BEATS AND LOVE

スピリチュアルカウンセリングとヒップホップ音楽、ライフスタイルや考えあれこれ

もはやガチなんだよね

おばんですー。

今日の午後、ビリビリッという羽音がしたのでベランダを見てみたら、

セミさんが遊びに来ていました。


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周囲が一色なのでオーラが見やすい写真です。


その何時間か後に、またビリッと振動音がしたのでベランダを見ると…


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お近くに。


同じセミさんが網戸に移動していました。

最初にいた場所も日陰だったし、涼んでいたのでしょうか。

夕方になってから、ベランダに干してあるものを取り込むために声をかけつつ、

そっと網戸を開けさせていただくと、最初はそれでも移動しなかったのですが、

思い切ってもう少し網戸を開けたところ一瞬にして飛び去って行きました。

その見事な羽ばたきにほれぼれしました。


さて、今日のお話は私の内面的な近況報告を兼ねて、

「もはやガチなんだよね」です。


ここでの「ガチ」の意味は、一昔前ならば「マジ」というところの、

「本気」の意味
です。


最近、まったく異業種の世界から自分の仕事を眺めたら、

どのように見えるのか…?ということを考える機会に恵まれました。

それをきっかけに気づいたことをシェアします。


私は、もうこの世界(今の職種)に入ってだいぶ長いですし、

セッションのお客様や、講座にご参加くださる皆さんはもちろんのこと、

気づけば周りに精神世界・スピリチュアルな分野を理解している人、

ある程度慣れている人、または興味を持っている人がほとんどです。


気がつけば、それが私の日常。


…ですが以前は、条件自体は今とほぼ変わらなくっても、

自分の関わっているスピリチュアル分野についての話を人にするとき、

相手を見ながら、あえて笑える雰囲気にしたり、ぼかしたりしていました。


つまり、相手がこの分野に詳しくない人だったら、

「変なの…」とか「おかしな人なの!?」と思うかもしれない話題が多い。

そんな相手の心情を汲んで、
自ら、茶化したりツッコミを入れることで、

“一般的”な価値観を代弁しつつ、安心感を作り出すようにしていました。

大丈夫、私もソッチ(普通)の世界わかるよ?アッチにいっちゃってないから!

みたいな感じです。

そうして、ときには本当に話したい主題をぼかし、歩み寄りしていたんですね。


その裏にある動機は、今振り返ると、

「私自身もフルに認めていなかった。定まっていなかった。」

ということだったんだなとわかりました。

結局、自分自身の見えない世界やスピリチュアルな分野への向き合い方が、

その態度に表現されていたんですね。


私はもともと、“盲信するタイプ”ではないので、

けっこう自分の経験を重ねて、重ねて、納得するまでは結論を出さない、

信じないというところがあります。

たとえば精神世界・スピリチュアルの分野にも、

長く観察しているとそれはそれは色々な「ブーム」がありますが、

それら1つ1つに興味を示して信じるということもないし、

「あれはイイ!これはイイ!」と、次々のっていけるタイプでもありません。


なのでブログの内容も仕事もそうですが、自分が行っていることは、

ただ自分自身の内から認めていることをそのまま出しているので、

そこにはブレがないんですね。


では、一体何がネックになっていたかというと……
「照れ」だったのです。

こんなことしてるんだけど、世間から見たらきっとオカシイよね?

というタイプの照れ、あなたは持ったことはありませんか?

本当はあなたはそれを大切に思っているのに、

「世間から、つまはじきにされたり笑い物にされるかもしれないという恐れ」

があって、
それならいっそのこと、先に自分から笑いを取っちゃえ!

と、自らの状況を戯画化してふざけるようになるんですよ。


目に見えない世界への興味、スピリチュアルな感性の鋭さ、

それらが本当に強くある人に限って、この姿勢をよく見かける気がします。


このとき、自分を防御する安全ゾーンを作るために、

「私は観察者であって、その中にガチで参加している人じゃないからね☆」

という念押しとして“客観的”な視点を失うまいとします。


ただ、その“客観”すらも、自分の中にあるということがポイントなのですが…。

(たとえば「世間様」というのも、あるようで実体は存在してないですよね。)


この状態にあるうちは、自分の中に葛藤があります。

いわば、「もっとどんどん進みたい」自分と、

「だめだめ、今なら引き返せるよ!(まともになれ)」と、袖をつかむ自分がいる。


「だめだめ」の方が勢いを増したなら、あなたはきっと立ち止まり…、

何もかも幻想だったんだよ、ばからしい!

やっぱり、私の思い違いだった、夢だったんだ…

あれは、「逃避」だったに違いないよ。

などなど、

理由を作って思う存分、今までの自分の興味や行動を馬鹿にする

ことができるでしょう。


その一方で、心の奥底では悲しく思いながら、

「証拠を見せてください!何かサインをください!

そうしたら、また道に戻りますから…」

と、祈っている小さな子供のような自分もいたりしてね。


でもね、

“天界の何か”や“宇宙”から証拠やサインがもらえなくても、

あなたの心をのぞけば答えは見出せます。

本当は、何を信じたい?

自然と、わくわくするものは?

あなたの心の奥底にずっとある夢は?


私自身は、いつのまにか「照れ&疑い」の時期は終わったようで。

スピリチュアルな分野になじみのない相手に対しても、

自分のあれこれを茶化したり、面白おかしく説明してみせる必要を、

全く感じなくなりました。


それと同時に気がついたのは、私にはもう、

スピリチュアリティーや意識の世界を「笑い種(わらいぐさ)」にすることは、

できないんだということでした。

(他者がそれを面白く思うのは、自由にしてもらってかまわないのですが。)


なぜなら、もはや「ガチ」だからなんですね!

もしかすると誰かにとっては不思議だったり、奇妙だったり、

理解できない内容であっても。

私にとっての自然なことを、ただそのままにするようになったということです。


この話が、どなたかへのヒントにもなれば幸いです。


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