることは、ときには、「NOを言う優しさ」として挙げられます。
自分のスピリットに耳を傾け、
スピリットの真実に従う。
そのとき、相手に対して示すことのできる答えが、
真の優しさに基づいた「NO」であることもあります。
あなたが、相手の「思い込み」に基づいた期待にこたえ、
そこから生まれた感覚に合わせ、
それに同調して「YES」と答え続けるなら、
あなたは、自分の成長も相手の成長も延期しています。
(延期しているだけで、それは消えずに、ただ待っているのですが。)
一見、その態度が、波風たてぬよい方法に見えるのかもしれません。
その場をまるくおさめ、誰も傷つけないように見えるかもしれません。
でも、あなたのスピリットは知っています。
「本当は私、ここでNOを言いたかったな。」
そして、それが純粋なスピリットの答えなら、
それを素直に認め、自分の答えとすることが、
結局全員のためになるのです!
☆☆☆
たとえば、
人に対する共感能力が高く、人を「癒したい」と願う者の中には、
「相手の感じていることがわかるばかりに、
その望んでいることが伝わってくるばかりに、
つい、自分をすりへらして、合わせてあげてしまう。
はっきりしたNOが言えない。」
というタイプの人がいます。
その思いや、傷までわかるので、
自分が少し無理をしてでもやさしくしてあげたい…
そんな気持ちになるのです。
セラピーで用いられる表現で、ケア・テイカー(世話役)というのがあります。
まさにそのような役割なのですが、
でも、よく考えてください。
それは、スピリットから発する自然な役割ではありません。
エゴの発想に基づいています。
どうしてかわかりますか?
この世界には、そのような意味で「世話」が必要な人間はいないからです。
今説明していることは、いわば上級の概念です。
誰もが、源泉からの光を受け、
誰もが、完全に、自立している。
ここでいう自立の意味は、人は、人に依っているのではない、ということ。
ひとりひとりが依っているのは、神(源)に対してだけである。
(私たちは、完全に神の愛に依っている。)
人は、本当の意味で、人を直接助けることはできない。
だから、その人の源の力を信じることが、本当の優しさである。
(それは、自動的に、イコール自分の源の力を信じること。)
…と、こういうことなのです。
ですから、
人を助けたいのであれば、自分が、自身のスピリットと一致することです。
自分のスピリットに注意を払い、
相手の見せる幻想にまどわされず、
自分のスピリットの真実を信頼して、相手に提示する。
スピリットの現実は、より広い目で見た調和を生むものであり、それが真実です。
一緒になって幻想に入ることが、
この世界では優しさと見なされることもあります。
でも、勇気を持って、
あなたがこの世界に真実を体現したいなら、
ごまかしや、その場のまやかしではない、
本当の「全体の幸せ」を見たいなら、
まず、相手の幻想につられない強さを、優しさであると理解してください。
色んなことを感じている相手を尊重しながらも、
「あなたのスピリットは今も無傷である。
完全で、変わらずに、輝いている。
夢の中で、この体験をやってみてくれて、ありがとう。」
こう、心で話しかけるのです。感謝しながら。
すると、あなたは、
自分の本当の気持ち、感じていることを尊重でき、
スピリットに正直で、自由であるばかりか、
相手の幻想の覆いの向こうにある、相手の「変わらぬ光」にも、
自然と焦点を合わせることになるでしょう。
もう、かわいそうな人も、
自分がお世話してあげなくてはならない人も、
本当にいないということに気づくのです。
それでは、また次回お会いしましょう~♪
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