BEATS AND LOVE

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根源的な痛み

こうして心の世界のことを「言葉」で説明していると、
不意に、ぽかっとした虚空に出ることがあります。真っ暗闇。

心はひとつです。意識もそう。

表層意識と潜在意識、エゴとハイヤーセルフ(スピリットの声)…、
「私」を分けるどんな言葉も、便宜上のものです。

どこからどこまでが「これ」だなんて、本当は言えません。
そこに、「境目」はありません。

けれども、「頭脳」は、すべてを既知の記号にあてはめることでしか、
理解ができない、受け取れないのです。

だから、こうして「型」に詰めて、置き換えて、翻訳してみるしかない。


自分のパーツとパーツの対立を促すものは、虚構であると思います。

それをふまえて、今日のテーマを表現してみます。
「根源的な痛み」です。


☆☆☆

「創造」シリーズを書くようになって、気づいたことは、
この世界の「本質」にしか意味はない、ということでした。

「本質」が、ここでは「あらわれ」となっており、
人間の目にはそれが詳細な具体的「状況、出来事」で見えますが、

背後にあるエッセンスは、
そのような具体的詳細を「作るもの」の方なのです。


こうして見ると、「自我意識の枠組み」だけを使って理解することは、
まったく無茶なことをしている、と言えます。

もともとあるものの方を無視して、うわべに表れたことの方で、
「診断」しようとしているのです。

そうして、事態を複雑化していきます。


私は、自分の夢の中で、「人類の痛みの記録」とも呼べそうな、
痛み、苦しみ、悲しみのシリーズを長いこと見てきました。

それは、果てしないシリーズでした。
具体的詳細をあげれば、この世の悲しみのテーマをすべて、
網羅できるのではないかと思うほどです。

それらは、自分個人の痛みとしても感じられますが、同時に、
人類全体の痛みであると思えました。

そこに、加害者、被害者は関係ありませんでした。

どちらも「痛んでいる」からです。


私は、それを「根源的な痛み」と呼びます。
ひとりのものであり、同時に人類全体のものでもある痛みです。


あなたが感じている心の痛みも、
その具体的詳細はあなただけのものですが、
たどっていけば、人類共通の、いつか誰かも必ず感じたことのある痛みです。

悲しみの、シリーズです。


人間というのは不思議なもので、悲しみですら、

「これは、私だけの、特別な悲しみだ」

と、PRESERVE(保存)しようとするのです。

他者と区別して、そこに特別性を授けようとします。


でも、そういうものは、ありません。


本当は、あなたの感じている悲しみは、
他の誰かの悲しみと、ちっとも変わらないんだよ。


「自我」というのは、「特別な自分である」と思い込めるわけですが、
本当のところ、そのように「特別な自分」は、いないのです。

仮の上着を着て、それぞれの演技をやっていても、
本当に切り離されて「孤立した」自分というのは、いないのです。


☆☆☆

これを、心の世界に置き換えてみましょう。

自分が、心の中で、自分の一部を排除(EXCLUDE)しているとき、

人は、世界から切り離された感じ…孤独、疎外感、
ALIENATION(エイリアネーション)を感じます。

自分が、自分の中のどこかを切り離してしまっていることを、
外のものとの関係のように体験するのです。


自我というものを「対立要素」と見なすこと、排除すべきものと見なすことも、
ここに入ってくるのではないでしょうか。

それは、「インクルード(INCLUDE)」してやるためのものです。
つまり、「大きな自分の、中に含める」ということです。


☆☆☆

宮崎駿監督の、「千と千尋の神隠し」という映画を見たことはありますか?
それから、「ハウルの動く城」はどうでしょうか?

あの中に、「カオナシ」というキャラクターが出てきますね。
ハウルの方では、「カルシファー」という火の悪魔が出てきます。

彼らを、私たちの中の「自我意識」の象徴として見てみてください。
まさに、という感じがしませんか(笑)

自我は色んなことを言うのです、

「欲しいよ、欲しいよ、もっと欲しいよ…こっちを見て!寂しいよ…!」

「俺は強いんだぞ!すごい能力があるんだぞ!
あいつが俺より上だなんて、気に入らないよ!破壊してやる!」

「清い私は、どこへ行ったらいいの?私の安らげる場所なんて、
この過酷な世界の中には見つからない!ここから出たい、死にたいよ!」


すべてインクルードしてあげてください。

包み込んで、含んであげてください。

あなたは、それらの、基盤となる存在です。全体です。

それらと一体化するのでもなく、敵と見なして裁くのでもなく、
ただ自分の中にあるとして包含するのです。


あなたの体のいたるところに、もし、目などの感覚器官がついていて、
各箇所が、それぞれ、そこから見た色んな事をあなたに報告したら、

そこから見える景色、体験は全部違うのだということが、想像つきますよね。

それでも、ひとつの「体」として機能していられるのは、
各パーツの共通リーダー、元にある「意識」が、統一されているからです。

ひとつの目的のために、調和して働いているからです。


自我意識は、目的を忘れてしまった部分です。
いえ、それどころか、「自分なりの目的」を打ち立ててしまいました。

私たちは、それを「使う側」であるのに、
いつのまにか、そちらに「従う側」になってしまいました。

これが、混乱の原因です。

☆☆☆

それでは、また次回お会いしましょう~☆


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