BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

愛の多様性

今年は5月の美しさに目を奪われっぱなし。
新緑の季節ってこんなに素晴らしいものだったっけなぁ、としみじみしてしまいます。
元々、新緑の美しさには心躍る方だったけど……寒くもなく、暑くもなく、植物はいきいきしていて、5月って大好き!と、以前はここまで思っていたかどうか。

年月とともに好みや感じ方も変わる。その観点から、この1年ほどで特に大きく変わったのは「愛」にまつわる観念では、と自分で思います。

昨年の12月に「愛」をテーマに講座を開いたのもその一環でした。

beats-and-love.hatenablog.com

広義の「愛」は人生全般に表れ、必ず関わってくるものですが、ここでは「恋愛」や、パートナーを持つことなどの「リレーションシップ」について書きます。

個人的に、これについてが近年最も変化し理解が深まった部分だからです。

☆☆☆

かつての私は、恋愛において、根本的に「受け身」の愛の観念を持つことが多かったです。

それは、行動の面で「自分から積極的に気持ちを伝える・伝えない」などの姿勢のことではありません。それは状況によりけりで、別に受け身ではありませんでした。

そうではなくて、「心の姿勢」が受動的だったのです。

どういうことかを説明しましょう。
私は過去には、「恋は交通事故のようなもの」と思っていました。
出会ってしまったら、仕方ない。それはコントロールできないものだと。

つまり、惹かれる相手と出会ったなら、その相手が、自分の人生に沿おうが沿うまいが、望む条件や自分の志に合おうが合うまいが、「惹かれた」というその時点で、もう相手をそのままに愛するしかないのだと。

これを「変だ」とも思わず、恋とはそういうものだと思っていたのだから、今距離を置いて眺めると不思議なものです!

その点において、私は完全に(根底が)「受」の姿勢だったのです。
自分の人生をどうしていきたいかを中心に据えて、おつきあいする相手やパートナーを選ぶという考えがなかった。オーマイゴッド。

もちろん、そういう恋愛をする時期があってもいいのです。
色々な人との関係を経験して、自分を知っていくということがあります。

でも、ある程度その経験をしたら、他者との関わりを通して「自分がどう生きたいか」は明らかになっていきますよね。
すると、「自分」を生きることを中心に据え、選択にも反映させることを学びます。
(これをある概念の下では、「神に従う、神を優先する」というように呼びますが、実は自分自身を生きること、内なる自己に沿うことを指します。)
もっと言えば、これができないと、本当の意味での他者との関係は築けません。

私は、どう生きたいか。
自分の人生に望むものは何か。

その意思や感覚を優先してはいけない、持ってはいけないことのように考えている「観念(BELIEF)」が、私の中にはあったように思います。

他者をあるがままに受け入れるということと、受け身の愛とを、混同していたのです。

世界には、多種多様な個性の人がいて、「自分と合わない」人や、「人生に望むことや目的が大幅に異なる」人も、当然います。

その人たちとあえて個人的に多くの時を過ごし、“親密な”関係になる必要はなく、適度な距離を置くことが最適な選択であることもあります。

誰と共に人生の多くのときを過ごしたいか、あなたは選べます。

他者をあるがままに受け入れるということは、自分と異なる方向性を持つ相手がいたときには、それも「あるがままに」受け入れるということです。

誰もがあなたに好いてほしい、一緒にいてほしいと願っているわけでもないですし、あなたも逆の立場ならそうでしょう。まず、この観念の「謙虚なようでいて奇妙に傲慢であること」に気づく必要があります(笑)

あなたが違和感を覚えたり、苦しくなるとき、相手にとっても「不調和」なのです。
それを正直に自分で認めることは、自分自身のためのみならず、相手のためにもなります。

愛とは、相手をコントロールして、同じ方向を向かせようとしたり、あるいは自分が無理をして同じ方向を向こうとしたりすることではありませんよね。

たとえば、「共感」と「愛」とを取り違えていると、あなたは、愛を示すためには共感を示さなければいけない、と信じるようになります。

ところが、愛していても共感しないことは多々あるので、そんな観念を持っていると、あなたは葛藤してしまいます。

また、「(物理的に)一緒にいることが愛だ」と信じていると、そばに一緒にいない形での「愛」というのは、たとえそれが最善だとしても、「愛を失う」ように感じて、理解できなくなるでしょう。

愛にまつわる、あなたを不自由にする「観念」に気をつけてみてください。

少しでも、「自己犠牲」の気持ちが含まれていたり、あなた自身の本当に感じていることを殺さなければならなかったりしていたら、要注意です。

私たちは誰もが愛の存在ですが、その愛をどのように「表現するか」には多様性があります。

「形」はひとつではないのです。
唯一の正解など、ありません。

ひとりひとりが自分自身の「愛」を体現していれば、「形」はどのようでも、いいのです。「形」はちょうどいいように「後からついてくるもの」です。

以前も記事で書きましたが、「孤独」は、あなたがあなた自身からずれているとき、自分自身から切り離されているように感じるときに、生まれる感覚です。

人間はそれを「外に」投影し、誰か他者の存在を求めることがありますが、根本的に、自分としっかりコミュニケーションがとれていなければ、誰かがそばにいても、孤独が癒えることはありません。

あなたが自分自身としっかり繋がっているとき(※本当はいつでも繋がっていますが、私たちはそれを認識しない意識状態になることがあります)、「desperately(喉から手が出るほど、必死に、絶望的に)」他者を求めるということはありません。

もし、恋愛やリレーションシップのことで悩んでいる方がいらしたら…

「あれ?気づいたら、彼氏・彼女・恋人・パートナー、いてもいなくてもどっちでもいいな?」
というくらい、自分のことに集中できているとき、充実しているときが、調和した状態での「出会いどき」です。もし、あなたの人生にパートナーを望む場合には、ですが。(すでにパートナーがいたとしても、自分自身の状態にフォーカスすることが大切です。)

反対に言うと、そうでなければ「準備ができていないとき」で、リレーションシップによって自分の「不足感」を埋めようとしてしまう可能性は大です。

満たされたWhole(全体)とWhole(全体)で向き合う関係と、
自分を「欠けているピース(部分)」と思っている者同士が向き合う関係とは、全くの別物です。

満たされたWholeとは、あなた自身に何も欠点がなく「完璧な人間である」ということではありません。
ただ、あなたはあなたとして独自の個性を持ったまま十分に価値があるし、他者もまた同様にそうである、と知っていることです。


これからは、「愛」にもますます多様性が見えるようになるでしょう。

そのようなあり方こそが、私たち本来の姿に沿っているからです。

伝統や文化によって作られた観念、そしてそれに基づく「形」は、徐々に崩壊していく可能性がありますが、それは自然なことなのです。

あなたの心の中にある、あなた自身の「愛」にピントを合わせましょう。


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テーマは「死への理解を深める」。詳しくはこちらの記事をご覧ください。

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