こんにちは~!
こちらは雲ひとつない、とってもいいお天気です。
今日のお話は、「ゆるす?ゆるさない?」。
「ゆるす」については、過去に記事で何回も書きましたが、
今回のお話は、より一層シンプルかなと思います。
過去の記事では、「ゆるす」という言葉の広い意味も説いていました。
そもそも、言葉の「ゆるす」には色々な意味合いがあって、
罪を赦すという意味から、何かを許可するという許す、
そして、解放する、緩めるというような意味のゆるす、もありますね。
ただ、今回は宗教的な意味や、他の用途を絡めずに、
単純に日常の中で、
「これだけはゆるせない!」とか「もう、ゆるしたいのに…」とか、
皆さんの心の中でよく使っている「ゆるす」ということについてです。
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精神世界・スピリチュアル、あるいはセラピーの中で。
言われることがありますね、
許すということは、自分を解放すること。
何かを許せないとき、その気持ちは他者や外に向かっているようでも、
自分自身をそのことに縛りつけて、苦しめているのです。
と。
そう聞いても、その理屈は理解できても、「許せない」気持ちはなくならずに、
「じゃあ、どうしたらいいの?」
と、余計悲しく思い悩んだ方もいるかもしれません。
そんなときに私がおすすめしたいのは、
気が済むまでゆるさなくっていいよ、ということです。
本当にもういい、と思えるまで、
「ゆるせない!」という気持ちを味わっていいのです。
自分の一部が、「ゆるしたくない!」と叫んでいるなら、
「ゆるさなければ」という負荷を自らかけることにより、
自分の中で衝突を起こし、余計苦しくなり、身動きがとれなくなります。
満足いくまで、現在の自分のそのままの気持ちを受け入れてください。
「外」にそれをわかってもらう必要は全くありません。
「ゆるせない!ゆるしたくない!」
今、そう言っている部分が自分の中にあるなら、
それをあなたが(自分自身が)認めることが大切なのです。
この後説明しますが、
そのメッセージの「送付先(宛先)」は実は、あなたです。
あなたにわかってほしくて発生しているその気持ち、メッセージを、
「変われ、変われ!」とただ強引に押してはなりません。
これを踏まえて、これから書くことを参考にしてください。
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ゆるす?ゆるさない?
さて、その対象は誰(何)でしょう。
深ーいところでは、誰もが、自分が自分の現実の創造主だと知っているので、
ゆるせない出来事が起きたとき、責めている対象は自分なのです。
「ゆるせない気持ち」は、まず、
それ(対象となる出来事)を、「悪いこと」と自分で見なすことから、始まります。
自分自身が、「これは私にとって悪いことである」と判断、決定します。
すると、
そんな悪いことを自分の現実にもたらしてしまった、自分自身に腹が立ちます。
他者を、状況を、ゆるせない!と思っているとき、
それは方向をそらす単なる「隠れ蓑」です。
本当に責めているのは、
その状況を自分の現実にあらわした、自分自身です。
自分自身への怒りや失望から抜けられない!
外に転嫁しているように錯覚をしていても、「ゆるせない気持ち」は、
結局は自分への咎めなのです。
これがもし、信仰している「神」のような存在がある人だと、
「神への怒り」となったり、「信仰を試されている」という解釈をするかもしれません。
けれども、いかなる隠れ蓑を利用しようと、それは「私」です。
私たちが責めている対象の根本は、いつも自分なのです。
★スピリチュアルカウンセリング★