こんばんは~。
今回は「バーチャルに飽きる」をテーマにお話しします。
近頃、私がつくづく実感していることとして、
ヴァーチャルな世界にほとほと興味が持てなくなってしまった、
ということがあります!(゜д゜;)
振り返ると10年くらい前からその傾向は始まっていました。
まず、小説などのフィクションにほとんど興味を持てなくなって…
これ自体、かつて文学が大好きだった私には大変な驚きだったのですが、
フィクションの本を自ら買うことはまず無くなってしまい、
そのうち、「映画作品」にも以前ほど興味が持てなくなりました。
映画は、ブログでもときどき、見た映画と絡めて記事を書いているように、
見ていることは見ているのですが、かつてとは受け取り方が異なるようで…
自分でもびっくりするほど、
「そのときは集中して見るけれども、翌日は何も残らない」
という観賞の仕方に変化したのです。
逆に、昔の私がどのようだったかをお伝えすると、
私は映画を見た後はしばらく「その世界の余韻に浸ってしまう」タイプで、
似たタイプの友達と、映画を見た後に存分に語り合ったのはもちろん、
その日以降も見た映画について思い出して考えてしまう…
くらいに、どっぷりと作品の影響を受ける傾向があったのです。
それが今では、さらっと意識から抜けていくので、爽快といえば爽快ですが、
本当にあまりにも見たものが爪痕を残さないので(笑)
根本的にどうでもいいというか…
作品世界に対する「重要度(興味)」が低くなってしまったんな…
と、認識しています。
そう実感することは決して嬉しいわけでもなく、
娯楽が減ってしまったような微妙な気持ちですが、
もうずっとそのままなので、今後も変わらないでしょう。
そしてついに…「無興味」の対象が…
「インターネット」の世界についても、起きてしまっているのです。( ̄□ ̄;)
先にご説明すると、私は長年テレビを見ない生活をしています。
早くにテレビの世界には興味がなくなりました(というか、見るのがきつい)。
そのため、インターネットは私の「情報源」ですし、
こうして日々ブログも書いているので、
ネットにアクセスする時間は決して少ない方ではないはずです。
かつては、ネット上で有益な情報を得ることもよくありました。
インターネットで色々な情報を見ることを楽しんでいました。
ところが…
今では、ネットに対しての気持ちも飽和状態というか、
そこに何も求めていないし、心底面白いと思えることがなくなってしまいました。
そういうことをじわじわ自覚し始めたのはもしかすると去年、一昨年あたりから…
こちらも私にとって諸手を挙げて歓迎したい変化ではなく、
「ついに、ここにも興味が持てなくなるのか…(゜□゜)」
という、恐ろしい感じすら伴いました(笑)
自分の心を響かせるものがどんどん減っていく!
ただし、減っていくのは「ヴァーチャル」の分野。
(この現実をもヴァーチャルと捉えれば、ヴァーチャルのヴァーチャルですね。)
たとえば、スピリチュアルカウンセリングの☆個人セッション☆や、
☆講座☆で人とお会いすること、そのことには手ごたえを感じます。
個人セッションでは、スカイプや電話での通話も利用しますが、
そのときにもやはり、「生」の交流という手ごたえがちゃんとあります。
それは、ひとりひとりの「本当にいる誰か」と関わっていることで、
生きている状態で交流し合うことで…
言葉でうまく説明ができませんが、私にはヴァーチャルではありません。
あと、一般的にヴァーチャル扱いされやすい「夢の世界」も、
私にとってはよっぽど(ネットより)ヴァーチャルではないんですよね。p(^-^)q
ネットだって背後には生きている人間がいるのだからリアルじゃないか、
と言う意見も理屈としてはわかるのですが、
「直接会ったり声で本人と話すのを一次」とすると、
それとははるかに異なり得る、二次情報、三次情報、それ以降…
というものだということは言えます。
文字を使ったり、写真を使ったり、多くの説明をしてもそんな感じ。
私にとって、この「ヴァーチャル感」は現在では無視することができないもので、
心の底からそういう世界に没入することが、できなくなってしまったのです。
でも、そんな距離感を直視してしまうようになったこと、
私の本心ではそれはいいことだとも感じていて、
「会ったことのない人の話なんか聞きたくないな~」
くらいの感覚でも、ちょうどいいなぁと感じています。ハハハ( ̄▽ ̄)
そのくらい、「情報」というものと、「リアル」とはかけ離れることがある、
という直感があるからです!
もちろん、ネットで救われる人がいることは否定しませんし、
思わぬ形で必要な情報を交換できたりと、素晴らしいツールだとは思います。
でも、それが「ヴァーチャルである」ということをどこかで認識していないと…
たとえばの話ですが、自分で調べ考えるという作業をせず、
ヤフー知恵袋で質問して得た回答をコロッと信じたり、それで満足してしまうような
(例に浮かんだだけで、特にそのコーナー自体を批判する意図はありませんし、
利用の仕方も人それぞれだと認識しています。)
そういう感覚って私にとっては共感できない、わからないなぁという思いが、
近年強まっているということです。
相手の声を聞いたり、雰囲気を受け取ったり…
誰もがひとりの人間としてじかに感じられる「生の」交流。
その価値が、ちょうど陰影が深まっていくように、際立って感じられるんです。
私たちは、生きている。
同時代の空気を吸って、ものを食べて、寝て、呼吸して、起きて…
みんなが一緒に生きている。
そういうことの価値がおぼろげになると、忘れられちゃうと、
どんなにヴァーチャルな世界で沢山の交流をしていたとしても、
生に対する根本的な感覚が薄れる気がするのです。
文字は私ではないし、
画面上の写真は私ではないし、
アイコンは私ではない…
作られたものの「裏側」にも目を向ける意識があると
(それは悪い意味での「裏」ばかりではないんですよ)、
見せかけの衣や、綴られた言葉よりも、
いつだって、リアルなその人に価値を感じていたくなるのです。
スピリチュアルカウンセリング個人セッション