以前からよく夢をテーマにして書いているように、
私はずっと眠っている間にみる夢がリアルで、
もしかしたら、あちらが現実で、こちらの世界が夢だということもありえる…と、
小さな頃から、ときどき思っていた。
だとすると、こちらの夢(今体験しているこの世界)に、
戻ってこれなくなるということもあるのだろうか…
そんなことを思っては、自分の見ている世界を、
きゅっと抱きしめたいような、愛しい愛しい気持ちになっていたものだ。
今でも、寝て起きて目覚めるとき、
肉体というか、「この私」の意識に戻るときがわかるのであるが、
ときどき、言語化するならば
あれ?ここはどこだっけ…
…今の私は何だっけ?
みたいな感覚に陥り、
ああそうだった、私は今○○○○(氏名)だ
(実際は、自分の名前を言語としてとなえたり確認するわけではなく、
この人生というか環境というか、リアリティ全般が戻ってくるのであるが、
要するに確認作業をしているということです)と、
この舞台設定にふたたび整合する、みたいなプロセスがあるのです。
そして、そういう瞬間にだけでなく、
起きている間でも、たびたび感じます。
幸福な夢だな、と。
胸がしんとして、この世界に参加している自分が、
とてもありがたく思える。
ああ、ここにいられる、
この幸福な夢の中に…。
それはポイントとしての自分がいると同時に、
からだの中で世界をなぞっているような、
一枚のものを内包しているような、そんな感覚でもある。
決して、私の人生(現状)に、私の思う問題がないとか、
常に平和な気持ちで生きていますとか、そんなことないんですけど(笑)、
だけど、なんて幸福な夢なんだろう、と思う。
多幸感というようなハイな感じとは違う。
もっと静かで浸透している。
私が騒いだり、悩んだりすることも含めて、
そんなのも全部、ああ楽しいんだな、という目線になってしまう。
(楽しいって言うと語弊があるかな、誤解を生むかもしれない、
でも皆さんも、大好きな小説を読んだり映画を見たりしているとき、
内容、展開はともあれ、感情移入も含めて楽しいでしょう。
なんていうのだろう、愛しい芝居を見ているような感じなのだ。
そんな喧騒も、色合いの変化も、すべてがあまりにも…なつかしい。)
ここにいられることはなんて素晴らしいんだろう、
本当に…すべてを焼き付けておきたい。
愛しくて、愛しくて、そう思う自分がずっと、間違いなくいるのです。
力づけてくれることも、わずらわしいことも、
あたたかい交流も、仲違いも、
何もかも全部全部、
それはまるで…記録したい、という気持ちにも似ている。
その記録の感覚というのは…じーっと見ている感じとも似ていて、
それを私はあるときから、「見守るもの(KEEPER)」という言葉が、
わりと近いかなと思っていた。
WATCHERよりは、KEEPERなんですよね、なぜか。
そんな私は、何年か前のあるとき、友達からふいに、
人生の願い(目的)は?なんてきかれたとき、
「…見ていたい。見守りたい。」
それしか言葉にならなかった。
だからといって常に「客観的」であるとか、
「受け身」であるとか、とも違うのである。
ここに参加して動く私と、そちらとに境目は、ない…。
おそろしいほどに貴重に思えるときがある。
さわって確かめたくなるときがある。
ああ今、私はここにいるのだ。
この夢の中で、見回せる。
空や自然。地面。
感触。味。
とびこんでくる。
ああ見て、風、におい、色、音、
虫がとんでる、
動物があるく。
人々がいる。
あの人も、この人もいる。
この人と、こうして一緒にいる。
寝て、起きたら、この世界に戻ってきてる。
なんてすばらしい!
昨日のつづきが、ちゃんと続いてる(笑)
まるで奇跡だ。
夢の景色はうつくしい。
季節がめぐる。
ごはんを食べたり話したり、
なんでもないことを当たり前のようにしているけれど、
その色合いが、狂おしいほどになつかしい。
愛しいものを、大きな手で、なでるみたいだ。
こんなに幸福なことはあるだろうか。
心が厚くて重い毛布をかぶったようになるとき、
私はこの感覚をすっかり忘れるか…に見えるが、
それも、もうだいぶあやしくなってきている。
なぜならそんな合間にも、この感覚が閃光のように差し込み、
本当には、忘れさせてくれないからだ。
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