今日のお話は、「目くじらにバイバイ」です。
夕暮れどきの、蒼みがかった景色の中の薔薇たち
「目くじらを立てる」。
辞書に載っている意味では「目角をたてて他人の欠点をさがしだす。
ささいな事に、むきになる。目に角を立てる。」(広辞苑より)
とありますが、
例によってこれも、ある日入ってきたインスピレーションや気づきを、
言葉であらわすのにちょうどいい言い回しだなと思ったので使っています。
「目くじらに、バイバイ」。♪ヾ(^∇^〃)
実体験から語ることができます。
昔は、もっと、「目くじら」立ててました。
これってこういうものでしょ!って、以前は説得したかったし、
強く主張もしたかったのです。(実際にそうするかどうかに関係なく、心がね。)
これを言い換えると、つまり、
「自分にとって、他者の動向や考えがすごく意味があった」
ということでもありますよね。
…「わかりあいたい」というとキレイなんだけど、
そこに、「自分のことを理解させたい!」という執着とか、
「違った考えを認めることはできない」などの正しさにまつわる観念がある場合、
「目くじらを立てる」割には、疲れるだけで、みのりは少ないし、
力を注いでもうまくいかないことにイライラしたり、絶望したり。無力感を感じたり。
人生って厳しいなぁ…という結果に陥りがちなんですよ。
この種の無力感って、けっこうディープでもあるんですよね!
ところが、その経験はもう、変化しました。
今は、あらゆる人の違った考えを、
その考えはその考えで素晴らしいな、とか、面白い、と思えます。
これが、「無理矢理、自分に強制してそう思わせている」わけではなくて、
自然とそう居心地よく感じるようになったということです。
以前だったら、「それは間違ってるでしょ!」と、言いたくなるようなことも、
「なるほど、この人はこういう世界観で、こういう結論を出しているのか。すごい。 」
と、興味深く、純粋に感動することがあります。
「違い」ってすごいなぁ!!クリエイティブだなぁ、と。
こういったあり方を裏でしっかり支えているのは…
自分の考えは、自分の考えとしてそのままでいい
と、心から受け入れられるようになったことです。
人に影響されたり、「ひとつの正しさ」は一体どれかと悩みながら、
自分の考えを疑ったり・曲げたりする…そんな必要を全く感じなくなりました。
だからこそ、「誰かに、相手に、わからせなきゃ」と思うこともないんです。
どんな考えも、どんな角度からの視点もあることが、
心底、面白いなぁと思うんですよね。
日常の身近な例でいえば、パートナーとの間でもそうでした。
私たちみたいなケースを体験してる方、きっと他にもいらっしゃると思うんだけど(笑)
私とパートナーはいわゆる「正反対の極」を多く持ち合っているカップルで…
互いの考えや価値観に、良く言えば「目からウロコ」だし、
悪く言えば「何でそうなるの!?わけわかんない」と、なりがちでした。
うっかりすると、互いが、互いに、目くじらを立てちゃう、と。
この関係性の中では、これまで経験した人間関係で機能してきたような、
「腹を割った話し合い」では、合意に達することができないことがよくありました。
それでも、時とともに、相手に対する理解は深まっていったけれどね。
でも、この経験を通してもやっぱり、一番変化したのは自分の意識です。
違いを認める、多種多様にある正しさやあり方を認めるということは、
自分を失うことや、相手と分離することとは、まったく関係なくて…
その逆で、
自分の考えや個性が、
他でもない自分自身にしっかりと受け入れられたからこそ、
人に対しても同じようであれる、ということなのです。
すると、先に述べたような自然な居心地の良さが生まれ、
それぞれの個性ならではのあり方に、心から感動する体験が増えますよ。
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