こんにちは!
少しひさしぶりに空の写真を。今日の夜明けの空です☆↓
淡い空に、細い月がとっても可憐で美しいですね。
見づらいかもしれないけど月も写ってます♪
今日は、「並行現実の海の中で」というお話です。
同時にたくさん存在している可能性の現実についてです♪
このごろ私は、昨年に記事でご紹介したこの本を読んでいます。↓
The “Unknown” Reality, Volume One (A Seth Book) (English Edition)
Jane Roberts Robert F. Butts
「The UNKNOWN REALITY vol.1
Jane Roberts notes by Robert Butts」
セス・シリーズの順番としては、日本語訳の出ている『セスは語る』と、
『個人的現実の本質』の続きの巻になり、本書は2巻に分かれています。
購入してしばらくは、これまでのセス・シリーズを日本語訳で読んでいたためか、
読みたいのにうまく読み進められないような感覚があって、
やっぱり英語の方が根気がいるなぁ~!と、途中でしばらく放置していました。
ところが、今年に入ってからです。
急に、この本の波長に TUNE IN(チューン・イン…チャンネル・波長を合わせる)
できた感じになって、みるみる没頭するようになったのです。
今ではすっかり、面白くて面白くて夢中です!
英語なので、行ったり戻ったりしつつゆっくり噛みしめるように読んでいるため、
まだ読み終わっていないのですが…この本のおかげで、とくに、
並行現実に関する理解が深まっているのを感じます。
また、もともと英語で書かれたものをそのまま読むことで、
翻訳本を読んでいた頃よりも、より、
ジェーンさんやロバートさんのいきいきした感触を感じています。
とくに、「補遺」に含まれているジェーンさんの詩は、
英語で読んだおかげで、生のままの息吹、
ハッと胸に飛びこんでくる感動を味わうことができました。
本の内容紹介が目的ではないのでこのへんにしますが…、
記事の途中で、この本にあった「例」を取り上げさせていただきます☆
☆☆☆
これまでも並行現実については度々書いてきました。
「並行現実」という言葉が一般的でわかりやすいかと思い使っていますが、
先程ご紹介したセス・シリーズの中では、「probabilities」と表現されており、
その言葉の使われ方を見ていると、日本語にするなら、
「可能性の現実」というのもふさわしいかな…と、私は思いました。
「並行現実」、「可能性の現実」、
ここでは同じ意味で使っているとご理解ください。
この、並行現実のネットワークというのを理解し始めると、
存在(自分)の、想像を絶する「可能性の世界」にふれることになります。
…同時に、常にベースとなる、
「私とは、何か」という真のアイデンティティーを認識する前に、
並行現実について理解することは、実質、難しいのではと思います。
つまり、その認識がすでにある状態からでないと、
並行現実というコンセプトは理解したつもりでいても、
「では、私って何?取るに足らない存在なの?何の意味があるの?」
…という感じで、混乱をしたり、誤った解釈をしかねないのです。
ひとつのたとえですが、想像してみてください。
ある人が、地球を愛していて、環境を良くすることに熱心だとします。
自然破壊や汚染を解決して、美しい地球を残したいと思っています。
そんなときに、
すでに破壊され、自然の死に絶えてしまっている地球が確かにあって、
あなたには、その地球を変えることはどうしてもできないのだ
と、急に聞いたら、どんな気持ちでしょうか。
これは実際には、
並行現実(可能性の現実)には多くのバージョンの現実が存在していて、
あなたは今、その中のひとつを生きており、
あなた自身がどの現実を生きるかを選択することはできますが、
選択しない(別の)現実も、消滅するわけではなくそのまま存在する、
ということなのです。
Aの状態の現実が、Bの状態の現実へと変化するわけではなく、
選択肢の数だけ、AもBも…色々な状態の現実が同時に存在するのです。
では、これが人間の人生だったらどうなのでしょうか?
やはり、同じです。
色々な「並行現実のあなた」がいて、
今体験しているあなたも、その中の一人です。
先程ご紹介した「The UNKOWN REALITY」の中のセスによる説明で、
セスをチャネリングしているジェーン・ロバーツさんの夫、
口述の記録を担当しているロバート・バッツさんのご家族の例がありました。
私たち多くにとっても理解しやすい例かと思いますので、ここでご紹介します。
(※書く内容は、読んだ私による概要になります。
詳細にご興味のある方は、本をご覧ください。)
☆☆☆
ロバートさんは、3人兄弟の長男でした。
ロバートさんのお父さんとお母さんが結婚し、3人が生まれたわけですが、
お父さんとお母さん(本が書かれた時点でご両親とも故人)の並行現実について、
本の中で紹介されています。
ロバートさんご自身にも並行現実がもちろんあるのですが、
“現在の自分”と思っているロバートさんのこの現実の中では、
お父さんは自動車修理工でした。
ですが、お父さんは別の並行現実では、有名な発明家として生きたのです。
ロバートさんが体験した現実でのお父さんは、
お母さんと結婚した後、家庭を持って、自動車修理のお店を開き、
発明家の並行現実からは「枝分かれ」した別の現実を生きました。
お父さん自身のエネルギーを発揮する度合いとしては、
「発明家」の現実の方が中心的であり、パワフルだったそうですが、
発明家の現実においては、他者との感情的な関わりが少なく、
その点について深めることはできませんでした。
一方で、結婚して家庭を持った現実では、本人には違和感がありつつも、
それでも、他の並行現実では到達できなかった、
他者との深い感情的関わりを体験することができたそうです。
また、お父さんが生涯結婚せず発明家になった現実があるように、
お母さんにも、別の人と結婚した並行現実がありました。
お母さんは、その並行現実では医者と結婚し、看護婦になり、
夫を助けながらも仕事を持った独立した女性として生きました。
そちらの結婚でも、息子を1人出産しましたが、
その後、自分の意思で子宮を摘出しています。
看護婦の並行現実でのお母さんは、厳格な女性で、
ロバートさんの知っている現実でのお母さんのように
「赤いリボン」を髪に飾ることなど、決してしなかったということです。
そのように自分を厳しく律する人生はつらいところもあり、
そちらの並行現実でのお母さんは50代で亡くなったのでしたが、※
そのときに、こちらの現実のお母さんは、その分のエネルギーを受け取った
(エネルギーが戻ってきた)ということです。
(※ロバートさんの知っている現実でのお母さんは80代で亡くなっています。)
最後に、ロバートさんご自身の並行現実にも少しふれます。
ロバートさんは、今の自分に至るこの現実ではなく、
別の並行現実で、すでに亡くなっている体験が2つあったそうです。
1つは、少年期の盲腸の手術のとき。
もう1つは、第二次世界大戦中、兵役に就いていた頃に、
空軍のパイロットとして、飛行機で。
1つめの盲腸の手術は、この現実を生きているロバートさんにとっては、
11歳のときの体験で、問題なく無事だったのです。
それは、生きたいという本人の望みがあったからだということです。
一方で、別の現実のロバートさんは、その出来事による死を望んでおり、
その年齢で亡くなったのでした。
また、戦争で亡くなったときのことについては、
この現実のロバートさんもやはり第二次世界大戦中、
兵役に就いており、飛行機に乗る機会もあったそうですが、
航空機器専門の整備を担当していて、パイロットではなかったそうです。
☆☆☆
この例ように、私たちひとりひとりの人生の中にも、
少しずつ…ときには大きな差異をもって…
それぞれの選択から枝分かれして、
多くの人生が同時に存在しているのです。
記事の前半で、
「真のアイデンティティーを認識してからでないと、
並行現実を理解することは難しい」
ということを書きました。
並行現実を的確に理解するためには、
自らの創造についてと、自由意思への認識が必須です。
たとえば、仮に、
「私の人生はあらかじめ何者かによって決められていて、
私には選択の自由も、自分の意思もなく、ただそれを生きるのみ。」
と、信じていたならば、並行現実はとても考える意味のない話でしょうし、
また、類似する観念の延長からでは、
「選択」や「並行現実」をコンセプトとして理解しようとしても、
どの選択が「正しい」のか?
どちらの現実がより「良い」のか?
そんなところに縛られて、迷ってしまうかもしれません。
大切なのは、以下のポイントです。
並行現実の海の中で、
可能性の大海の中で、
あなたは自ら選択をし、自分の現実をあらわしている。
あなたの広大な可能性を、ぜひ「今」活かしてくださいね☆彡
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