今回はひさびさ?に夢の話です。
なんと私、今朝の夢の中で鼻水をズルズル流しながら大泣きしていて、
(幸い、眠っている肉体の方では大量の涙を流すだけで済みました 笑)
その内容がまた…感覚的にはわかるものの、笑える内容だったのです。
さらに、その夢の中では、「課題」のように受け取れる言及もありました!
光が注いでいるところをたまたま写真に撮ってあったばかりでした。
夢に出てきたテーマと関係あり。
夢の中で私は、
昔働いていたスピリチュアル・精神世界系のあれこれを扱う会社と、
ファッションビルの中に入っていた雑貨屋と(雑貨屋にも過去勤めていました)、
両方を混ぜたようなところで働いていました。
すると、店にいるときに直属の上司(男性)がシフトのカレンダーの用紙を渡し、
休みの希望日に3つ丸をつけて提出するようにと私に言ったのです。
(上司といってもその男性とは仕事仲間同士の気さくな感じで、
そのときも気軽に声をかけられていました。実在はしない人物です。)
それで私は、1ヶ月の中でだいたいバランスよく間をあけて、
この日と、この日と、この日、と3箇所丸をつけて提出しました。
ところが…
どうやら、そのように丸をつけて提出したのは私だけだったようなのです。
会社のデスクに戻ってみると、例の直属の上司よりもさらに上司(女性)、
仲の良い同僚たち、それから会社のお偉いさんみたいな人たちが皆揃っていて、
神妙な様子…私に対して冷たい感じの気まずい空気を醸し出しています。
お偉いさんみたいな人の1人、年配の女性が、
「自分だけ休みを取ろうとして丸をつけて提出するなんて。見損なったよ!」
と、私に非難を浴びせました。
チームの上司(女性)は気まずそうな顔で、私を見ないようにしています。
例の、丸をつけるようにシフトを持ってきた直属の上司は、
デスクに体半分以上隠れるようにもぐり、逃げの姿勢で縮こまっていました。
私はあまりに想定外なことだったので、驚いて、周りを見回していました。
仲のよい同僚は同情してくれていると思うのですが、
何もできずに、ただデスクに座って黙って前を向いています。
さらに、そのお偉いさんみたいな人は続けました。
「まだ、光(オーラ)がなぜ虹色に見えるのかも、わかっていないくせに!」
※光(オーラ)と書いたのは、
可視光線について言われている感じではなかったからです。
夢は、言葉というより根本的には感覚で意味を受信しているので、
それを文字で翻訳しようと思うと曖昧な表現になってしまいます。
私は思いもよらないことで、こうも強く非難されたので、
悲しくて、わんわんと泣き、鼻水もだらだら垂れましたが、
それでも一生懸命に周りの人たちにこう言いました。
「でも、3箇所丸をつけてくださいって言われたら、つけるよね? 」
…このときの必死で、悲しい気持ち、
思いもよらないことで非難されて、納得いかない気持ちなど…
その部分に関しては、蓄積されてしまっていたのであろう、
現実での私の思いや感情の内容を反映しているのだと思うのですが。
起きてから、涙にまみれていても鼻水は出ていないことを確認して(笑)、
ふと気になったのは、
「まだ、光(オーラ)がなぜ虹色に見えるのかも、わかっていないくせに!」
という箇所についてです。
それで、しばらくじっと横になったまま、その点に思いを馳せていました。
確かに、光の波長の違いによって“色”が見えるのだとか…
わかったような説明で満足しているけど、本当はわかっていないのかも…
と、考えてしまったのです。
太陽光が虹色に見えることを思い出してみたり、
燃えている炎のようにそれ自体が光源となっている色をのぞいては、
物体そのものに色があるのではなくて、光が当たることで、
光の中の吸収されずにはね返された波長が「色」に見えるということとか、
(簡単な説明ですが、たとえばオレンジ色の果物を見ているとき、
その果物という物体自体がオレンジの色の波長を放っているのではなく、
光が当たって、光の中のオレンジ色の波長が吸収されずに反射されており、
光の中のその他の色の波長は、物体に吸収されているのだといいます。
光のないところでは色が“見えない”のではなくて「色が無い」そうです。)
「見る」という体験は、私たち「観察者」の側の知覚にかかっており、
それによって見える色だって異なってくるのだということとか…
夢がきっかけで、身近にある現象の知識を振り返りましたが、
その中には説明としては論理的でも完全ではないと思う内容もあると、
気がつきました。(それについては最後の方で書きます)
私はわりと、同じものを見ていても「見える色」が人それぞれ違うんだな、
ということは以前から実感していました。
洋服などでも、「これは○色でしょ」、「いや、△色だよ!」と、
見えている色、感受している色に人によって差が生じていて、
それは単にその色を何と呼ぶかの表現の違いだけじゃないと、
気づくこともありますよね。
しかし、夢の中で言われたことは、物理的な「光」の範疇のみならず、
もっと広義の光について言っているのでしょう。
つまり物理的な、私たちが「肉体の目で見る」光についての話ではなく、
目を閉じていても、肉体を持たなくっても存在している光についてです。
私たちは、肉体の「目」の器官を使わず、まぶたを閉じて休めていても、
夢の中で色鮮やかな景色を「見ています」。
自分の経験では、眠って夢を見ているとき以外にも、
目を閉じたままで部屋の様子や映像がはっきり見えることがあります。
それを「脳」の現象で説明することが一般的ですが、
脳というのはそれ自体が映像の元をつくっているわけではなくて、
意識によって送り出されている情報の「レセプター(受信機)」なのです。
この関係を電話やテレビにたとえると、
送信先にある情報そのものを創っているのは「意識」で、
意識から送られてきた情報シグナルを受け取って、
音声や映像として再現する機械(電話機やテレビ)が脳
…だと考えてみてくださいね。
そして、その「脳」も「意識の中にある」のです。
では、目をつぶり、物理的な光を感受しなくても見える光とは、
一体何なのでしょうか。
それは「外」にある現象なのでしょうか。
色は、肉体を超えた世界にもあります。
物理現象も、さらに広い世界を知る「ヒント」にはなりますが、
物質の世界を通して見える現象は「一端」にすぎません。
すべてが意識でできていて、観察者自身が光である。
このことが、夢で与えられた課題の答えに繋がると感じています。
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