あけましておめでとうございます!
今年もどうぞよろしくお願い致します。
新年明けて、さっそく、
記事にしてお伝えしたいと思うインスピレーションが降りてきました。
その記事への個人的な前段階として、この記事を書きます。
前回の◆「過去世とソウルメイト」という記事では、
「恋愛の法則」からいただいたご質問を意識して、
恋愛関係にあるソウルメイトについてテーマをフォーカスしてみましたが、
今回は、もっと身近かもしれない、
自分の人生で、すでに、とっくに出会っているソウルメイトのお話です。
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私は以前、記事の中で(◆「上級の優しさ」)、
人は人(他者)に依っているのではなく、
神(内なる源)にのみ、依っている。
ということを書きました。
本人の内なる力でのみ、
その人は立ち上がることができる、前へ進むことができる、という意味です。
ただし、この「本人の力」を思い出す手助けをすることは、
周囲の人にもできます。
そういう意味で、人生において、
私たちは皆つながって、お互いを助け合っています。
皆がそうであるということはれっきとした事実で、
その意味で言えば、特定の人のことを考える必要はないのですが、
自分自身を「この人生の主人公」と感じる私たちの立場から、
この人生において、というものの見方で見た場合、
ある人が、自分にとってまさに「守護天使」のような役割
をしてくれていると、気づくことがあります。
あなたの人生の中で、もしかしたらそういう人は、
すでに身近にいるのかもしれない。
いえ、誰の人生という「計画」の中にも、その存在はあるのです。
そう思いながら、私の体験を読んでみてください。
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私にとって、それはたしかに一種特別な感覚で、
前回の記事を書いてから急に、
きっと、
よく言われる「ソウルメイト」とはこのことを言うのだろう、
と、腑に落ちました。
☆☆☆
さて、どんなソウルメイトもそうですが、
その人がひとりの個である人間として、聖人のようであるとか(笑)、
いつも自分と心を通い合わせてくれて考え方がぴったりだとか、
決してそういうことではなく、
それぞれがごく当たり前の人間として色んな体験をし、
それぞれ色んなことを学びながら人生を歩んでいるけれども、
そこに、外観(各人生の詳細)を超えた深い愛と絆があり、
どうしてだかわからないけれども、
この人が生きていることが、ただ自分の力になる、支えになるとわかる。
私の人生の中に、この人という存在がなかったなら、
私の人生はきっと、今の私の人生にはならなかったであろう、
と、ただ感じるのです。
☆☆☆
記事の中に何度か登場している、とある友人や、
自分の妹は、私にはソウルメイトです。
まず、<友人>ちゃんに関して言えば、高校で知り合った友人でした。
入学の初日、知り合いの誰もいないクラスの中で、
お友達と話している彼女の姿を見たときに
(彼女には同じ中学からの同級生がいたのです)
私には、当時は意識していなかったけれどその後もたびたび体験する、
「自分と関わる人が白く光ってみえる現象」が見えて、
理屈を超えた感覚が、しきりに、
「彼女に話しかけなければならない。」
と、語りかけてきたのでした。
それで私は、彼女に他愛もないことで声をかけましたが、
話しかけたときは見事に初対面らしい丁重さで対応され、それだけでした(笑)
すぐにうちとけて仲良くなった、というわけではありません。
その後まもなく、親しい友人になりましたが、それでも、
べったり一緒にいるような友人関係でもなく、
今ではたまに連絡をとったり、1年に数回会うか会わないか程度です。
外から眺めた場合、私たちの人生や性格はあまり似ていません。
内面的な思想も、一致するところもあれば、そうでないところもあります。
私にとっては根本となっているスピリチュアルな思想に、
彼女が否定的なのも以前書きましたし、
ケンカして数年、互いに絶縁状態になったことまであります。
それでも、彼女の持っている「根底にある愛」、
外観を超えた存在のようなものを、私は絆として感じ取ることができ、
それは私を非常にくつろがせるのです。
私はイノセントに返ります。
私の思いきりわがままで、だめなところを全部さらけ出しても、
また、私も彼女のそういうところもたくさん目撃しても、
私たちは本当には嫌いにならない、だめにならない、
どこかでそう思っているのです。
それは決して育んだ類の友情ではなく、
ただ、そうなのです。
☆☆☆
もっと身近なソウルメイトが、私の妹です。
この人がいなければ、私は途中で自殺していた可能性があります。
率直に思う個人的事実です。
この人生を途中でやめずに、
私がなんとかかんとか生きて、スピリットと自らつながるようになったのも、
妹の存在、彼女の見せてくれる愛が、私をここに引き戻してくれたからです。
妹がいるということが、たびたび私を、
「ここから逃げよう」とする衝動から、助けてくれました。
ただ、私の人生に存在してくれているだけで、そうでした。
これまでいっぱいケンカもしたし、
今だってお互いに成長過程の人間なのですが、
それでも彼女は私の心の守護天使です。
この人生での私の立場は彼女の姉ですが、
妹の見せてくれる「根底にあるもの」の大きさを、
私はただ知っています。
それを感じるとき、
「これに、どんなお返しができるだろう?
私は、どう報いることができるだろう?」
私がそう自問自答して、自分の存在を小さく感じるほど、
そこにあるものは大きいのです。
これは、前述の友人に対してもそうです。
どっちが先とか後とかの順序はなしに、
「私」としてこの人生に入るときに、お互いの存在なくしては、
成り立たない気がするのです。
妹についても、妹には妹の人生があって、
私と同じ人生の目的や、私と似たようなシナリオ、
私と同じ考え方、同じ感じ方をしているわけではありません。
けれども、お互いが存在すると知っていることが双方にとっては大きい、
そしてその深い感覚は、この人生の詳細を超えている気がするのです。
彼女がいるから、私もここに来た。
私がいるから、彼女もここに来た。
きっとそれだけではないけれど、それもあってここに来た。
そんな感じの、絆、です。
☆☆☆
私の人生の中で、はっきり自覚できる2人のソウルメイトについて書きましたが、
他にもそういう出会いはありました。
その関わり方は様々でしたが、共通しているのは、
「表面で何が起こっていようが、根底にある深い愛がわかること」
でした。
表向きは、どんな風であっても、
私たちは、その奥にあるものでつながっている。
そのことを思い出させる媒体となるのが、ソウルメイトなのだと思います。
本当は、すべての人にそれが感じられる。
それが、私たちの真実だから。
でも、すべての人にそれを感じることが、
この分離して見える世界の中では、ときにむずかしくなってしまうから、
それを思い出させる「置き石」として、
私たちの魂、スピリットの記憶を取り戻す引き金として、
ソウルメイトとの出会いがあると思うのです。
思い出された愛は、外に拡大されていきます。
その人との間だけにあるもの、
そこに閉じ込められる性質のものなのではなく、
そこで感じた愛は、たしかに自分の生きる勇気となって、
すべての人、すべてのものごとに対して拡げられてゆくのです。
ただただ、そこにある大きさに、感謝を捧げながら。
ここから得た気づきが、次の記事へとつづきます♪
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