BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

How many more years do I have? 死まであとどのくらい?

こんにちは。

今日は、この記事をお届けします!

「How many more years do I have?」

降りてきたのは英語のタイトルなのですが、

これだけでは何のことかわかりづらいかもしれないので、

「死まであとどのくらい?」という日本語もつけました。


do I have あえて現在形です。

すべては、現在に、同時存在しているので。

☆☆☆

読者のみなさん、

並行現実のお話や、自分の現実を自分が選択しながら創造している、

ということになじんできましたか?

感覚的にはわかるんだけど、詰めて考えるとよくわからないな…?

という方もいらっしゃるかと思います。

それでも、たとえばスピリチュアル・カウンセリングのセッションでもですね、

興味を持ってご質問をくださったり、

それを受け入れて「扉」を開けるコツに「あっ」と気づく方も増えてきて、


私もうれしいです♪♪

さて、

並行現実について考えたときに、

皆さんは「死」をどう捉えているでしょうか。


今日の記事を読めば、そのことが、もっとクリアーになるはずです。


☆☆☆

死ぬとき、問題なく移行ができたら※

つまり、「死に方」がどうであるかという問題ではなくて

本人が死んだ後に、意識を切り替えたら、ですね…。


亡くなった方はあまり、こちらに関心を持たなくなります。

そうでないケースについては、「霊的な話」カテゴリ内の記事をご覧ください。

beats-and-love.hatenablog.com

その「関心がない」という意味は、

私たちが現時点で想像するほどには、
と言いましょうか…。


意識がふっと切り替わって、

私たちが思うような“さみしい”とかそういう類の感情はなくなります



これをたとえ話にするなら、

地球という天体では重力があるけれど、

地球を離れたら、無重力状態になりますよね。

重力から解放される。そんな感じです。


基本的に、亡くなった後の人のことは、心配しなくて大丈夫。


ではなぜ、私がこういうことを知っているかというと、複数の理由があって、

ひとつは、私は臨死体験をしたわけではないのですが、

自分が死ぬ可能性が高かった時期を乗り越えているからという点もあります。


つまり、自分がそのとき死んでいた可能性も高かった、

とても死に近かった時期があったのを知っているのです。


これは単に「そういう風だった」という話ではなくて…、

私には、「自殺した可能性の現実」があったということです。


それは20代になりたての数年間で、

まだ精神世界の情報に親しみ始める入り口の頃ですが。


このことは、「あらかじめ自殺をする予定の人・そういうさだめの人」

がいるんだという話ではなく、


私の人生の流れで「危険だったゾーン」が、

そのあたりだったということです。

そのとき、私の個性から、自殺もありえた、と。


(私も色んな人と接してきてわかったのですが、中には、

「人生の中で自殺って本気で考えたことはないな~」

という人もいらっしゃるのですよね。色んな体験があっても。)


私のこういう感覚からいって、実際に私には、

「自殺していた並行現実」もあり、

それがその時期だったのだろうと感じています。


その選択を自分が「オン」にしなかった、

選ばなかったという「境目」が、当時の自分には唐突にわかって、

(そのときはスピリチュアルなことや並行現実の知識も無かったのですが。)


「可能性は本当に今まであったけど、

それ(死)を選択しなかった、完全にその選択から離れたんだ」

という手応えに気づいた瞬間があったのです。

(これも直観といえばいいでしょうか。ただわかったのです。

「カチリ」と体感できるくらいにはっきりしていました。)


なので、そのときのことは、よく覚えています。


そうして残ったのは、

私はここで人生をあきらめて、死ぬ現実もあったんだな

だけど、そこを「えいっ」と通り越して、もう、自殺はしないんだな

という気づきでした。


だからといって、そのときを境につらかったこと、

苦しみそのものがなくなったわけではなかったんですよ!

外の現実で、決定的な状況変化や出来事があったわけではなかったのです。


それでも、自分の「選択」には気づいたのでした。


ここで自死をしないのなら、きっともう、することはないと。


それまでは、常に「自殺」という選択肢がつきまとい、

いつか、自分はそうしてしまうのではないか、

そうやって人生を終えてしまうのではないか…

と、リアルに感じていました。なぜだか。

(するときは確実な形ですると決めていたので、未遂をしたことはありません。)


ところが、以後は、どんなにつらくても、たとえ「死にたい」と思っても、

その選択肢は実際にはもうないんだ、と感じるようになったのです。


なかなか不思議でしょう?


しかもその時期、こういった「選択」に気づく少し前に、

私は臨死体験にも似た、死の過程の体験をしたのでした。


苦しみながら必死に出口を探す中で、「死」って本当は何なのか、

思い出しかけていたのかもしれませんね。


私にとっては、それを「夢」として体験しましたが、

その時期はとにかく、1日の大半は眠っているというくらいで、

鬱状態で、死のことをよく考えているという状況だったので、

本当に死の世界と「きわきわ」のところにいた、ともいえます。


それまで以上に、「霊的な(スピリチュアルな)」

不思議な夢が多くて、とりあえず夢日記につけていました。

それ以前からぼちぼちつけていた、それらたくさんの記録を※、

(※ノート30冊分以上もありました。)

その後さらにもう数年も経ってから、全部一度に読み返したことで、

パズルのピースが次々とはまるように、

私はスピリチュアルな「記憶喪失」から回復したんです。


ですから、もし自殺を考えているような方がいらしたら、

「死ななければ、その先に思いがけない展開があるよ」

と、私はお伝えしたいですね。

☆☆☆

そのとき私が体験した「死の過程」なのですが。

私の体験の、詳細の描写や外観ではなくて、

ただ「感覚」をとらえていただければと思います。


まず、そのときの私には、果てしない落下 として始まりました。


トンネルなどではなくて、急な落下、です。

突然、地面が無くなって底無しになり、

自分が立っていた世界がくるんと真っ逆さまになったように。


ものすごい勢いで果てしなく落ちていくんだけど、

途中の景色は見えるし意識もはっきりしています。


落下しながら、私には死の自覚がありました。

あっ、死んだんだな、と気づきました。


「ああ、これでみんなとお別れになっちゃうのか…」

と、きゅんっとさみしく、悲しく、不安に思ったのですが、


落ちながら見えている景色の中に、やがて、

「ビルを縦に割ったような」階層ごとに人々がいる様子が見えて、

そのワンフロアに、自分の両親などもいるのです。


そしてみんな元気に、「おーい!大丈夫だよ~!」というように、

本当に明るく、はつらつとした笑顔で手を振ってくれるのです。


そのヴィジョンを見た瞬間、ふっと、意識が切り替わり、

さみしさや別離といった感覚はまったく嘘のように消え、


不安も孤独もなくなって、もうなんでもない!

まさに日常の延長のようなくつろいだ気分になっていました。


そこから先の話は、私が当時持っていた苦しみに関連する

「意識の反映(通常の夢につながる)」とわかるので、割愛します。


この話題から、みなさんにお伝えしたいのは、

自分の決断なしに死ぬ人はいないのだということです。


あなたもすでに、おおよその「移行の日」を決めているかもしれません。

(それだって、あなた自身が変更する可能性もありますが。)


HOW MANY MORE YEARS DO I HAVE?


死は存在の終わりではありませんが、

ここでのあなたの人生という特定の「出し物(劇)」は、終わります。

※正確に言うと、それ自体が終わったり活動を停止するのではなく、

冒頭でご説明したように、あなたの関心がそこから逸れる、という感じ。


私たちはあたかも、自分には 死は訪れないような…

この人生に終わりがあるということを忘れてしまうような

錯覚をベースに過ごしていることがあります。


それはある程度、必要なことでもあるけれど。

たまには、

自分の人生はあとどのくらいあるのかな、と、

終わりから「今」を見つめてみるのも、いいのではないでしょうか。

そうすることで、ご自身の新しい輪郭が見えてくるかもしれませんよ。


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