まーじーかーよー。
と、一通り驚きを味わった後に、この記事を書いています。
このブログには、夢がきっかけとなって書き始めた、☆日本神話やその他☆というカテゴリがありますが、元々“歴史”の謎を解こう!という情熱が少なめの私としては、「もう更新されることはないかな…」と思っている、記録として置いてあるカテゴリです。
ところが、昨年の10月には急に「道鏡さん」の情報を受け取るなど、微妙な頻度で、予期せず書かざるをえない気持ちになる出来事がやってくるようです。
(ブログ引越し前に連載した記事なので、外部サイトへのリンク以外の、一部記事内リンクに未修正箇所があると思います。通しで読みたい方はカテゴリ別一覧から読むのがおすすめ↓)
今回もまた、きっかけは「夢」でした。
まずは、該当する夢の内容を記します。
※印の文は、起きた後に考えたり、調べたりした内容です。
☆☆☆
私は、膝下くらいまでの雨水で溢れている道路を、うなだれて歩いている。
※昨夜、大雨の注意を促すニュースの見出しが視界に入った記憶があるので、それが反映されたようです。
もう雨は降っていないが、長靴を履いて、腰をかがめるようにして、泥っぽい色のついた雨水のたまった道を歩きながら、心の中でこんなことを考えている。
「あー、なんで私が、参道を歩かなきゃなんないのよ……」
何か任務のようなものがあって歩いており、どうして私が……?と、がっくり、うんざりする気持ち。
その「参道」とは、明治神宮に至る参道だと、夢の中では思っていた。
※私は、明治神宮自体も、その周辺の表参道なども、あまり好きな方ではありません。
現実に何度も行ったことはありますが、個人的な好き嫌いとしては、あまり積極的に訪れたくない場所という感覚です。
なので、この夢のフィーリングは、夢の中でもその気持ちを反映しているのだろうか?くらいに思っていて、「夢を見ている側の自分」の視点からはそれで辻褄が合ってました。
ところが……
気づくと水は引いていて、普通に道路を歩いているのですが、
おそらく現代の様子に思えるコンクリートに固められた道の上で、ある地点に来たとき、ふと私の中にこんな思いが浮かびました。
そこは、夢の中では植物の名前が、地名というかスポット名としてつけられていたのですが、(例:○○峠とか○○坂とか、○○通りとか、○○町とか。そんな風に。)
私が思ったことは……
「ここは昔は、本当に、たくさんの○○(名称になっている植物)が生い茂っていた……
今は埋められて、様変わりしてしまった。」
心眼には、その植物が茂っていた頃の風景が浮かび、さわさわと風に揺れる光景が見えます。
それと対比して、今では埋め立てられ、一帯が様変わりし、「神宮」になっている景色に涙があふれてきました。あの頃の痕跡はもうなくて、誰も知らないんだな、という気持ち。
この感覚の根底には、ただ「土地が変わった」という以上の深い思いがあるようでした。
涙!?
そう、私は本当に、昔の情景を思い出して泣いていたんです。(こういうときには眠っている体の方でも涙を流していて、そのことにも気づいている。)
※その植物は、起きてから思い出そうしてみましたが、正確にはわかりません。
樹木だったと思います。ある樹木の生い茂る、林のようなイメージが浮かんでいました。
欅(けやき)ではないかという気もします。
最初、欅という言葉が思い出せず、近いイメージで楠(くすのき)?とも考えたのですが、調べると楠は今でも明治神宮の中の「夫婦楠」として存在していて、しかも明治神宮が建てられた頃に植えられたそうで、なんか違うと感じていると、「欅」という言葉が浮上しました。
とにかく、昔の光景が失われたことに涙したんです。
まったく違う「神宮」となって、それが当たり前になってしまったことにも。
そうしているうち、「竹内文書」という言葉が聞こえてきました。
その言葉は「音声」で聞こえていたので、「たけうち……たけぐち……?いや、たけうちか。確かそんな名前の資料があったな、覚えておかなきゃ」と、聞き取りながら考えていました。
目が覚めた後も覚えておこう、という意思を持ちました。
起きてからももちろん覚えていて、「竹内文書って何だろう。調べてみよう」と思いました。
私が涙した不思議な感覚は、それと何か繋がっているのだろうか。
私は、今公式とされている“歴史”とは違う、何かを覚えているのだろうか……?
そんな疑問を抱きながら。
☆☆☆
夢の説明はここまでです。
私は、竹内文書について、どんな内容なのかを全く知りませんでした。
関心を持ったことがなかったのですが、ネット上で、その名前を目にしたことはありました。
ですから、今回調べてみて、ギクッとしました。
なぜなら、ここでも、「武内宿禰」が出てきたからです。
私が日本の歴史を調べるきっかけになった最初の夢に、武内宿禰は出てきたのです。
自分が日常、表層的には「全く関心を持っていないこと」が、パズルのようにはまって繋がっていくのは神秘的ではありますが、動揺する体験でもあります。
なんで、また……。
そう思いながら、一体、竹内文書とはどういった内容のものなのか、情報を見てみました。
たとえば、こちらのサイトは読みやすかったです。画像も多く載っています。
●「竹内文書で今までの歴史が吹っ飛ぶか!?」(Yuichiro Suzuki Reportsサイト様より)
他もいくつか見ながら、定番のWikipediaも一応チェック。
●「竹内文書」ウィキペディア
その内容を知っての感想は……
うーん……(-"-;)
先述のように、また、武内宿禰というキーワードが出てきたこと、そして最初の夢でもスメラミコトという言葉が伝えられていたことから、夢を通して示されようとしている内容に一貫性があることは、認めざるを得ません。
それから個人のシンクロとしては、竹内文書を公表した竹内巨麿氏の出身地であり、文書の中にも出てくる富山県。
仕事以外では東京より西側へほとんど訪れたことのない私が、実は富山県は旅行で行ったことがあるのです。妹夫婦が誘ってくれたという偶然で。石川県も。
関連エピソードは、前出の☆日本神話や歴史その他☆のカテゴリ内のほか、
◆「誰もがあたらしい」という記事と、◆「漫画第2弾☆~妹編~」にあります。
その一方で、私は、日本の天皇が世界を統べる「世界天皇」であるとか、イエス・キリストが日本に来ていたとか、あと「日ユ同祖論」だとかは、信じていないのです。
そのことは、私の中ではっきりしています。
(日ユ同祖論とは、日本人とユダヤ人のルーツを辿ると共通の先祖を持つという考え。詳しく知りたい方は検索してください。)
たまに見かける「日本は実は、世界の縮図であり、重要な国である」、などの考えもそうなんですが、私は、ある国を「特別視」しようとする考えには同調できないんです。
それを言うなら、すべての人間のルーツはどこかでひとつに繋がるだろうし、どの民族や国にも同等の意義があるだろうと思う、そんな私には、それらの論調に不自然さを感じるのです。
日本に限らずどこか特定の国や文化を、たとえば「人類進化の鍵を握っている」とか、「アセンションのためにこの国が要である」というように、取り上げるのには同意できません。
それは、“物語”の形が変わっているだけで、選民思想的だなぁと思います。
ですから、それはそれとして、
竹内文書はもしかすると、解釈や読む人の観念によって歪められてしまう部分があるかもしれないし、後付けの箇所も混じっているかもしれないけれど、
秘匿されてしまったり、書き換えられてしまったりした歴史を表している部分はあるのではないかと思います。
特に、私の観点から注目できるのは人類のルーツ、「地球外文明」の痕跡を表しているところです。
というか、私にとっての意義は、この一点に尽きる気もします。
私にはもはや、人類の歴史の中に地球外文明が関わっていることは、人間の体のDNAの話題が一般に認められているのと同じように、当たり前の認識です。
むしろ、いつになったらダーウィンの進化論のような、後付けの「常識」がほころびるの?と思って世界を見ています。
古代を「今よりも遅れていた時代。科学力もなかった」と信じるのは、浅はかなことですし、
学校の歴史や生物で習った「猿から人間へ」というイメージに沿って考えていたら、古代文明のことは理解できません。
歴史を辿り、人類の「起源」を考えるとき、地球外にその範囲が広がっていくのは自然なことです。
それを示す文書や遺跡、あらゆる記録を、偽書や“トンデモ”として片付けるのは、「教えられ習って身に付けた歴史への信頼」にただ囚われて、その枠内で考えているにすぎないのです。
個人レベルでは多くの人が、「公式とされている歴史とは違う事実があるんじゃない?」と、気づいていますね。
今の時代はこれまでの大規模な「幻想」や「歪み」がどんどん修正され、観念が劇的に改められる転換期だと、私は認識しています。
この記事も、その多くのきっかけの一つとなりますように!
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