BEATS AND LOVE

スピリチュアリティー、根本の癒し、ヒップホップ音楽とライフスタイルや考えあれこれ

人生を愛したい人ができること

この人生を愛したいなら、自分を欺いたり、妥協したり、鈍感になったりしなければいけない。
そう思ったことはありませんか。

その気になれば、常に悲しみの材料には事欠かない。
見ようと思えば、様々な胸ふさがる出来事、殺し、戦争、色々な生物たちへのひどい仕打ちなどがある。
それが自分自身の「直の」現実ではなかったとしても、地球上にはある。

でも、自分が幸せになることでしか、世界を変えていくことはできないのだから。
だから、ちょっと、目をつぶるんだ。平気になるんだ。
心を鍛えて、自分に集中しよう。

そんな風に思って生きるとき、本当に「人生を愛せる」でしょうか。
どこかを切り捨て、あきらめながら、この地球人生を好きでいられるでしょうか。

愛しているつもりでも、その愛には、痛みが伴っていませんか。
心のどこかが、「もうこんな経験ごめんだ!」と嘆いてはいないでしょうか。

影響を認めながら無視するということと、本当に平安な状態であるということとは違います。
根底の理解が確かであるとき、自身の一部を麻痺させなくとも平安なのです。
真実の愛に痛みはありません。

今回のお話は、「人生を愛したい人ができること」。 
3月2日(土)の講座「真の自己の性質と、二元性卒業」の内容と繋がっています。beats-and-love.hatenablog.com

この世界を形成している、強い思い込み

人間が共有している、強い思い込みがあります。
二元性の観念に基づく喜怒哀楽の感情は、その思い込みのもとでは、「自然な感情」と見なされます。
「人間らしさ」として、共感されるのです。

二極に分かれたどちら側につくかで、敵と見なされたり味方と見なされたりすることはありますが、あなたは一人ではありません。どちら側に行っても、共感する仲間が大勢いるからです。

そして、どちら側にとっても自分たちの考えは正義です。
少なくとも、完璧でないところはあるにせよ「良いことに向かって」思考を働かせ、生きているのだと考えます。

ごくありふれた、このような考え方を調べてみましょう。
「世の中には罪や、悪があるが、自分がどう生きるかは選べる。」
そう考えているとき、世界は変わりません。

なぜでしょうか。
どのように生きようとも、「私」の持つ前提が変わらないからです。

万物への愛を遮るもの

自分や、他者や、世界のどこかに罪を見出し、「傷つく」という観念をリアルにしている限り、手放しで何かを愛することはできません。

それはちょうど、愛の流れに障壁をはさむようなものです。
厚い壁であれ薄い壁であれ、いつも幾分かの、自分を守る壁が必要になります。

世の中(外)の性質と思っていたものを、自分の内という正しいありかへ戻して、初めてあなたがそれを変えることが可能になります。
世界に見ている様々な思い込みは、普遍の真実ではありません。
あなたが信じたために、完全にリアルな映画(現実)として外に映し出されています。

だからといって、そうした観念を持った自分を責めても、意味がありません。
傷ついた自分を否定することも、不必要です。
ただ、優しくそれをほどいてあげましょう。
なぜなら、あなたは長い間、それらを「本物」として体験していたのですから。
疲れている自分にムチ打つ代わりに、安心できる真実を示すだけでいいのです。

そうすることだけが、結果のみならず、原因から取り去ることができます。

そして、あなたが何らかの状態を達成する将来まで、そうすることを延期しないでください。
自分を変えなければ、受け取れない愛。そんなものがあると思いますか?
条件によって変わるものは、愛ではありません。

愛はいつもここにあり、あなたの思い込みを、あなた自身がどけるのを待っています。
それがあなた自身を見えなくしているからです。
自分を「ほかのものだ」と信じる誤解があなたを恐れさせ、真実を見ないようにと目を逸らさせてきました。

真の自己を知ることは、あなたを幸福にし、その結果としてあなたの反映も変わり始めます。
愛の源を取り違えていないときだけ、私たちはいかなる障壁も打ちたてず、ただ愛であることができるのです。


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★3月2日(土)講座「真の自己の性質と、二元性卒業」★

2月25日(火)までにお申込みください。

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