こんばんは~
パートナから、彼の仕事先の新年会の行き先が…
オーストラリア料理で、カンガルーとワニの肉も出るそうだ、
と連絡が!
☆この間☆、オーストラリア園を見たばかりで…マジ!?( ̄□ ̄;)
※彼の希望によるチョイスではありません。念のため(笑)
家ではまだ、園でいただいてきたユーカリリーフちゃんが生きていますのよ!
コアラ館の出口のところに、
「コアラが食べているユーカリです。ご自由にお触りください。」
と、数種類のユーカリの枝が、葉付きでワサッと置かれていたのです。
私は、ユーカリにそんなに種類があるとは知らなかったので、
よろこんで触って匂いをかぎました。
中には、あまり匂いのしない葉もありました。
葉を1枚失敬してよかったのかどうかわかりませんが(;´▽`A``
気づいたときにはパートナーが手にしていたので…
ポケットに入れて、大事に持って帰ってきました。
この葉は精油のユーカリとほぼ同じ匂いがしまして、
なんだか捨てるにしのびなく、お水を入れたお皿に入れている次第です。
きょうのタイトルは、「主人は私、の意味。」です。
☆☆☆
ブログや個人セッションで、
意識の向け方、心のあり方で、
人生は変わります
ということをお伝えしていますが。
私の現実の主人は私である
の意味を、もう一度おさらいしたいと思います。
古代エジプト「アメちゃん」の件がきっかけにもなり、
本を読んだり、当時の時代背景にふれたりもして、
宗教や神のことなどを、私はふたたび考えていました。
人は、長いこと、自分自身が力を持っていると考えるより、
その責任は「神」にある、としておいた方が、安心できました。
なぜなら、本当のアイデンティティー
~私は誰か~
を、思い出していなかったからです。
「私」を、自分の思い込んでいる「小さな私」として同一視しているから、
そんな私に人生の責任をあずけることは、恐ろしすぎることでした。
なにせ、「私」は有限の、もろい存在なのです。
そんな私になど、恐ろしくて現実を任せられない!
そこで、神という概念を創造しました。
「私」を超越した力をもつ神を、です。
私の現実の主人は、私である、というとき、
あなたは「私」をどう認識していますか?
「私」が信頼に足る存在でないのなら、
きっと、あなたにとって、
「私」が創造主であると考えることは、恐ろしいことではないでしょうか。
そして、「私以外」の神を探すのかもしれません。
しかし、「私」しか存在しない、
すべて「私」の意識の中であるこの世界で、
結局は、「何を(どれを)私と思うか」という選択があるだけなのです。
I am that I am
私は、(私の思うところの)我である。
「私」の範囲をどのように定めようと、
「私」を何と同一視しようと、
「私」は、「私」の意識の中でそれを行っています。
自分の現実の主人である「私」が、
たとえば自分自身を、
何か力あるものの僕(しもべ)、あるいは、
大きなものの一片のはかない歯車にすぎないと考えようと、
現実は、その考えをまさに反映して見せてくれます。
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