前記事ではまったく別のトピックに集中していたから意外だったけど、このテーマがまだ続いていたらしい。
自分では「関係ない」と思う作業をしているときにも、いえ、そういう風にわざわざ考えてもいず、その瞬間・瞬間の関心に忠実でいるときこそ、ひとりでに次の展開が表れてきますね。
表れてきた内容は、最近ぼちぼち続いていたルシファーシリーズ、
「“闇”が示す意味(ルシファー完結編)」です。
私の中ではこれでひとまずこの話題は「完結」かな?と感じています。
各記事内にも関連記事のリンクがあるので、これまでの流れは、最新の2記事だけ載せておきますね。
◆「続・ルシファーの話(外を見ているつもりで、内を見ている)
◆「ルシファーとキリスト、歴史の中の歪曲」
リアリティー(現実)って、色々な装いをとることができるんですよね。
自分の内側からそれが創られているっていうことを理解していないと、本質的に、同じところにいるの。
たとえば、リアリティーのジャンルを、「一般的な日常の現実」と思われているところから、「スピリチュアルカテゴリ」の舞台に移しても、形を変えているだけで同じことをしていることがあるんです。
その「装い(外観)」が、いわゆるこの人生の、世界が~とか、政府や政治が~とか、人間関係が~とか、経済が~とか、仕事が~とかである代わりに、
“高次の存在”になったり、“あの世”になったり、“過去世”になったり、“宇宙人や様々な文明”になったりしているだけなことがあるんです。
現実が外側で起きていると思っている限り、同じ構造の「夢」を見てるんです。
「私」の外に、そんな現実が「誰か別の者の力で」繰り広げられていると信じてしまっているんです。
それで、客観的な「真実」を現実の中に探すんです。
でも、そんなものはないんです。
睡眠中にみる「夢」を思い出してくださいね。
あなたの意識の中で、それをクリエイトしています。
もちろん、他者と「共有できる」設定がありますが、本質的に、あなたの意識の世界の中で起こっていることはあなたが起こしていると理解しなければ、夢の扱いはいつまでもわからないままです。
ふーん、どこまで?自分で創造している・選んでいるっていう部分の「限界」は?
全部です。リアリティーまるごとです。
「ここから先は他者の意識」なんてことはないんです。
自己認識を拡大している人であればあるほど、そのことがわかります。
でも、「自分」を狭く定義している人であれば、ほとんど「他の何か」によって動かされているかのように体験することになります。
今回のルシファーのストーリーも、最初からお話ししているように、その観点を持ったまま象徴的に見ていく必要があります。
「外を見ているつもりで内を見ている」と、タイトルにも表していたように。
「ルキフェル(ルシファー)」は「光をもたらす者」の意味ということでしたね。
私はこれを面白いなと感じました。
象徴にはひとりひとり、あるいはその時代や文化、それぞれの解釈で色々な意味が当てはめられます。
私の今回のこの体験、解説では、こうお話しします。
「闇」というのは、「無明」、光がない状態です。
光がない状態は、私たちの「無知、無明、忘れていること」を表しています。
つまり、私たちが「自分が誰であるかということを忘れた状態」の意識のことです。
光は、闇にはなりません。
光があるということを「忘れた」者からすると、闇のように体験することもできるだけです。
でも、それは、「見る者」のマインドの中でのトリックにすぎません。
光と闇という言葉を使ってたとえるなら、全体が光であれば、「一部忘れること」でしか、「闇」のコンセプトを体験することができないのです。
そんな遊びです。
遊びが終了したら、ゲームを解いてしまったら、ふたたび「光をもたらす者」をそのままの姿で見ることができます。
光は「もたらされる」というよりも、元々そこにあったのです。
それをただ、私たちが「何か別のもの」として見たのです。
自分自身を「何か別のもの」と思い込んでいたからこそ、そのように投影して見たのです。
これで、「“闇”が示す意味(ルシファー完結編)」を終わります。
この記事には、文字以上のエネルギーが込められています。
私自身の意思でこれを書いていますから、あえて「チャネリング」とは言いませんが、内容はダイレクトに内から湧くものを言葉にしました。
しっかり意味が理解できたら、あなたは「あなた自身」の力をますます意識的に使っていくことができるはずです。
遮るものは、ないからです。
(以下、笑顔で。)
「すべての魔法使い、錬金術師であるあなたがたへ。
あなたの力を忘れず、
過去にも未来にも、すべての“時”において、あなたの生きたい現実を選ばれますよう。
愛をこめて ルキフェル」
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