私たちって、「視野を狭める天才」だなーと思うことがあります。
そのことは、「意識」の途方もない広さに気づくと、実感せざるをえないでしょう。
誰もが広大な意識にアクセスしており、その無限性を“それぞれの意識”として感じるという形で経験可なのです。
意識の中の世界は、この物理宇宙よりずーっと広い。
人類が、遠くへ、遠くへ…と物理的な宇宙探索を続けても、どこまで広大無辺に旅をしたとしても、意識世界にとってはその経験も「数多くの中の1つ」にすぎず、大きさで喩えると、塵や埃ほどもなくなってしまう。
いえ、大きさという概念は機能しなくなり、サイズで比較するという幻想は意味を持たなくなるのですが。でも、私たちの日頃慣れ親しんでいる考え方に沿って喩えて把握するなら、そのように想像すると実感が湧きやすいですね。
その視点からは、私たちの現在の人生における意識の使い方は、「視野を狭める超天才」です!かなり多くの人が「この世界がすべて」だと思えているのだから。
塵や埃サイズの宇宙の中で、ミクロ以下の自分という焦点に集中をして、その中でさらに細分化された「日々」の1分1秒を、どう使うかということを選択して。
「あっ!」と言って終わりというくらい短い人生の中に、たくさんの濃いものを凝縮させて、そこにおいても「こだわり」を作る。
トレビヤ~ン、素晴らしいね。
地球人を経験したことがない存在から見たら、驚嘆して憧れちゃうかもしれない(笑)
そんなことって可能なの!?と、興味を持っちゃうかもしれない。
くれぐれもこれは「別の視野も持つためのたとえ」であって、あなたの人生の価値を軽んじたり、「小さき者」みたいな無力感を持ってもらうためのお話じゃないんですよ。
ただ、そのくらい、一瞬みたいな、ミクロ以下みたいな規模の中で、私たちが「自分を見失う」としたら、あまりにその中だけに集中しすぎるから、ということがあるのです。
日々を大切に、いいことだよね。
自分の人生に集中する、素晴らしいよね。
でも、その中で経験している狭い視野に「すべて」があると思い込むと、私たちは自己を見失います。
なぜなら、それは真実ではないからです(笑)
あまりに、無理があるからです。
だからこそ、大と小の…おおざっぱさと細かさの…バランスを取ることを思い出してほしいのです。
「視野を広げるんだ!」
と言って、物理的な経験の「種類」を増やそうとしたり、別の場所、たとえば異文化や海外に向かうことなどを思い浮かべる人もいると思います。
あなたの心が向かうことならどれも素晴らしいし、実際にそれによって得る発見はあるだろうけど、おおもとは「心」です。あなたの心の中で採用している考え方、あり方。
自分の観念の構造に気づかないと、外の世界はその「副産物」なので、場所や経験の形をどんなに移動しても、同じものに囚われる。
それによって「世界はこうだった」と結論づけても、あなたの心はどこか満たされない。
そんなときは、自分の観念に気づけ、気づけと、内側はささやいて、促しています。あなたが見るところを間違えないように。
あなたに、出来事を通してチャンスをもたらしてくれているのです。
外に見えるものは「映し絵」にすぎないんだよと、いつだって示している力があります。
「物理的な現実」だと思ってこの世界を経験していると、外の現象をコントロールすることに躍起になってしまったり、それが二次的なものだということを忘れて生きてしまうけれども、
あなたの視野は、元来内側に向くようにできていて、外の世界はそれを「認識」するための、ある意味ヴァーチャルな「経験舞台」なのです。
あなたの自然な能力、意識フォーカスを使いこなせるようになりましょう。
私たちはみんな、この地球舞台を通して、その訓練をしています。
こういった設定の中で、どんな風にクリエイティビティーを活用することができるか。
外の映像の方が「リアル」だと囚われずに、自分の内側にある豊かな世界へと目を向けることができるか。
それを忘れやすい設定から始まっているからこそ、私たちは「真剣に」ここで挑戦することができます。
想像してみてください…生まれながらの「魔法使い」にとって、魔法が使えることは自然ですが、どんな魔法を使うかには選択の余地がありますよね。
色々な出自から集まって、地球舞台で切磋琢磨している仲間たち。
視野を狭める天才たちは、自らそのことに気づいたら、自由に焦点を動かすことができる能力を備えているのですよ。
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