今日は早朝にも更新したので、2度目の記事です。
熱のような症状が明けて、体調の方はすっかり良くなりました。
引き続き体には注意を払いつつ、術後の患部の回復を見守りたいと思います。
さて、私のここ最近の経験から健康にまつわる話題が続きましたが、
今回のテーマは、「人間の心が持つ病からの脱却」です。
体だけを見ていると“体の症状”と思えるものでも、根本には意識があります。
そしてまた、「心の病」と言うとき、一般には心療内科・精神科などに管轄される分野の症状を指すと考えがちですが、スピリチュアルな観点からは、すべては意識・心の「表現」です。
その中に「体」も含まれます。
特定の病名がつけられていなくても、ある表現をすれば、「現代ではたくさんの人が心に病を持っている」と見ることもできます。
それはどんなものでしょうか。
たとえばあなたは、習慣的に自分を責めたり、人を責めたり、という癖はありませんか。
たびたび書いていることですが、人を責める気持ちというのも、実は自分を責める気持ちの別表現です。
また、たとえばあなたは、自分の存在価値を疑ったり、自分が生きている価値があるのだと認めるために「何かをしなければいけない、証明しなければならない」と考えていませんか。
自分をよく観察してみると、日常の端々に、それを基として派生する考えや行動、ものの見方が生じていませんか。
「いや、人間って誰だってそういうものだよ」と思っている方もいるかもしれませんが、それは思い込みであって、そうでないあり方、あなたがあなた自身を受容して生きることはできます。そして、それが私たちの「存在」のナチュラルなあり方です。
さらに、気づいている方も多いと思いますが、自分を受け容れられないとき、人のこともあるがままに見つめることはできません。
自分が病んでいれば、世界への見方も病んでしまう。
あなたはあなたのレンズの状態を通して、物事を見てしまう。
ということです。
その意味で、今回は、人間の心に見受けられがちな「自己否定」や「存在価値や、自身の力への疑い、不信」などを「病」と呼びます。
これを、宗教的な概念では「神への疑い」と表現していることがあります。
しかし、このときに本当に指しているのは、存在の源である内なる自己への感覚であり、自分自身への疑いです。
かつても記事に書きましたが、「Surrender」するというのは、外にいるなにがしかの存在に対してではなく、あなた自身になる!ということ。
言い換えると、あなた自身以外のものにはなろうとしない、ということです。
あなたがあなたをゆだねるのは、内から湧いてくるあなた自身の本当の姿に対してです。
自分自身とひとつになるということです。
このように、とてもシンプルなことなのに、それを複雑化させることができるのが人間です。
なぜ複雑化しているかというと、様々なルール、「観念」を自分の心に採用していて、それが自身にとって噛み合わなかったり、不調和であっても、無理をして採用し続けるからです。
なぜ、苦しみながらもそのような観念を採用し続けるのか?
「生きるため」です。
ここには、ただ生きるためというサバイバルの意味よりも、「自分の属する集団の中で生きるため」という意味合いが強いです。
家族…会社…何かのグループ…地域…民族や国家…私たちは、集団の中に「属している」という観点から、そこで学んだ様々なルールを取り入れます。
実際には、誰もが同じルールで生きているわけではありません。
このことは、あなたも、もちろんお気づきのことでしょう。
同じ家族で育っても性格が違ったり、同じ文化の下で育っても、考え方が全く違う。
そういうことはよくありますね。
そこには「個性」も関係してきますから、留意してほしいのは、あなたを「人格改造」しなければならないということはないということです。
別人にならなければ!と考えるのは、自己否定から生まれる発想です。
そうではなくて、あなたが、より、ナチュラルに、自分らしく生きるというのはどういうことだろう。何が自分にとって自然で、心が向くことで、充実するのだろう。
そのように、自分の人生の「質」についてしっかり考えることです。
そして、それを実行するのです。
そのときに、あなたの心にいまだ残っている様々な観念が邪魔をしているのなら、あなたは「出来事」を通して、現実にそれを体験するかもしれません。
そうして実際に体験することには素晴らしい意義があって、そこから学ぼうとするならば、「鏡」の役割となってあなたの内にある「不調和な観念」を照らし出してくれます。
それによって、あなたは「ああ、もうこんなものの見方はやめよう」とか、「これに同調して生きるのはやめよう」と気づき、自分の心を決め直すことができるのです。
外の世界というのはこのように「二次的なもの」、たとえていうならば後からできる「影」であって、それはつまり、あなたがもし外側に見える形だけにこだわったら、ほしいものすべてを手に入れ、実現したいことすべてを実現したつもりでも、心は「病」の状態にあるかもしれません。
先述したように、病名はつけられていない、人間の「病」です。
自己価値を疑い、自己否定し続け、その埋め合わせを外に求めたがるという病です。
意外かもしれませんが、「自己否定」が根本にあると、「自己中心的」な発想になります。
えっ…他人に嫌われないように、身を小さくして生きてしまうのに!?と考える方もいるかもしれませんが、 むしろ自分が何かしてしまわないか、間違いを犯さないか、他者にどう思われるか等、怯えたり、疑ったり、心配したりしてしまう心が根底にあるので、純粋に相手を観察する余裕はないのです。
常に「自分と結び付けて」人や外の反応を解釈してしまうというわけです。
これは、「透明なレンズを通して世界を見ている」とは言えませんよね。
自分仕様に曲げて、それも恐れの仕様で、物事を解釈してしまいます。
この人生は、永遠に続くわけではありません。
一分一秒が、あなたがどんな気持ち・感覚でそれを行っているのかの選択の連続です。
なぜそれをしているのか?どんな気持ち・感覚でしているのか?
自己観察をして自覚することが、あなたを「人間が持つ心の病から脱却」させてくれます。
様々な助力はあっても、最終的にそれができるのは、あなた自身のみなのです。
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