BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

福島のこと

なんだか今日は曇り空ながら、かぁっと暑い感じのこちらです。

ブログには書いていませんが、相変わらず私は、

夢でも色々な体験をしています。


今朝も、夢がきっかけで、

書きたいなと思うことが出てきたので、パソコンに向かっています。

☆☆☆

記事タイトルが「福島のこと」となっていますが、

福島といっても色々な地域があるし…

私は福島県に住んでいるわけでもないし、知識も少ないです。


それでも、2011年の3月11日以降、福島に対して、

多くの方が関心を寄せたように、私も色々なことを想いました。


私の父は福島の出身で、私が子供の頃、

「田舎のおばあちゃんのうち」に遊びに行くといえば、福島のことでした。

母の両親は、私が生まれる前に亡くなっていて実家がもうなかったので、

帰省するといえば福島だったのです。


父は兄弟も多い方ですし、

私たち家族が暮らしている場所と、福島とは離れているということもあり、

そんなに密な、頻繁に行き来する親戚関係を築いてきたわけではありません。


それでも、子供の頃の夏休みなど長期休暇のとき、

福島のおばあちゃんの家に行くのはとても楽しみな一大イベントでした。


おばあちゃんと、おじさん(父の長兄)が暮らしている家に泊まって、

いとこと遊んだり、近所のお祭りに行ったり、

おばあちゃんも一緒に、「常磐ハワイアンセンター

(途中からスパリゾートハワイアンという名前になったのかな。

映画「フラガール」でも有名ですね。)に行くのも楽しみでした。


おばあちゃんはプールでは遊ばないから、

私たちが遊んでいるのを、館内でのんびりして待ってくれているのだけど、

それでもおばあちゃんが一緒に来てくれるのがうれしかったです。


私たち姉妹は、このように、たまに帰省するときに祖母に会うだけだったので、

祖母と一緒に暮らしていたり、福島県内に住んでいる他のいとこたちのように、

おばあちゃんに気さくに甘えたりすることができず、

会うとうれしいんだけど、ちょっとはにかんで、接するのが常でした。


子供の性格にもよるのだろうけど、

「遠慮しなくていいのよ」

と言われても、私たち姉妹はやっぱりどこかお行儀よく振る舞って、

こども然としておばあちゃんに甘えることはできなかったなぁ。


子供同士だった頃のいとこたちとは、

最初は久しぶりなので、はにかんでいても、

すぐに慣れて、仲良しになって遊んでいましたけどね。

☆☆☆

ある程度の年齢(高校生以降)になってからは、

先方(祖母のいる家)の方でも色々あって、

私たちが一家で遊びに訪れることもだんだんなくなり、

親族の行事などあるときには、父と母だけが出向くようになりました。


なので長年、祖母には会っていません。


ところが今朝の夢の中で、祖母が出てきました。

それは、たまにはあることなのですが…

今日の夢の中ではさらに、比較的私の実家と近いところに住んでいる、

父の別の兄の子である、いとこたちも出てきました。


夢の中では、祖母が、うち(私の実家)を訪問していて、

母とテーブルでおしゃべりしている様子だったのですが、


私は、おばあちゃんが家に来ていることを知ると、

そのときシャワーを浴びていたのに、よろこんで!

「おばあちゃん!」

と言ってガラリとお風呂場の戸を開け……

(これは今の実家のバスルームではなく、昔住んでいた家のようでした。)

そこに来てくれたおばあちゃんに、笑顔で抱きついていたのです。


夢の中といっても、私は、大人の私でした(笑)

祖母はいつも通りの服を着ていましたが、私はすっぱだかです(笑)

なにせシャワーを浴びていたのですものね。私、無邪気ですね!


祖母の姿は元気そうな、現在よりも若い、

私たちが子供の頃に見たおばあちゃんの姿でした。


夢のシーン自体は笑えるのだけど、先に書いたように、

祖母には「素直に甘える」というような気さくな間柄とも言えなかったので、

妙に印象に残りました。


そしてその夢を振り返っているうちに…、

急に福島に行ったときの記憶や空気感が色々よみがえってきて、

気がつくと、福島のことを考えていました。

☆☆☆

…最近のニュースでも福島県に関わる話題がありましたが、

3.11の出来事以降、私の思っていることを簡潔に書きますと、

そこに何があるのかを「ただ見ないように」することと、

「ポジティブ(前向き)」ということとは違う

ということです。

何かを隠したり、ただ単に「見ないことにする」というのは、

怖れがあるということで、ポジティブな姿勢とは違います。


たとえば放射能についての考え方も、人それぞれだと思いますが、

私はその、人それぞれの選択をする「自由」は大切だと思うのです。


父の兄である私のおじさんは、

3.11のしばらく後に電話で話したとき、

(父への電話を私が取り次いだときの世間話でした)

「私ら、ある程度の年齢になっている者たちはいいけどね、

まだこれからがある若い人、○○ちゃん(私の名)たちは、

福島のものは食べない方がいいよ。

やっぱり、どんな影響があるかはわからないからね。」

と、おだやかな口調だけどきっぱりと私に語りました。


おじさんの息子や娘(私のいとこ)たちは、私よりは年上ですが、

それぞれ結婚して、育ちざかりの子供たちもいます。

みんな、今でも福島に住んでいます。

住んでいる人がそう感じているんだなということ、それが私の心に残りました。


親戚の家には、農業や漁業の人がいませんし、観光業でもありません。

採ったお魚や、育てた作物で生計をたてていないから、

そんなことが言えるんだ……

風評被害にあっている人の気持ちを考えてないよね

と、思う人もいるかもしれませんが、

私は、「風評被害」という言葉自体に疑問を感じます。


私自身も、3.11直後の新聞の紙面で、

福島でホウレンソウを育てていた農業の方の言葉を読んで、

「どこに出しても恥ずかしくないホウレンソウをつくっていたのに残念…」

と意気消沈している様子を見て、胸が痛みました。せつなかったです。


でも、だからといって、その後に

「食べて応援!」

というキャンペーンがあったのを見て、かなりの違和感をおぼえました。


冒頭で書いたように、福島県といっても色々な地域がありますし、

まとめて「福島は今こうだ」ということは、できないと思います。


ただ、何かを覆い隠すような見切り発車で引っ張っていくことは、

結果的に「応援」したい人たちを応援することにもならないのではないでしょうか。

私は、そう感じました。


そして、どんなことでも、

色んな角度から、現状を調べる人がいても、よいはずです。

何か特定のあり方だけを「正義」とか「善」と決めようとする心、

それが不自然だと思うのです。


色々な選択や考え方があっていいし、そういう“違い”の存在をつぶさず、

互いが認め合えるようでありたいと、私は思います。


たとえば、私自身は、

放射能が、関東圏内でどのくらい…という情報を、詳しく知っても、

できることならどこかへ移住したいというような気持ちには、全くなりませんでした。

2011年当時は、「ホットスポット」と騒がれた地域に住んでいましたが、

私の心情としては、

「ちょうどいいときに、ちょうどいいところにいる」

という自分の感覚を信頼していたので、

内側から、とくに移動したいという気持ちが湧いてこない限り、

そこで起こる出来事も、私の選んだ人生の経験のひとつだと思ったのです。

つまり私は、体験したいものを体験している自分を信じています。 


その一方で、これを機に、関東から、

地方にある実家に帰って暮らすことにしたり、移住したりした人達もいました。

それはそれで、いいと思います。

放射能が気になるのに、心配しながら暮らすのはつらいでしょうし、

何より私が思うのは、

そういった「引き金」が何であれ、その人たちが引越す選択をするのは、

そこに行きたいだけの、根底にある別の何か(望む経験)も動機としてある

と、感じるのです。

自覚があっても、なくても、ご本人はその先の「繋がり」まで知っています。

外側で起きている出来事は、単に、

きっかけとして使えるためのもの、とも言えるのです。


☆☆☆

表面に見えていることだけがすべてではないので、

こうすることが善なんだ、こうすることが正義なんだ、

という類の答えはありません。


ただ、自分にとっての「こうしたい、こうありたい」は、

ひとりひとりが知っていて、

それを尊重できるようでありたい、と、私は思っています。



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